オースケは毎日やって来た。朝、トントンとドアを叩くところから始まる。大体八時三十分。ドアを開けるとちっこい流川とおっきい流川が一緒に立っている。流川は無表情だが、オースケは俺を見るなり花が咲いたみたいに笑うもんだから、俺もなんだか楽しくなってしまう。最初の頃はトントンという音で起きていたが、そのうち音が鳴る前に目が覚めるようになっていた。
オースケをつれて俺の家にやってきた流川はいつも言いたいことがあるような目をして、じっと見つめてくる。俺はそれをどうしても真っ直ぐに受け止める事が出来なくて、逸らしたり気付かないふりをしていた。少しでも何か言われたら破裂してしまいそうな、なにか爆弾みたいなものが自分の中にある気がした。まずいことにそれがどんどん育っている気がして、その爆弾を意識しないよう、気を張っていた。
流川は仕事に行って(いるのだと思う)、昼になるとなにかメシを買って現れる。決まって三人分。俺は現在無職で収入のない身であるから、この昼飯は正直に言うと大変ありがたかった。オースケはうちに来ると掃除をしたがった。どうも遊びのように思っているのだ。毎日しないでも良いんだぞと言うのにやりたがるものだから、俺の家は現在、史上最高に光り輝いている。
「ほら」
掃除を終えてコタツに入るオースケの前に、水の入ったコップを置いてやる。子どもと年寄りは放っておくと水分を摂ることを忘れるから気をつけろとどこかで聞いたのだ。
オースケは水を一口飲んでから、いつも持って来ている小さいカバンを手繰り寄せ中から小袋を取り出した。
「おかし、たべていい?」
毎回菓子を持参して、食べて良いか毎度律儀に聞いてくる。
「食っとけ食っとけ」
クマやウサギの絵が描いてある子どもっぽい菓子の袋を開けて「はなみちの」と一つくれる。口の中に放ると甘ったるい味が広がる。
「おいしい?」
「甘いな」と頷くと笑顔になる。もう一つくれようとしたので「俺はもういいから、おまえが食え」と断りを入れた。
「おまえ、保育園はいいんかよ」
尋ねるとオースケの手が止まった。
「いまおやすみしてるよ」
「なんで。お前元気じゃねえか」
オースケがそうじゃないというような顔をした。
「いまおうちが、ちがうから」
「お前ってあの家に住んでるんじゃねえのか?」
「うん」
合点がいった。いくらなんでもこんなに近くにいて五年も会わないという事はありえないだろう。流川達がこの辺に住んでいないならそれも納得だ。
「何でこっちにいるんだよ」
「おとーさんにようじがあるから」
「どんな用事だよ」
「しらない」と顔が曇る。話したくないのか、知らないからなのか。まあ子どもから聞き出そうというのが間違っているよな。しばらく静かにぽりぽり菓子を食べていたが、少しして「あそびたい」と言った。
「おう、遊べや」
いつもコタツ探検をしているからそれが始まるのかなと思いきや、今日は「はなみちとあそびたい」と言ってきた。
「なにしたいんだよ」
「ばばぬき!」
「え、二人でかよ」
「たのしいよ!」
頭を掻く。参ったな。二人でばば抜きをすることにではなくて、俺の家にはトランプがないのだ。しかし確かに、そろそろコタツ探検にも飽きただろう。トランプくらいはあってもいいかもしれない。
「よし、トランプ買いに行くか」と言うと「うん!」とオースケが目を輝かせた。
***
「トランプってこんな値段すんのかよ」
近所のコンビニに置いてあったトランプの値段を見て俺は仰天した。高い。六百円と税金。無職の俺には大変な出費だ。二百五十円くらいかと思っていた。
「たかい? おかねない?」
オースケが心配そうに覗いてくる。それを見て哀れに思う。もしかしてこの場合哀れなのは俺かもしれないが。いや、そんなことはない。誰も哀れじゃない。
「ああ高え。こりゃ買えねえよ」
「ぼくおかねあるよ、おとうさんが、なにかあったらつかいなさいって」
小さい手がカバンをさぐりだしたのを見て「そいつはとっておけ」と制止する。
「その金を使う場面は今じゃねえ。帰るぞオースケ」
小さい手を握って来た道を戻る帰り道、金がないというのは大変なことだなあと考えていた。飯も暖房もままならないし、なんと言ってもトランプが買えない。トランプが買えないなんて、金がないことは大変なことだ。
「トランプたかいねっ」
オースケが怒った様子で俺を見上げてきた。オースケの中ではトランプが悪いということになってしまったようだ。
「そうだな、でもトランプを恨むんじゃねえぞ。ところでおまえ、買えない時はどうするか知ってるか」
「しらない」と首を振る。
「買えない時はな」
「うん」
「作るんだっ!」
目をまん丸にしたオースケを連れて駆け足で家に戻った。
家中探して紙をかき集めて、こたつの上に赤と黒のペン、ハサミを並べて、いざトランプ作りだ。俺が切って数字を書いた裏にオースケが好きなようにトランプの模様の絵を描いていく。数字を書いている途中で紙が足りないことに気付いた。何から何までない家だとわが家を呪う。
「お前はばば抜きがしたいんだろ?」
「うん。でもぼく、しないでもいいよ」と遠慮がちに言ってきた。子どもに気を遣わせている。
「そんな簡単にあきらめるんじゃねえよ。やると決めたら最後までやるんだ。ちょっとくらい変でも最後までやるんだ」
ばば抜きがしたいというなら十三までなくてもいいだろう。十一までだってトランプだ。
その後、俺たちはせっせせっと数字と絵を書いていった。途中で何か違和感を覚えたが、なんとか十一までの風変わりなトランプは完成した。紙はぺらぺらで数も妙だがトランプだった。
「できた!」
オースケの顔が輝く。俺も同じ気持ちで深く頷く。
目の前に広がる全四十五枚のトランプを見て目頭が熱くなる。トランプの絵がまた良いじゃないか。一枚手に取り万感の思いをもって眺める。
「バスケットボールを描いたのか?」
「うん。おとうさんの」
「 そうか。 これはなんだ?」
手の長い尻尾のついた動物をさすと「サル」と答えて、あ、と口を押さえた。以前俺とした会話を思い出したようだった。
「どうぶつえんの、サル」と丁寧に言い足した。
「お前はサルが好きなのか?」
「サルは、おとうさんがすき」
「……とーちゃんはサルが好きなのか?」
「うん、しゃしんももってる」と俺を指差してパーッと笑顔になった。
「サルのか?」
「うん! いつもみせてくれる!」
流川はサルが好きなのか。写真を持ち歩くほどに。意外だ。高校の頃、俺がキツネと言うとアイツは決まってサルと言い返していた。あの頃からサルが好きだったのだろうか。それとも俺と会ったからだろうか。また何か変な期待をしてしまいそうになっている。いけないいけないと頭を振る。
赤い人間が描かれた紙もあって、これは俺かもしれないなと思った。って言うか、
「おまえってば、全部違う絵を描いたんだなあ……」
これじゃあばば抜きはできねえよ。全部丸分かりだ。紙はぺらぺらだし。もう一回厚紙みたいなもので作り直すのも良いかもしれない。もう作り方のコツは分かったしな。
「今日のは試作品だ。しっかりした紙を集めてもう一回作ろうぜ」
「いいよっ!」
思いつきで始めたが、作るってのもなかなかいいもんだ。
その後は、いつも通り流川が昼飯をもって現れた。
昼飯を食べている間中、オースケは自分が作ったトランプの話をしていた。全部並べて見せて、一枚一枚、嬉しそうに流川に見せていた。流川はただ静かに聞いていた。俺も高校の時、流川にこんな風に色んな話をしていた。気のきいた相槌を打つわけでなし、笑うわけでなし、ただ聞くだけの男だったのに、なんであんなに話したかったんだろう。それはしばらく二人を見ていると分かった。流川はちゃんと聞いているのだ。一言一言がちゃんと流川の中に入っていっている。オースケもそれが分かるから、どんなに無口でも嬉しそうに話すのだ。俺もそうだった。流川は聞いていた。いつも俺の話すことを聞いていた。同じ目を俺にも向けていた。それは間違いない。
流川の視線が俺に向いた。
「十一までしかない」
サルの絵のトランプを摘んで見せてきた。
「紙が足りなかったんだ」と答えると流川は目を少し丸くして口を緩ませた。
「桜木式トランプだ」
「どあほー」
微かに笑って、子どもに視線を戻した。