効果は絶大

 仕事帰りにスーパーに寄った。外の寒さを思うと 今晩は 鍋にしたいところだったが、今夜の流川は何時の帰りになるかわからないと言っていた。そんな奴と鍋はない。何かないかな、何を食べるかな。野菜コーナーから始まり豆腐、魚、肉、と見て歩く途中でチョコレートを見かけた。今日はバレンタインデーだ。赤、ピンク、金銀で賑やかに飾られたチョコレートの棚を見て、昼に生徒たちからチョコレートを貰ったことを思い出した。
 クラスの女子、いや男子もいたな、授業終わりにぞろぞろとやって来て「先生あげる!」とみんなで買ったというチョコレートを渡してきた。学校にそういうものを持ち込むのは禁止となっているが、今日みたいな日にそんなことを言うのは野暮だ。礼を言いながらありがたく受け取った。
 職員室に戻って袋から出してみるとチョコレートにカードが付いていた。赤いそのカードを開くと「先生いつもすごい!」と書いてあった。
 すごい、か~・・・・・・。
 眺めながらチョコを食べていると「あ、先輩、いいのもらってますね」と後輩教師が覗き込んできた。
「だろ」
「すごいって、先輩のどの凄さのことを言ってるんですかね」
「な」と頷いた。
 授業がわかりやすいことだろうか。近頃やたら手応えを感じることがある。それともこの前の跳び箱のことだろうか。請われて昼休みに跳び箱を跳んだら、国語の先生なのに運動神経も良いと騒がれた。俺としては跳んだだけなんだけれども。もしくはあれだろうか。名簿順に点呼をとらなかったことだろうか。朝の出欠を取る時にあいうえお順じゃなくランダムに呼んだ。一度も重複せず一人残らず全員の名前を呼んだら拍手喝采を浴びた。思い当たる「すごい俺」エピソードが結構あって、改めて俺ってすごいなと思った。
 思い出していたらまたジーンとしてきた。
 そうだ、俺も流川に渡そう。あいつにも俺のような喜びを味わってほしい。スーパーの棚から良さそうなチョコを一つ選んでカゴに入れた。

 家に帰って家事仕事を一通り終えてから、さてなんと書こうかと考えた。テーブルにつき流川へのチョコを傍らに置いて、思考を巡らせる。あいつの好きなところを書くのがいいだろうな。好きなところ。面白いんだよなあ。一緒にいると飽きない。別に冗談を言うわけじゃないけど何か面白いんだよな。意外なことを言ったりするし。俺とは違うところを見ているんだろうなって思う。でも別に何も言わなくても面白い。言っても言わなくても面白いなんてあいつすごいな。それってもう存在が面白いってことだろ? それはすごく良いことな気がした。よし、そう書こう。お前の存在が面白い、と。ペンを動かしかけたが、しかし待てよ、と思う。恋人宛てに書くのはありだろうか。ちょっと色気がない気がする。あいつは喜びそうな気はするが。俺が渡せばあいつは何でも喜ぶのだ。そのあたりには絶対的な信頼がある。ああ、そうか、そっちを書こうかな。なんでも喜んでくれてありがとう・・・・・・それもちょっと変な気がする。もっと「好きだ」とかの方が良いかもしれない。あれの時もその言葉を言うだけですぐにとろんとなるしな。この前の夜も、良かった・・・・・・・・・・・・そうだな「好き」がいいな。それが確実に良い。っていうか考えるまでもなくそうだろう。けれども、いざ書こうとすると恥ずかしかった。試しにテーブルにあったチラシの裏に書いてみた。「好き」と。
「!!」
 ぐしゃっとチラシを丸めて一人で照れていると、玄関の方で音がした。
 ん? と首をひねる。
 流川が帰ってきたのだろうか。
 珍しくチャイムが鳴らなかったが。
 様子を見に玄関に行ってみると、スーツ姿の流川の背中が見えたが、すぐに消えた。荷物が多いようでドアの向こうで音がする。上り口にさっきまでなかった大きな紙袋が二つ三つ、無造作に置いてある。紙袋からは赤やピンクのリボンが飛び出している。そうだった。こいつ、めちゃくちゃ貰ってくる奴だった。
「お前はお菓子屋さんか」
 全部の荷物を運び入れた男にそう言うと、「持って帰れって言われた」と口を尖らせた。今日はイベントがあると言ってスーツで出かけていった。スーツを着るといつにも増して見目が良くなる。ファンの皆さんはさぞお喜びになられたことだろう。現に恋人の俺ですらちょっと目を奪われる。コイツ、こんな良い姿で人前に出てきたんかよ。
「イベントはどうだったよ」
「フツー」
 屈んで靴を脱ぎだした時、つむじが見えた。あちこち舐められるように見られてきたのだろうが、つむじを見たのは俺くらいだろう。つむじを押すと、不思議そうに顔を上げてきた。つむじを押された顔を見たのも俺だけだろうな。そう思うとチョコレートの山も気にならなくなった。昼間の「すごい」の効果か、今日の俺は調子が良い。

***

 夕飯を温め直していると、着替えを終えた流川が隣にやってきたので「ご飯よそってくれ」と頼んだ。流川は一つ頷いてからペタペタと歩き二人分の茶碗を棚から出して炊飯器の蓋を開けた。ただ動いているだけなのに面白い。しゃもじで白飯をすくって茶碗に盛っている。と思ったら、ぎゅうっと白飯を押さえつけた。その上に白飯を盛ってぎゅうぎゅうと押さえつける。そしてまた盛ってまたぎゅうぎゅう。
「お前、ちょっとそれ盛りすぎだろ」
「腹減ってる」
「にしたって、それもう、はみ出してるじゃねえか」
「かまわねえ」
 わんぱくな奴だ。ふと、流川の動きが止まった。ちらっと俺を見てきたので「なんだよ」と聞くと「別に」素っ気なく言った。それから俺の茶碗を手に取り盛り始めたのだがさっきとは勢いがまるで違っていた。ぎゅうっが一回もなかったのだ。
「おい、俺だって腹減ってるんだ、もっと盛れよ。ぎゅうっをしろよ!」
 俺の抗議には聞く耳持たずで、山盛りの茶碗と谷みたいな中身の茶碗を持ってテーブルに行ってしまった。いきなり元気がなくなった。今の間に一体、何があったというのだ。
「食い過ぎを想像して腹でも痛くなったか、ハハハ」
 肉炒めを乗せた皿を持って近づくと、責めるような目をして見上げてきた。
「何だよ」
 ぷいっと反対側を向かれた。
「言えって」と肩のあたりを小突くと、間をおいて「それってなに」と言ってきた。流川の視線をたどると俺が買ったチョコの箱に行きついた。
 すっかり忘れていた。
「もらったんか」
 迂闊だったな。いらない誤解を招いてしまったようだ。
「それはお前のだ」
「俺ンじゃねー」
「俺がお前にやるやつだ。さっき帰りにスーパーに寄って買ってきたんだ。俺がやらねえと俺らの間では永遠にチョコは回らねえし。それともお前は山ほど貰って帰ってきたからもういらねえか?」
 手をぬっと出してきた。渡せという手だ。カードを添えて渡すつもりだったが、見られてしまったし、もう渡すことにした。
「ほら」
 手の上に箱を載せた途端、みるみるうちに流川の顔が明るくなっていった。カードも付けたらもっと喜んだろうなと悔やんだ。さっさと書けばよかった。

「うれしー」
 流川の口からは聞いたことのない言葉だった。
「嬉しいか?」
「うれしー」と見上げてきた。目がキラキラしている。素直な言葉と態度に俺まで嬉しくなる。喜びでいっぱいの顔が可愛かったので頬を指の腹でなぞる。面白いやら可愛いやら、それでいて、たまにすっげえかっこいいしな。つくづくすごい奴だ。
 腕を引いてきたので中腰になると、 流川がチュッと唇にキスをしてきた。
 キスをされながら、やっぱり後でカードも書こうと思った。

おしまい

2020/02/18