水先案内人

朝から暑さのせいで頭がガンガンしていた。
昼になっていよいよもって割れそうな頭を抱えていたら、チャイムがなって流川が現れた。
そうだ、約束をしていたんだったな。
今日の流川はスイカの土産付きだった。
玄関でスイカを持って立つ流川を見たとき、なんとも言えない気持ちになった。
流川だなあと思った。 それから、こいつはスイカが似合わねえとか、こんな暑い中よく来るなあとか、日に焼けないなあとかそういうことを思った。
スイカを手渡してきながら、少し怪訝そうな顔をして俺を見てきたので、「あんだよ」というと「別に」と返してきた。
それからセミの鳴き声にかき消されそうないつもの小さな声で「外、あつかった」と言った。
靴を脱ぎだしたルカワの向こうに見える白っぽく固まった外を見ながら、そら暑いだろと思った。

ルカワは何でうちにくるんかなあとまたぼんやりと考えた。
うちにはクーラーがないというのに。
強弱の区別がつかなくなったボロの扇風機しかないというのに。
なぜこいつはうちに来るんだろうなぁ。
おとなしく自分の家にいれば、快適に過ごせるのに。
そんなこと聞かなくても、答えは自ずとしれていて。
ありありとしたその事実に、少し目頭が熱くなる。

しかし今日はとにかく暑かった。ちょっと異常なまでに暑い。
からだがだるくて仕方ない。
アタマがぐらぐらして、なんかもう倒れそうだ。
と言うか実際フラフラする。
と言うか……

あ、やべ、一瞬意識とんだ?と思ったら、ドンという音がして、流川の手を肩に感じた。
ガンガンする頭を動かして少しみやれば、珍しく驚いた顔をした流川がオレを抱きかかえながら「チョーきけん」と言った。
スイカがおちて割れていた。
オレは倒れかかっていたらしい。
暑すぎて?いやまさか。
熱を計ってみたら案の定、俺は熱があった。
夏風邪か。

「さるだから」

一緒になって体温計を覗き込んでいたキツネが言った。
言い返す気にもならなかったオレは、本当にビョーキらしい。

看病なんか端から流川には期待していないが、病院に行くのもだるい。カゼくらいで病院なんていかねーしな。 こんなもんは自分で治す。
けれども、病気になった時の人の存在のありがたみというのもオレは知っている。
こんな時は決まっている。
洋平だ。
病気にはとにかく洋平だ。
昔から決まっている。
電話をしてくれと言うと、しかし流川はそれを拒否した。

「オレに言えばいー」
「おめーには無理だよ」
「おれのことをテメーが決めるな」

と、そう言うんだが。
この言い争いのセリフとして何かが、間違っている。でももうややこしいことを考えたくなかった。なにひとつ。
口げんかする気力が全然わかねえ。
もういいや。
どうにでもなれだ。

薬や食べたいものを伝えて買いに行ってもらうことにした。
多少の買い間違いは多めに見ようと自分に言い聞かせながら、伝えた。
出かける際に律儀にも「いってきます」と言ったのが聞こえて、少し笑った。
あっちの世界へと行っちまいそうな意識の中で、あれはこっちのセリフだなあと思いながら、 あいつが敷いてくれた布団に身をゆっくりと横たえて、タオルケットをぐるぐるとからだに巻きつけた。 心配事がいっぱい頭に浮かんだが。「ええい、ままよ」と頭をふって、とにかく俺は寝ることにした。

川でおぼれる夢を見た。
えらく流れの強い川だった。
だけど足は川底に着いている。
からだの半分以上は川から現れている。
それでもオレはおぼれていて。なんでだなんでだと叫びながら溺れていた。

はっとして目が覚めたら、首筋にいやな感じで水が垂れていた。

触ってみるがこれは汗じゃねえ。
たどれば、おでこに載せられていたタオルから滴っていて。
流川だ。

タオルに触れてみればべしょべしょで。
これはいったいぜんたいどうなってんだと考える。
わからねえ。
ああそうさ、アイツが考えていることなんていつだってさっぱりわからねえよ。
なんでべしょべしょなんだよ。
なんかもう泣きたくなってあいつを呼ぼうとしたが、声がでなかった。
やばい結構、重症だ。
オレ大丈夫なんかなと心細くなって、いよいよもって洋平だと思った。

電話をしよう。

水の滴るタオルをグシャっと握り締め、最後の力を振り絞って起きあがったとき、ガララと戸が開いて流川が皿を持って現れた。
起き上がっていたオレを見ると不思議そうな顔をして、それから「できた」と言ってきた。
粥だった。
・・・梅干しがやまもりの。
いや、もうそこんとこはいい。
梅干しなんかおめえどこで見つけたんだろうなぁ。

「食べるか」なんて聞いてきて。
お前が作ってくれたものを、オレが食べないわけがないだろう。
ひょいと台所のほうをのぞけば、床に置きっぱなしにされた買いもの袋からバナナが見えた。ポカリも見えた。スイカは片付けられていた。
洋平への電話はやめた。
同時にあの世行きを少し覚悟した。

粥はなかなかうまかった。
「うまいじゃねえか」というと、少し照れた顔をして「いっぷんにじゅうびょう」といった。電子レンジか。
俺は顔も知らない学者さんたちに心の中で手をあわせた。

それから、バナナを食わせようとしてきたが、それはちょっと遠慮した。 とてもじゃないが受け付けなかった。キツネが心配そうな顔をした。
その顔を見て少し笑う。
俺たちいつも血が出るまで殴りあってんのにな。

心配されて嬉しいが、心配させたいわけではない。
早く治さないとな。
薬を飲んで寝の体勢に入ったら、扇風機を向けてきて、「それはいらん」と辞退した。
顔に水滴を感じたので目をあけたら、先ほどのびしゃびしゃなタオルが目前に迫っていて、ぶるっと身震いがした。 タオルは絞ってくれと言ったら、ひとつ頷いて、絞りにいった。

熱で朦朧とした頭のせいで、自分がどういう状態にあるのかすら分からなくなっていた。
流川は定期的にタオルを替えてくれているらしかった。 それはこの世とのつながりを感じさせるもので、オレはおでこの上で心の安らぎを得ていた。
タオルがかわるたびに、ひんやりしたルカワの手の甲を首筋に感じる。
心配すんじゃねえと言っているのだが、この言葉はちゃんとやつの耳に届いているのか。
行ったり来たりする意識の中で、それだけを何度も思った。

暑くて。暑くて暑くて暑くて。
からだが痛いし、頭はガンガンするし。
なんというつらさだと思って、次に起きた時はけっこうはっきりと目が覚めた。

あたりはすっかり暗くなっていた。
いま何時だ?ルカワは?寝たのか?
喉が渇いたのでなんか飲みたいとからだをおこして横を向くと、思わぬ距離で流川と目があった。
そんなそばにいたら、うつるぞ。っていうかおまえこんな暗がりの中でなにやってんだ。電気つけろよ。

「水戸呼ぶか」

流川がポツリ言った。

夜よりも暗い部屋の中で。
そんな顔して、そんなこというやつがあるかよ。
冗談じゃない。
お前がいたから、オレはもう治るんだ。

「ポカリくれ」

少し間をおいてポカリをくみに行った流川の背中をみながら、明日には絶対に治ってみせると誓った。

わたしは風邪をめったにひかないから、どんなんだったか思い出すのに苦労しました。
2008/08/16