花咲く旅路7

 次の日の朝オースケは本当に来て、ドアを叩く音で俺は起こされた。
 頭を掻きながら玄関に向かって、ドアを開けると小さい流川が目をキラキラさせて俺を見上げていた。大きい流川も後ろに立っている。
「……流川たち、か」
「はなみちおはよう」
 オースケは満面の笑みで挨拶をしてきたが、大きい方は何も言わない。子どもの方が立派だ。
「本当に来たんだなあ……」
 寝巻きをたくって腹を掻きながらあくびをする。今何時だよ。時計を見ると八時半を回った頃だった。
「はいっていい?」
「いいけどおまえ、」
 まだ言ってる途中なのに、「わーい」と言って部屋の中に入っていった。
「わっかんねえなあ、俺んちの何がそんなにいいんだよ」
 首を傾げていると、オースケがこたつの中にもぐりこむのが見えた。
「おいまだそれあったかいの入ってねえぞ」と声をかけると、にゅっと小さい手が出てきてスイッチを入れた。すっかり覚えている。
「来てすぐこたつとか。お前と一緒だな」
 言ってすぐに悔やんだ。昔のことを持ち出す気はなかったのに。目を逸らして意識して難しい顔を作った。

「いいのか?」
 流川が口を開いた。そう言えば昨日もこんな風に遠慮を見せていた。
「良いも悪いももう来てるじゃねえか」
「……」
「お前はどうすんだよ」
「練習に行く」
「あっそお」
 バスケの練習ってことで、つまり仕事。仕事をしているのだこいつは。仕事をして子どもまでいる。片や、俺……
「昼に帰って来る」
「迎えか?」
「それと、飯食いに」
「……言っとくけど俺なんにも準備しねえぞ」
「買ってくる」
 急に「連絡先」と言ってコートのポケットを探り始めて、スマートフォンとかいうやつを取り出した。そっぽを向く。
「俺、そういうの持たねえ主義だ」
 そういうものが必要になるほどこの世に用がない。そう伝えると今度は名刺を渡してきた。流川の入っているチームのものか、なんか変な生き物のマークが入った名刺だった。電話も、名刺も、名刺を渡す慣れた仕草も、いちいち差をつけられているみたいに思った。こんなの貰ってもかけねえぞ、と言いつつ受けとっておいたのは、オースケのためだ。
「っていうかさあ、お前心配じゃねえの?」
「なにが」
「あいつだよ。俺に預けるとか平気なんかよ。もしかしたら殴られたりとか意地悪いことされたりとか」
「テメーがするわけねえ」
 カッと体が熱くなった。
 こいつ、ずりぃ。 
「お前に何が」
 分かるんだよと言いかけたところで、「はなみち」と聞こえた。
 いつの間にかそばに来ていた。なんだかしょぼくれた顔をしている。
「どうしたよ」
「こたつ、あったかくならない」
 え、と部屋を見ると、コンセントからコードが抜けていた。
「あー……」
 カーテンがびっちり閉じられた薄暗い部屋、奥の方には俺が抜け出した形のままの布団が見えた。なんというかオースケがいるのには、ふさわしくないように思えた。
「コタツの前に朝の掃除だ。手伝え」
「うん!」
 掃除を手伝えといわれてこんな嬉しそうにするなんてな。
「じゃーな、こいつは預かった。お前ももう行けよ」
 流川から視線を逸らしたまま声をかけると、流川が屈んでオースケの頭を撫でた。
「昼に帰ってくる」
 頭にのせられた流川の手を触りながらオースケが「うん、いってらっしゃい」と声をかけた。この無口な男からよくもこんな子どもが出てきたもんだ。母親はいないと言っていたが、いないわけはないだろう。誰かがうまねえと基本的に子どもってのは出てこないはずだ。産んですぐに別れたということなのかな。複雑すぎて何にも見えてこない。本当は本人にもっと聞けばいいのに、聞いたら負けと思ってしまって、なかなか聞けないでいた。 
「じゃあ」と俺に言って仕事とやらに向かった。
 残された俺とオースケは段取りよく掃除に精を出した。父親と違ってオースケには掃除の素質があった。

***

「あっれー、なんかちっこいのがいるぞー!?」
 昼前に突然、高宮と洋平がうちにやって来た。オースケを見るなり高宮が叫んだ。それまで持参していたおもちゃで遊んでいたオースケは、高宮の声と洋平にびっくりしておもちゃを持ったままの姿勢で固まっている。さすがの洋平も驚いたようで目を丸くしているが、どこか楽しそうでもある。
「何しにきたんだよ」
「お言葉ですねえ」と高宮が持っていた荷物を上がり口においてサングラスを持ち上げた。
「お前が最近ウンスンだから何してんのかと思ってきたんだよ」と洋平が困ってるみたいな笑っているみたいな変な顔で言ってきた。
「うんともすんともってことはないだろ。先週会っただろ」
「お前は一週間会わないだけで何が起こるかわからないやつだから。実際今だってお前」とオースケの方に視線をやった。
「お前が産んだのか?」高宮がアホウなことを言っている。
「産めるかよ」
「お前の子か?」
「…………知り合いの子だ」
 流川のことは口が裂けても言いたくなかったので誤魔化した。
「なんか、誰かに似てるなあ」と高宮がサングラスを光らせ、洋平はちらっと俺を見た後に、部屋をぐるっと見渡して、最後にテーブルの上に目をやった。ああ恐ろしい。よりにもよってえらい組み合わせが来てしまった。勘が良いのとあてずっぽうがすごいのと。
 ぐいっと服の裾が引っ張られた。見るとオースケが俺の足に隠れるように後ろから抱きついていた。顔が緊張している。突然のコワモテの訪問にびっくりしたようだ。
「こいつはオースケって言うんだ」
 オースケは何も言わず、更に隠れるように俺の後ろに身を隠す。意外だった。俺への態度から誰にでも人懐っこいのだと思っていた。怖がっているのかずい分力いっぱいに抱きついてくるので、後ろ手に頭を撫でてやる。
「オレは高宮のお兄ちゃんだ」
「オレは洋平のお兄ちゃんだ」
 二人が中腰になって、ふざけた様子でオースケにあいさつをする。オースケは蚊の鳴くような小さな声で「こんにちは」と言って、それっきりまた黙ってしまった。
「はっはっは! お前らのことが怖いみたいだなっ!」
「お前より? マジかよ」と高宮が額をおさえた。
「何歳?」
 洋平が聞くと「6さい」と顔の半分だけ覗かせてオースケは答えた。「6歳かあ……」と洋平が遠くを見るような目をした。

「花道、あれはお前への土産だ」
 玄関においてある大きなビニール袋を指差した。そう言えば二人して何か抱えてきた。見にいこうとすると、下の方でまた力がかかった。オースケがじっと見上げてきている。いつもニコニコしているのに、口をへの字に結んで小難しい顔になっている。
「やっぱりこの感じ、誰かに似てるよなあ」と再び 高宮が 思案気にしている。
「誰にも似てねえよ」とオースケを抱き上げて、荷物を見に玄関に向かった。
「米じゃねえか!」 
 5キロの米が二袋あった。
「この前の礼だってよ」
「なんかしたか?」
「ばあちゃんを店に連れて行ってくれただろ」
「ああ~? ……ああ!」
 この前、高宮のばあちゃんの買い物に付き合った。漬け物を漬けるために山ほどの白菜が必要になったから荷物持ちについていったのだ。高宮のばあちゃんの白菜漬けは風物詩だ。高宮も高宮の家族も誰も仕事で付き合えないから、時間に恵まれた俺が同伴して、大量の白菜を背中にしょって帰ったのだ。ばあちゃんは俺の姿を見て「戦後を思い出す」と若い頃のことを語りだした。

「あんなので礼とかしてんじゃねえよ」
 水臭えことを言うやつだ。高宮が「お前はそういう奴だ」と肩をぽんぽんと叩いてきた。
「貰っとけ。これはばあちゃんからの米だ」
「マジか……ばあちゃん」
 目をつむり心の中で手を合わせる。高宮のばあちゃん、ありがとう……これでまたしばらく俺は確実に生きられる。
「じゃあ、また来るわ」
「もう帰るのかよ」
 ちょっとしかいないじゃないか。
「昼から仕事があるんだわ」と洋平が言う隣で高宮も頷いた。
「じゃあなオースケくん」
 洋平がオースケに声をかけたあと、俺に向かって「よろしく伝えといて」と言ってきた。早くも洋平は悟ってしまったようだった。なぜ分かったのだ。首を傾げていると流川の名刺がテーブルの上に置いたままであったことに気付いた。これを見たのだろう。あいつ、やはり恐ろしい男だ。

 二人が帰った後、オースケは再び活発に動き出した。コタツを出たり入ったり。何が楽しいのかそんなことばかりしている。一度、入っていった足を捕まえて「お前さっきの奴らが怖かったのか?」と聞いてみた。
「こわくないよ」と頬を膨らました。
「でも全然喋らなかったじゃねえか」
「しらないひとだもん」
 なにか、ちゃんとしたことを言っている。
「知らない人とは話したらダメなのか?」
「そうだよ!」と胸を張った。
「でもお前、俺の時は最初から喋ってきたじゃないか」
「はなみちはしってるもん」と嬉しそうに笑った。
「知ってるって、それは今の話だろうが」と俺は呆れた。
 不意に、コンコンと音がした。
 心臓がドキッと音を立てて、背筋が伸びた。
 この音は流川だ。
「とーちゃん帰ってきたぞ」
 声をかけるとオースケがドアを開けに走った。

 流川は両手いっぱいに食料を持っていた。予告通りちゃんと迎えにやって来た。高校の頃はバスケで時間を忘れるようなやつだったのに、ちゃんと切り上げられるようになったんだな。成長を感じる。片や俺……。どうも流川といるとつい自分と比べてしまう。

 帰る間際、流川が物言いたげにしているので、「礼ならいらねえぞ。昼飯もらったしな」と先制した。
 そう言うのに、まだ俺をじっと見ていた。感情がつまったような視線を向けられて戸惑う。
 かつての俺はこの視線を誤解していたのだ。自分の気持ちと同じなんだとおもっていたのだ。また同じ過ちを繰り返してたまるかと思う一方で、でも、とも思う。この視線を本当に誤解するだろうか。誤解のしようのないひたむきな視線に思えるのだ。分からない。なんせ無口な男だから。
「行けよ。オースケが待ってるぞ」
 アパートの通路の手すりの隙間から外を眺めるオースケの後ろ姿がとてつもなく小さく思えた。

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