mission314 


 練習後、ロッカールームで着替えていると隣にいた先輩が話しかけてきた。
「明日のホワイトデーって、なんか考えてるのか?」
 少しの間、質問の意味を考えた。
「ホワイトデーって知ってるか?」
「・・・・・・別に」
 自分の返答に先輩が首を振った。
「知らない時は知らないって言いなさいね、俺がお前にできる唯一のアドバイス」
「なんスかそれ」
「2月14日にチョコ貰うだろ、バレンタインデー。貰った人間はお返しをするんだよ。そのお返しの日がホワイトデー。3月14日。ちなみに明日な」
 説明されて、ああ、あれのことかと思い当たった。家族から言われたことがあったし他にも人生のどこかで聞いたことがあった。呼び名にピンとこなかっただけで全く知らないことでもなかった。
「毎年山ほど貰ってるんだろ、ホワイトデーは返したりしてんのかって聞きたかったんだけど、何もしてねえってことが今のでわかったわ」
 実際そうだったので特に言うことはなかった。使い終わった練習着を鞄に詰めていく。今日は早く帰れそうだ。
「まーあれだけもらってりゃそりゃ返せねえよなあ・・・・・・この前もえげつない量貰ってたもんな。俺あんなに貰う奴って人生で初めて見た」
「そーすか」
「まあでも俺もオクサンからもらったけどね。あと娘ね。愛する人達から貰えれば十分だ」
 セリフに引っかかるものを感じた。見ると、先輩はなにか勝ち誇ったような顔をして自分を見ていた。瞬間、メラっと自分の中で炎が燃えた。
「俺もアイツから貰ったっす」
 気づいたら言っていた。
「え?」
「桜木から、チョコ貰ったっす」
「え、桜木くんから?」
 頷くと、先輩の目が丸くなった。
「すっげーうまかったっす」
「よ、良かったね。そうなんだ、桜木くんってそういう事もするんだ」
 自分にしかしない、というのは言わないでおいた。そこまで言うのはいくらなんでも自慢し過ぎる気がしたから。一応相手は先輩だし、礼儀というのもある。
「そしたらお前、返さないとね。桜木くんに」
 ハッとした。その通りだ。
「その日って、何するんすか」
「クッキーを渡すってよく聞くけどな、うちのオクサンには大体アクセサリーとかバッグとかそういうの渡す。すっげえ高ぇの、値段釣り合わねえのよ」 
「へえ」
「でもまあお世話になっているし、喜ぶし。お前も貰ったものより高いものにしとくといいぞ」
 値段で桜木が一喜一憂するとは思えないが、喜ばせたい気持ちはあった。珍しくとてもためになることを教えてくれた先輩に一礼して、その場を後にした。

 クッキーか。帰る道すがら考えた。クッキーに限らず菓子というものを自分はほとんど買わない。買ったとしてもせいぜい遠征の時の土産ぐらいだ。どんな物がいいのか見当もつかない。でも渡すなら桜木がくれたみたいなものが良いなと思った。貰ってとても嬉しかったから。すごく美味かったあのチョコレート。先輩は貰ったものより高いものにしろと言っていた。現実的なアドバイスだ。桜木がくれたチョコはどれくらいの値段だったのだろうか。・・・・・・一ヶ月前を思い出す。一粒ずつ味わいながら食べていたら「一個くれ」と桜木が言ってきた。やらなかったら絶句していた。一つくらいあげれば良かったかもしれない。あれは本当に美味かった。ガムが百円くらいなことを思えばあのチョコは、と頭の中でそろばんを弾く。五千円だ。きっとそうにちがいない。じゃあ自分は一万円のクッキーにしよう。バスケと桜木にならいくらでも金と時間を費せる人生なのだ。

 早速馴染みのコンビニに寄った。ここだったら必要なものは大体なんでも揃っている。入ってすぐ目立つ場所に「ホワイトデー」と飾られた棚があった。もしかして毎年こういうことがしてあったのだろうか。全く気づかなかった。自分と縁遠そうな見た目をした箱をじっくり眺めていったが一万円のものはなかった。大体価格は千円前後だった。これを十個買えば一万円になるなとちらりと思ったが、それはお返しとして間違っているような気がしたのでやめておいた。その棚を離れて、別の菓子のコーナーを見て回った。一周したが自分が思うような値段の菓子はなかった。念の為もう一周したがやはりなかった。と言うか、自分の価格設定がおかしかったことに気づいた。菓子は高いものでも三百円くらいだ。相場を全く分かっていなかったようだ。やり直し。牛乳を三本買ってコンビニを出た。

 部屋に明かりがついていることは確認していたのでチャイムを鳴らして待っていた。少ししてキイッとドアが開いて桜木が現れた。
「おう、帰ったか」 
 挨拶代わりに牛乳の入ったビニール袋を渡す。
「コンビニ寄ったんか?」
 頷くと「フーン」と言いながら袋に目をやり「あ、これ破れてるじゃねえか」と言った。一緒になって見てみると本当に袋の下から裂けて牛乳パックの角が見えていた。
「あとちょっとで落っこちるぞ。気づかなかったのか」
「ああ」
「お前もあれがいるなあ、なんだっけ、あー、エコバッグ! あれ丈夫らしいし時代の流れもあるし、いるなあお前にも。お前とエコバッグ・・・・・・恐ろしくなじまねえけど・・・・・・」
 自分を見ながらブツブツ言っていたが、急に何かを思い出したような顔になった。
「今日は鍋だ! キムチ鍋! 食おうぜ!」
 ワクワクした顔を見て、こいつを喜ばせたいな、とまた思った。

 口から火を吹きそうなほどに辛い鍋だった。
「辛い! しかし旨い!」
 桜木はずっと叫んでいた。自分は言葉も出ないくらい辛かったのに、桜木が「限界に挑戦!」とどんどん辛さの素みたいなものを入れていくから、最後はもう箸をつけるのもいやになった。まだ入れようとするのを「いーかげんにしろ」と足を蹴ってやめさせた。たまにわけのわからないことに夢中になるのだ。我に返った桜木はその鍋に卵と白飯を入れておじやを作った。自分の皿にもよそってくれて海苔を上にかけてくれた。美味かった。

 夕飯の片付けを終えて桜木が風呂に入っている間に”エコバッグ”を調べた。桜木が言っていた言葉だったが、ぼんやりとしか分からなかったので気になっていた。検索の結果、持参する買い物袋であることがわかった。ナルホド、アレか。今日はいろんなことがはっきりする日だ。ついでにクッキーについても調べることにした。”クッキー”と入れたらクッキーの写真が出てきたが、そうじゃない。クッキーが何であるかは知っている。そうじゃない別の何かを知りたいのだが、何が知りたいのかがわからない。調べるというのは案外難しいものだ。なんと検索しようか悩んでいたら、「なにしてんだ?」といきなり耳元で桜木の声がした。真横に桜木の顔があって驚いた。とっさに持っていた電話を伏せた。
「あ、隠すなよ。怪しいな、何してたんだよ」
「しらべもの」
「調べものおー?」
 すごく近い。吐息が顔にかかるくらい至近距離だ。風呂上がりのとても良い匂いもする。
「何を調べてたんだよ」
 驚かせたいから秘密にしていたい。黙っていると「おい」と耳たぶを引っ張られた。グイグイと引っ張りながら遊ぶように耳たぶをムニムニと押しつぶされる。それでもまだ言わないでいるとぎゅっと抱き込まれた。
「言えって」
「クッキー」
 色仕掛けに負けてあっさり白状してしまった。
「クッキーについて調べてたんか?」
「・・・・・・そー」
「なんで」
「・・・・・・なんでも」
「クッキーを調べるって、なんだそれ。ただの菓子だろうが」
 ソファを回り込んで隣に座ってきた。が、すぐに立ち上がってテレビボードの引き出しを開け始めた。
「好きか」
 背中に尋ねると、振り向いてきた。
「クッキーか?」
「そー」
「いや別に。好きでも嫌いでもねえな」
 再び隣りにやって来た男は足の爪を切り始めた。
「足の爪、切るの忘れるんだよな」
 パチン、パチンという音を聞きながら、クッキーを渡すのはよしておいたほうが良いかもしれないと考えた。たいして嬉しくないのかもしれない。喜ばれたいから、喜ぶものを渡したい。
「最近切りにくいんだよな。これ見ろよ」
 言われて覗いてみると、足の親指の爪がギザギザになっていた。
「切れないから、力入れて切りすぎて深爪しそうになるし」
 またパチン、パチンとやり出した。
「なんか、好きなものあるか」
「あ? 食べ物か?」 
「なんでもいー」
「んー」
 音が止まったと思ったら顔を上げて「おまえ」と言ってきた。危ない爪切りを取り上げて、思いきり抱きついた。

***

 翌日も朝からずっと何にしようか考えていた。ホワイトデーは今日だ。何も準備できていない。昨日の先輩を捕まえて、ホワイトデーはどこで買っているのか尋ねたらデパートだと教えてくれた。なるほど。あそこもたくさん物が揃っている。今日はどこにでも行けるように車で来ていた。帰りは遠回りして、デパートに寄ることにした。
 デパートに着いてまず最初に爪切りを買った。案内所で売り場を尋ねてかなり上のフロアまでエスカレーターで一階ずつ上っていった。爪切りは色々揃っていたが「安心・安全・使いやすい」と書かれている爪切りにした。同じフロアでエコバッグも二つ買った。種類が多くて少し迷ったが、「丈夫で長持ち」を謳い文句にしているものに決めた。買い物は良いテンポで進んでいったが会計後これではただの買い物だと気がついた。爪切りとエコバッグ(と鍋つかみ)。お返しに渡す物にしては変な気がした。何かが足りない気がする。悩みながら下りのエスカレーターのステップに足をのせかけた時「上でやってますー」とチラシを一枚渡された。「特別催事場、ホワイトデー特集」と書かれてあった。

 渡りに船と向かった催事場は、いざ足を踏み入れると人が多いし置いてあるものが全部同じ物に見えるしで、とても無理だと思った。もう帰ろうかなと思いかけた時、ふと赤い頭が目に入った。 桜木みたいな頭だ。誘われるようにフラフラとその頭に引かれていった。
 赤い頭の持ち主は当たり前だが桜木ではなかった。髪の色以外何一つ似ていないが、髪の色が同じというだけで親近感が湧いた。隣に立つと、自分に気づいて「バスケのルカワ?」と言ってきた。いかにもそうだったので小さく頷く。「でけえな」と言いながら自分を下から上まで眺めた後、棚にあった箱を一つ手にとってどこかへ消えた。何をとったのか見てみるとクッキーだった。赤と黄色と緑の丸いクッキーが並んで入っている。自分も同じものを手にとった。同じ色の髪をした人間が選んだのだから間違いないだろうと思ったし、正直に言うともう考えるのに飽きていた。

「遅かったな。また買い物して来たのか?」
 自分の手にあるデパートの紙袋を見て尋ねてきた。
「そー」
「連日お前は一体」
「てめーに」と言って渡すと、「え!」と声を出して驚いた。
「俺?」と言いながら中身を覗いて、「なんで?」と見てきた。
「ホワイトデー」
「え!?」ともう一度叫んだ。
「お前そんなのやるのかよ!」
「テメーにしかしねえ」と言うと、桜木はちょっと照れた顔をした。
 その後自分が買ってきたもののお披露目会が始まった。紙袋から一個ずつ出して包みを解くたびに驚いた声を上げたり大笑いしたりしていた。
「福袋みたいだな。マカロンって、初めて食べるやつだな」
 何かまた知らない言葉を聞いたがもう聞き流しておいた。
 楽しそうにしているので安心した。
 ふっと息をつく。一仕事終えた感がある。人に贈り物をするのは大変だ。いつも貰う物やくれる人たちを思い出し、自分も今度からもう少し贈り物には敬意を払おうと思った。

「ホワイトデーって思わなかったから、一瞬、俺の誕生日を間違えたのかと思ったぞ」
 桜木のセリフにギクリとした。
 それもあった。
 まだしばらく考える日が続きそうだ。

おしまい

2020/03/14
初めてホワイトデーについて書きました。
流川さん、がんばりました。