Quiet Now

「切れてないだろ?」
「切れてない」
 俺は今りんごをむいていた。流川が遠征土産に買って帰ってきたりんごだった。たまに不思議な土産のチョイスを見せる。右手に包丁を持ち左手でリンゴを送りながらクルクル、ショリショリと皮を剥いていく。俺の技に感心しているようで向かいから熱烈な視線を送ってくる。ちなみにこれで2個目である。
「明日は晴れです」
 テレビから天気予報が聞こえてきた。
「明日は晴れだ」と復唱すると、「今日も晴れてた」と流川が言った。
「なんでこんなの出来んの」
 螺旋状になったりんごの皮をつまんで聞いてくる。
「なんでもなんも、出来るんだ」 
 理由などない。
「ふーん」
「応用編で大根もあるぞ、じゃがいもも……芋はけっこう難しいな。まあ俺は出来るけど。なんでも」
「俺だって」 
 流川を見ると目に炎がともっていた。
「いや、お前には無理だ」
 あ、これ言い方を間違えた、と思ったら案の定「出来る」と手を伸ばしてきた。
「やめとけって」
 両手を上げてりんごを流川から遠ざける。
「出来る」
 なおも伸ばしてくる。
「お前がやると危ねえって」
「危なくない」
「無理だ、っていうかやめろ。包丁を持ってる人間にちょっかい出すなよ、危ねえだろ」
 注意すると、口を尖らせながら手を引っ込めた。
「無理じゃねえ」
「無理だって。おい、見てろ?  こっから超高速だ。1.8倍速!」
「チョーシに乗ってる」と人差し指をさしてくる。
「ハッハッハッハッハ」
 高笑いで超高速りんご剥きをしていると、「桜木先生が」と聞こえた。え、とテレビを見るとうちの学校の卒業生が出ていた。
「えっこいつ、うわッチ」
 不意打ちに驚いて親指を切ってしまった。指からじんわりと血が滲み出る。
「切ったんか」
「不覚。知った顔がテレビに出たんだ」
 親指を舐めながら、テレビの方に顎をしゃくると流川も目をやった。その途端、今度は俺が出てきて更に驚いた。
「テメーだ」
「そういえば……」
 シンクに立って傷口を水で流しながら、前に取材を受けていたことを思い出した。バレエの国際コンクールで優秀な成績を収めた卒業生の特集が組まれるとかで、母校であるうちの学校にテレビ局が来たのだ。その時に、俺は恩師代表で出るように頼まれた。もちろん最初はバレエのバの字も知らないから無理だと断った。だがそれは他の先生達も同じだった。そして他の先生達はテレビに出る事自体をとても恥ずかしがった。でも俺は別に恥ずかしくはなかった。結局「出たくない理由が少ない」という理由で俺が出ることになったのだ。

 流川がテレビボードの引き出しから絆創膏を出して、ついでにティッシュの箱も掴んで俺の傍に立った。
「お前もうちの絆創膏の場所を知ってんだな、オレ感動」
「どあほー」
 絆創膏を持って待ち構えているので、指を出すとティッシュで拭って絆創膏を巻いてくれた。親切だ。一枚じゃ足りないと思ったのかもう一枚上から巻いている。
「これ撮られたのって半年以上前だぞ」
 撮った後しばらくはいつ放送されるのかなとドキドキしていたけれど、何の音沙汰もなかったから忘れていた。そうしたらいきなり流された。
 テレビの中で一張羅のスーツを着た俺がカチンコチンに固まって喋っている。
「キンチョーしてる」
「・・・・・・うるせえよ」
 俺ってこんな感じなのか。もっとビシッとしていると思っていた。爽やかに堂々と。実際はなんか、タジタジしている……。俺の後にもう一度卒業生が出てきた。卒業生はとても慣れた様子でインタビューに応えていた。学校で特別扱いされないのがとても良くて楽だった、というようなことを言っていた。へえ、そういうのが良かったんだなあと思った。特集が終わった後、流川を見ると目があった。
「俺もテレビに出てしまった」
「ああ」
「すげえ心臓がバクバク言ってる」
「なんで」
「なんでって……お前テレビ出る時バクバクしねえのかよ」
 尋ねると、変な顔をしてから「しねえ」と言った。それを受けて俺も変な顔になる。コイツは本当に同じ人間なんだろうか。
 突然家のチャイムが鳴った。こんな時間に誰だよと出ると、お隣さん達だった。ふたりはテレビで俺を見たと大興奮で伝えてきた。それから「桜木“先生”のアン・ドゥ・トロワの発音がおもしろかった」と言われた。あれは言わされたのだ。恥ずかしい。他の部屋の人達もやってきて「テレビを見たよ」と言われた。しばらくその話題で盛り上がってからアパートの皆さんとお別れした。玄関に入り、ずっと震え続けている電話をポケットから出すと、大量の着信とメッセージがあった。どんどん入ってくる。
「お、おい、なんか、すげえ俺が注目されてる」
 部屋に駆け込むと、流川はテーブルについてのんきに茶を飲んでいた。
「みんなが俺に連絡してくるんだ! これが有名人か」
 言っている途中で、また電話が震える。続々と来る。すげえ、こんなに電話ってあれこれと受け付けられるもんなんだな。
「テレビ効果ってすげえんだな」
 感心しながら顔を上げると、今度は流川はりんごを持って俺を見ていた。なんだか読めない顔をしていた。何かありそうな、特に何もなさそうな、よく分からない顔だった。流川ならこういう時ってどうしてるっけ。
 電話の電源を切ってポケットにしまい、流川の隣に腰を下ろす。
「電話しねえのか」と流川が言ってきたから「今はいいんだ」と返した。
「お前がうちにいる貴重な夜だからな。りんご食おうぜ」
 それから俺たちは並んでりんごを食べた。うまいりんごだった。
「さっきのテレビの俺、ちょっとソワソワしてたよな」
「ああ」
「声とかもうわずってたよな」
「ああ」
 やっぱりな。
「あんなの出るもんじゃねえなあー」
 両手を上げて天を仰ぐと、「けっこー良かったと思うケド」と流川は言った。意外なセリフに思わず姿勢を戻す。
「え、そうか?  良かったか?」
「ああ」
 改めてテレビでの自分を思い返してみる。
「……だよな……良かったよな!」
 流川も言うし、そうなのだ。良かったのだ。オレのテレビ出演は大成功だったのだ。
 食べ終わった後、流川は忘れていなかったようで、りんごの皮むきをやりたがった。「せめてこっちでやれ」と俺は果物ナイフを渡した。流川は最初はぎこちない手つきで剥いていた。俺はドキドキしながらそれを見ていたが、思っていたほど悪くなかった。ギザギザでガダガダで、身がけっこうなくなったけれど、それもまあご愛嬌。
「案外やるじゃねえか」
 声をかけると流川は嬉しそうな顔をした。
 その顔を見て、ああ素晴らしい夜だなあと思ったのだ。

おしまい

2022.07.20
短いながらに盛りだくさんな話になりました。