次の日の夜

 その夜、俺は急ぎ足で家路を辿っていた。時刻は十時半。泊まりがけの研修の後、懇親会を終えてこの時刻。八時頃に一度、流川に電話を入れたがえらくむっつりとしていた。帰りが遅くなるのを怒っていたのかもしれないし、単に眠いだけだったのかもしれない。電話だとどちらか分からない。昨日、一昨日と驚くほど俺が留守にすることを嫌がった。俺が行くのを邪魔しようとまでしてきて、心を鬼にするのが大変だった。ただ、本当に気まぐれな奴だから一晩経つと全く変わっていることだってある。この急ぎ足も無駄足になることだって大いに有り得るのだ。「ただいま!」と息せき切って帰っても、ソファに寝転がって「んあ」的な。ありえる。ありえるが、それでも俺は急いだ。結局俺が早く顔を見たいのだ。
 アパートの前まで来て、いるかもとベランダを見上げてみるが、いなかった。いないがやけにヒラヒラしているものがあった。夜目にも分かる、あれはうちの家のベッドカバーだ。何であんなもんがかかっているんだ。流川が洗ったんだろうか。なんで? さっぱり分からん。首をひねりながら階段を上り、部屋のドアを開けると流川が待ち構えていた。驚いた。このパターンは考えていなかった。
「俺、一生お前に飽きねえ自信あるわ」
「・・・・・・」
 返ってきたのはだんまりだ。たいそう不服そうな顔をしている。寝巻きにしているティーシャツと短パンを着ていたので、「風呂はいったんだな」と努めて明るく声をかけたが、うんともすんとも言わなかった。
「遅くなるって電話しただろ」
 なおも不満顔の男に「これでもけっこう急いで帰ってきたんだぞ」と訴えた。
 仕上げみたいなひと睨みを寄越してから、くるりと背を向けて部屋に入っていった。

「お前の土産選びにもけっこう手間取ったんだ」
 愛想のない後ろ姿に声を掛ける。県内の研修で土産というのもどうかと思ったが、いつも貰っているので自分も渡したかった。
「土産選びって難しいんだなあ。知らなかった。お前の愛を知ったぞ」
 そう言うとちらっと振り向いてきて「買ったのか」と聞いてきた。やっと喋った。
「おうよ」
 駅で買った饅頭の箱を渡すと両手で恭しく受け取ったあと、テーブルについてびりびりと包みを破り始めた。土産びりびり男を尻目に俺はシンクに移動した。部屋に入った時から気になっていた。なんだかえらく片付いているのだ。
「夕飯はうちで食ったのか?」
「ん」と頷いて饅頭を頬張った。買ってきて正解だった。機嫌が直ったようだ。
「なに食ったんだ?」
「いろんなの」と冷蔵庫を顎でさした。冷蔵庫に入っていた色々な作り置きを食べたようだ。
「ちゃんとあっためた」
「あ、そお。お前が皿を片付けたのか?」
「そう」と早々と二つ目の饅頭の包みを開けている。
「マジか」と俺は驚いた。いつも食べたら食べっぱなしの男が、奇跡だろ。
 そう言えば・・・・・・。さっき見たベランダの光景を思い出してそっちに向かう。向かう途中でマットレスが裸になっているのが見えて、ベランダには本当にうちのベッドカバーがはためいていた。乾いていたので、とりあえず取り込んだ。
 謎のカバーを抱えて寝室に戻ると、流川が三つ目の饅頭を手にして部屋の真ん中に立っていた。
「お前それ食い過ぎだ」と注意した。
「うまい」
「加減を知れ、加減を。俺に言われるとかよっぽどだぞ」
 水色の細いしましまのカバーをマットレスにかけていると、口をもぐもぐさせながら流川が向かい側に立った。結局三個食っている。
「どんだけ食うんだよ」
「んまい」
 同じことしか言わない。突っ立っているので、流川に届くように大きくカバーを放ると、端を拾ってマットレスにひっかけだした。
「お前なんでこれ洗ったんだよ、汚したのか?」
「・・・・・・チョット」
「粗相でもしたか?」
 そのまま笑い飛ばそうとしたのに流川は下を向いたまま黙々と作業を続けている。明らかに意味を持っている沈黙に、え、まさか本当に粗相を、と俺は焦った。
「朝か?」
 流川の沈黙に、心が騒ぐ。
「そうか・・・・・・仕方ねえって。ああいうのは自然現象だし。中学生もたまにあるぞ・・・・・・すごく扱いの難しい問題だ。知らん顔はできねえし。だから俺はそっと話題に触れてさっと流すことにしている。変な噂にならないように気をつける。実は俺もこの前ちょっと電車の中でヤバッてなった、焦るよな、まあ俺は間に合ったけど・・・・・・しょうがないことだ。お前も忘れろよ」
 苦労しながら慰めの言葉を紡いでいると、途中から流川が変な顔をし始めて、最後は「何の話だ」と言ってきた。
「おねしょだろ?」
「どあほー」と首を振った。
「違うんか?」
「違う。変なこと言うな」
「なんだよっ! 違うのかよ!」
「あたりまえ」
 心底ほっとした。
「お前が意味ありげに黙るから・・・・・・焦っただろうが!」
「どあほー」
「アホじゃねえ。元はと言えばお前がらしくもなくこんなもん洗ったりするから・・・・・・え?」と流川を見る。
「え、お前、もしかして・・・・・・あっち?」
 じっと見るとじっと見返される。
「マジか・・・・・・」
 流川が目を逸らした。あ、恥ずかしがってる。これ本当にそうだ、それなやつだ。
 足が勝手に流川の方へふらふらと寄っていく。
「変な顔するな」
「一人でやったのか?」
「・・・・・・もーいーだろ」
「あほか。お前のそんな話聞いてハイそうですかで終われるかよ。昨日の晩か? 朝か?」
「・・・・・・・・・・・・夜」
 おおお。
「お前ってどうやるんだよ」
「・・・・・・テメーといっしょだろ」
 本格的に恥ずかしくなったのか立ち去ろうとするのを背後から抱きついて阻止する。ジタバタとしていたが首の後ろにキスをすると大人しくなった。
「お前、いい匂い」
 首元を嗅いでいると、流川が向きを変えてキスをしてきた。口を開けて、舌と舌を絡める。一日ぶりの恋人のキスはやたら甘かった。饅頭食いすぎだろ。布越しに流川の体の感触を楽しむ。あったかくて、はりがあって、締まった体だ。
「今日もジム行ったのか」
「行った」と小さく答える。
「触り心地、最高だ」
 流川が体を密着させてきた。
「そんなに寂しかったか?」
「つまんなかった」
 どう違うのかわからないが、言い直された。
「ここ自分で触ったか?」
 胸の方に手のひらを当てると体がぴくっとなった。
「しらね」
 服の中に滑り込ませると「ん」と声を出す。親指の腹で立ち上がった胸の突起を転がす。流川の顎が少し上がって口が半開きになった。
「お前って一人でする時、なんか見たりするのか?」
「別に」
「俺のこと考えるか?」
「・・・・・・別に」
「考えねえの? じゃあ他のやつか」
 すぐさま腰にパンチが飛んできた。笑うとまた叩いてきた。悔しそうに上唇を噛んでいる。正直に言えば良いのに変なところで素直じゃない。
「俺はもう絶対お前。お前のこと思い出したらもうあっという間」
 俺の熱烈な告白に応えるように、流川も熱烈に唇を重ねてきた。食われるみたいなキスだった。流川が全身で興奮している。俺とくっついているだけでこんなになるんだ。俺のことを考えないわけがない。
 両手を回して尻をぐにぐに揉んでいると、流川の手も俺の尻に伸びてきて、そのままぎゅっと合わせるように押さえつけてきた。「うっ」思わず声が漏れてしまった。
 バンザイをさせられて上を脱がされた後、どんっとベッドに倒される。後は自分で脱げと言わんばかりに。洗いたてのシーツの上で、履いているものをいそいそ脱いでから枕を重ねてそこにもたれる。流川も着ているものを脱ぎながらベッドに上がってきた。その動きはなんかのコマーシャルのようにかっこよくて、少し見惚れた。服の脱ぎ方すらサマになる男は俺をまたいで股間の上に座った。俺のアレが流川のソコにあたって、すでに気持ちいい。何をするんだろうと興奮と期待をもって見つめていると、前後に腰を揺らし始めた。流川の尻にぐりぐり揉まれる。「あう」とか「うう」とか我ながら情けない声が出てしまう。
「変な声してる」
「だって、おまえが」
 そう言うとまたごりっと擦りつけてきた。今度は変な声を出すのは耐えた。耐えた代わりに「見せろよ」と言った。流川の動きが一瞬止まる。
「お前がしてるとこ、見てえ」
 流川は少しためらった後で、自分のものを手に握った。そのまま俺を見ながらゆっくり擦り始めた。俺と目を合わせたまま手を上下に動かし続ける。潤んだ目、紅潮した頬、濡れた唇、俺はそれらを食い入るように見つめた。湿った音と流川の声が俺の耳を刺激する。
「すごい。エロい」
「ん、ん」
「昨日もそうやったのか?」
 頷く流川に興奮がぐんと増す。
「俺、今度一人でやるとき絶対今の思い出す」
「どあほ」
「何と言われても思い出す!」
 ふんぬっと上体を起こして、今度は流川を後ろに倒す。少し驚いている顔が可愛い。
 流川の長い両足を抱えて腰を進める。入り口のところをつついてみると「うん」と声を出した。可愛い。あとエロい。もう一回、ツンツンっとやるとまた声を出した。
「遊ぶな」と睨んでくる。睨んでくる顔も可愛い。
「好きだって伝えてるんだろ」
 腰を進めると、流川がぐっと眉を寄せる。額を撫でてキスをして、ゆっくりゆっくり入れていった。つながった後もしばらくは動かずに舌を絡ませていた。時折軽く流川を揺さぶった。次第に流川がもどかしそうに身を捩って、声を出し始めた。その反応を見ながら、俺は徐々に動きを大きくしていった。流川の声が止まらなくなって、応えるように俺も声を出した。足を体に巻きつけてきて、流川のものが俺の腹にあたる。一人じゃ感じれないものだ。最後の方は夢中で腰を振って、流川をいかせた。流川につられて、俺も達した。

 一緒に風呂に入った後、ベッドに新しいカバーを掛け直した。今度のは薄いグレーだ。どっちのカバーが好きだ、と言い合いながら掛けた。
 二人で天井を見ながら、今度の休みについて話した。旅行も行きたいなと話した。俺が行きたいところを言うたびに、流川は「それでいー」と言っていた。話すのにも疲れて、そろそろ寝ようかとベッドの明かりを消しかけた時、「俺って」と急に流川が口を開いた。
「ん?」と横を見ると、「俺って腹出して寝てんのか」と聞いてきた。
「腹?」
「テメー、電話で言うだろ。腹出して寝るなって」
 言うっけ、と首を傾げる。
「腹出してんのか」
 もう一回聞いてきたので、いいや、と首を振る。
「出してねえ。言ってたとしたらただの挨拶だ。風邪に気をつけろよっていう桜木流の粋な挨拶だ。おめーは実にキレーに寝てるよ。一糸乱さずくうくうと」
「ふーん」と言いながら手を握ってきた。 
「俺がいなくて寂しかったか?」
「つまんなかった」
 なぜか絶対に「寂しい」と言わない恋人に笑って、俺はキスをした。
 

おしまい

2021年10月11日
花流の日おめでとうございます!