二人でお茶を2

 窓からひんやりとした風が入ってきて秋を感じる。十月の日曜の夜だった。時刻は八時をちょっとまわった頃、そろそろだなと思ったのと同時にピンポンとチャイムが鳴った。恋人の帰りだ。カギを持っているのに、いつまで経ってもクセがなかなか抜けねえなあ、あのキツネは~とにやけた顔をしながらドアを開けると三日ぶりの流川が立っていた。大きな荷物を肩にひっかけて、靴を半分脱ぎかけている。
「おかえり」と言うと「ん」と言っていつものようにみやげ袋を渡してきた。今回は紙袋か。「また大量だな」と苦笑いしながら受け取る。地方に遠征に行くといつも沢山の土産を買ってくる。目についたものを片っ端からカゴに入れてるのだろう。自分はほとんど食べないくせにな。そのくせ俺がうまいと言ったものは覚えていて、次行ったらまた買ってくる。上がり口に足をかけた男の腕を引いて「ただいまを聞いてねえぞ」と言うと、チュッと軽くキスをしてきた。アメリカ人め!くそおっ!火照った顔を戻すのに苦労した。

 居間に入ると流川はソファに直行した。テーブルにつくことが多いが、今日はよほど疲れているのか早速ずずーっと身を沈めている。さっさと好物を飲ませて風呂に入れようと支度をする。鍋に牛乳を入れて温めている途中、さっき渡された土産袋が気になった。流川が買い物をすることなんてめったにないから、あいつがなにを買ってきたのか興味があるのだ。今回のお土産はなんだろなと出してみた。黒糖ドーナツ棒、いきなり団子、からし蓮根・・・・・・熊本かと土産で知る。土産が役割をしっかり果たしている。ふと袋の底の方に束になって埋もれている紙を見つけた。

「なぁーーーーーんだこりゃああああああああああ」

 二十六歳男子らしからぬ俺の雄叫びにソファでうたた寝をしていた流川が弾みをつけて起き上がった。いつになく迅速な動きを見せた流川は驚いた顔で俺を見てきた。その驚き顔を俺はキッと睨み付ける。ガスレンジの火を消して、後はもう注ぐだけという状態の鍋をガンっと調理台に置く。足を踏み鳴らして寄っていき、流川の目の前で紙袋を逆さにしてバサバサと振った。ハラハラと雪が舞うように紙が落ちてくる。何枚も何枚も何枚も。それを見て流川が「しまった」という顔をしたのを俺は見逃さなかった。傍目には無表情だろうが長いつきあいの恋人の俺にはすぐに分かる。明らかにマズイという顔だった。

「キツネ、なんだこれは」
「・・・・・・」
「お前が持ち帰ってきた紙袋の中に入ってたんだぞ!名刺の山!全部、女の人の名前じゃねえか!どこ行ったらこういうことになるんだよ!」
「飛行機」
「飛行機で行ったところを聞いているんだ!あほっ!」
「どあほーが。ひこーきで渡してきたんだ」
「はあ?」
 落ちていた名刺を拾い上げ一枚一枚をよくよく見ると確かに航空会社のマークがどの名刺にもあった。
「・・・・・・客室乗務員さんからいただいたのか?これ全部?」
 俺を睨みつけながら頷いてきた。
 ちょっと落ち着こうと息を吐く。流川の隣にすとんと腰をおろす。
「スチュワーデスさん・・・・・・男たちの永遠の憧れという・・・・・・」
 高宮たちがよくやんややんや騒いでいる。制服が良いだの、飲み物くれるだの、優しくされると嬉しくなるだの。
「テメー、憧れてんのか」
 流川の顔が剣呑なものになる。俺も負けじと剣呑を返す。
「俺がどうのこうのはいいんだ。これ普通の量じゃねえぞ。乗ってたスチュワーデス全員から貰ってんじゃねえのか」
「知るか」
 出た。”知るか”。いつもはこの辺で解放だが今日の俺はちょっと違っていた。
「飛行機の中で一体なにしてたらこういうスチュワーデスさんから名刺をもらう、みたいなことになるんだよ。聞いたことねえよそんな話。後学のために聞かせろ。なにやってんだ。筋トレ的なことをしてんのか」
「寝てる」
 信憑性ある。
「なんで寝てる奴が名刺もらうんだよ、おかしいだろ。もらってんなら起きてるってことだろ」
「勝手に入れてんだろ」
「勝手にこの袋に入れてるって言うのかよ」
「・・・・・・寝てるから知らねえ」
 この要領を得ない感じが逆にリアリティがある。
「そもそも飛行機って荷物をどっかに預けたりするんじゃねえのかよ」
 飛行機なんてほとんど乗らねえから俺はよくしらねえけど。
「俺は土産は預けねえ」と言って、またごろんと横になった。なんか最後の言葉だけキメ台詞みたいに聞こえたが、ぜんぜん意味が分からない。
 飛行機は土産袋は預けないようになっているのだろうか。これこそ預けたいだろ、かさばるし。わざわざ土産袋だけ抱えて飛行機に入っているのか。そんで紙袋を抱えて寝ている隙に、名刺をぽんぽんと入れていかれてるのか。意味わかんねえぞその光景。意味わかんねえけど、でもこいつが意味分からないほどモテることは確かだった。俺はもういやというほど知っていた。高校のときからずーっとだ。どこに行ってもずーっと騒がれて異様にモテていた。何でこんなにモテるんだ。前世で何したらこんなにモテるんだ。ってかなんでこいつばっかりこんなにモテるんだ。モテるってなんだ。・・・・・・いかん、頭が混乱してきた。
 形勢を立て直そうといったん俺の陣地(ガスレンジ前)に戻る。つまみをひねって、チチチチチッと点火する音で少し落ち着く。とりあえず流川スペシャルを温めなおす。沸騰する直前で火を止めて、流川のマグカップに注いだ。それを持って再び流川が横になるソファーに行く。木製のローテーブルに置くと、コトっという音で流川が目を開けた。待っていたのか、すぐに手に取って口をつけた。
「じゃあ結局どの名刺が誰のかってのはおまえはわからんということか?」
 先ほどの話題をまだ引きずっている俺に、流川が心底鬱陶しそうな顔をしながら頷いた。
 顔と名前が一致しないような名刺の渡し方をしてどういうメリットがあるのだろうか。名刺を渡すだけで良いのか?印象付けはしないでいいのか。一度しかない出会いだからこそそんな大胆な行動に出られるのか。その時、さっきの流川の「しまった」という顔を思い出した。
「・・・・・・おめえ、もしかして、いっつももらってんのか?」
 ギクリという顔をした。珍しいな、こいつがそういう顔をするのは。
「そうか、今までももらってたのか」
「いつもじゃねえ」
「うそつけ」
 こりゃもらってんな。俺の中の嫉妬の炎がめらめらと立ち上る。
「電車のときはもらってねえ」
「新幹線にはスチュワーデスはいないからなっ!」
 久々に尋常ならざるモテを見てオレは動揺していた。頭の中は大パニックだ。いきなり足を蹴られた。
「って!」
「何で怒ってるんだ」
「別に怒ってねえよ。呆れてんだ」
 そのままじーっと見つめられた。なんだかイライラとムズムズとモヤモヤが俺を襲ってきた。目を反らして立ち上がった。
 大変不愉快で、大変おもしろくない。はっきり言ってこいつばっかりもてるのが面白くない。モテたところで流川がなびくというそういう心配はなかった。でもこいつばかりモテることに関しては思うところが大いにある。何でこんなにこいつはもてるのか。死ぬほど考えてきたことだが今一度考えたい。流川の中身を何も知らない人間にとって流川の魅力は一体どこにあるのか。顔か。バスケか?有名人だからか?あと考えられるのは・・・・・・背丈か。だが背丈だったらむしろ俺の方が勝っている。顔だって愛嬌のある顔だ、悪くない造作だと忠や高宮のばあちゃんに昔から言われてきた。でも流川みたいに騒がれることにはならない。流川なんて寝てばっかだし料理はしねえし洗濯やらないし掃除したことないし無愛想だし寝てばっかだし・・・・・・まあそれでも俺は惚れてるわけだけだが、それはそういうところにも魅力を感じているからであって、そしてその他にも長いつきあいだからこそ知ってる魅力みたいなのが山ほどある。それら全部ひっくるめてオレは惚れていた。でもそれは見ず知らずの人間には分からないことだ。それでも一目見ただけの女の人たちにこんなにも惚れられる。やはり顔か。確かに顔は良い。認める。俺もたまにちょっとハッとさせられるときがある。でも顔が良いやつなんてほかにもたくさんいるが、みんなが流川みたいなことにはなっていない。なぜ流川だけがこんなにモテるんだ。わからん。ぜんぜんわからん。分からないが過ぎて気づいたら「俺が女だったらおまえには惚れねえ」と口走っていた。

***

「そりゃおめえが悪いわ、花道」
 目の前で洋平が呆れた顔をした。枝豆が山ほどのった皿をでんっと置いた。早速高宮が手を伸ばす。
 俺の一言で流川はすっかり気分を害したらしく、その後からまったく口をきかなくなってしまった。いつもの悪口とは違って聞こえたらしい。口どころか、そばにすら寄らなくなってしまった。朝のあいさつもお帰りのあいさつもお休みのあいさつもキスも添い寝も全くなくなってしまった。俺が作った飯には箸もつけない。四日くらいそれが続いて、ついに家を出て行ってしまった。それはまあ遠征でだけど。仕事だ。でもいつ帰ってくるのかを言わずに行ってしまったし、突然だった。俺が仕事から帰ったら、いなくなっていたのだ。
「俺が流川でもムカっとくるわ」と高宮が言う。「オレも」「おれも」と残りの忠と大楠も続けた。
「てめーらは流川じゃねえだろーが」
「俺らが流川だったらっていう話だろ。仮に、の話だ」
「すげえムカつくわ」と忠が言って、そのあとに大楠が「ムカつくな」と続け、「おれも」「おれも」と高宮と洋平が続いた。息ぴったりで俺を包囲してきた。
 こいつらは最近いつも流川の味方をする。俺をからかっている部分もあるが、けっこう本気で流川の味方をするのだ。だから俺はこいつらには極力、流川とのケンカの話をしないようにしている。徹底的に責められるばかりだから。が、今回はもうどうしようもなかった。自分では解決できないのだ。しょうがなく洋平に助けを求めたら運悪くちょうど隣りに高宮がいたらしく、あれよあれよという間に皆に広まり、洋平の家に全員集合だ。
 俺はすっかり参っていた。俺の放った一言は相当まずかったらしい。あんなに流川が怒ることは滅多にない。普段はわりとさっぱりした奴だから気に入らないことがあっても殴って終わりだ。尾を引かない。だけど今回はぜんぜん違う。殴るのも悪口もなし。完全に無視されている。そんなのされたら降参だ。謝ろうにも遠くに行ってて会うことができない。携帯電話にもでない。だって携帯していないから。あのヤロウ、携帯電話を家に置いて行きやがった。
「なにがそんなにいけねえのか・・・・・・教えろよ」
 しょぼくれて降参の白旗を振る。
「まあとにかく言えることは、イラっときたということだな」
「ああ。なんかしらんが聞いた途端、ムカっと来たな」
「わけも分からず舌打ちが出るというんかな」
 高宮と大楠のやりとりに頭にくる。
「てめえらもわかってねえんじゃねえか!」と枝豆の皮を投げつける。ワハハハハと笑われる。酒が入っているからか、いつも以上に適当だこいつら。
「でも花道が悪いのは確かだぞ」とまた言われた。
「女だったら惚れねえってのが、まんまよくねえだろ」と忠が言う。空の枝豆を取っていて「それ皮だけだ」と洋平が言っている。
「でも女だったらって言ったんだぞ。俺は男だから別にいいじゃねえか。何の問題もねえじゃねえか」
「じゃあ、おまえ女だったら誰を好きになってんだよ」
 高宮が聞いてきて、ちょっと考える。誰も思いつかなかった。というか流川の顔が浮かんだ。
「女じゃないからわからん!女だったら流川と仲良くなっていたとは思えんし!」
 叫ぶと、四人はいっせいに「うーん」と唸った。ふと気付いたように洋平が口を開いた。
「逆に聞きたいんだけどさあ、お前って流川が男だから好きなんか?」
「え・・・・・・」
 そんなこと考えたことがなかった。俺は流川が男だということは知っているが男だから好きというわけではなかった。それに流川に惚れる前は女の人が好きだった。女の人というだけでドキドキして好きになっていた。でも流川に会ってからは女の人には興味がなくなった。流川以外の人間に性欲みたいなものが沸かないのだ。その流川は男だ・・・・・・ということは・・・・・・
「俺は男が好きなんだろうか」
「こっちが聞いてるんだろ」と笑われる。
「わかんねえよ。流川は流川だろ。男とか女とかそういうの関係なしにあいつは流川なんだ。アイツが男だったらとか女だったらとかそういうのはねえよ」
「だからそういうことなんじゃねえの」
 洋平がまとめモードにはいっている。今日は早いぞ。やばい、ぜんぜんわかんねえ。
「そういうことってどういうことだ」
「だーから、男だったらとか女だったらとか、桜木花道は条件付きで人を好きになるのかよ」
「そんなの俺じゃねえ!」
 反射的に叫んでいた。
「そうだろ?」
「たらればの話で愛情が増えたり減ったりするみたいなこと言われたらお前ならどうよ」
「ムカつくぜ!」
「そうだろそうだろ」
「お前はそれをしたんだ」ビシっと忠に指を指された。グサっと来た。そうだったのか・・・・・・!
「謝ってこい」
「男とか女とかそんなこといくら考えたってどうせ俺らにはよくわからねえんだから」
「とにかくもう堂々と謝ってこい」
「安心しろ。百パーセントお前が悪いから」
 100パーって・・・・・・。でも徹底的に糾弾されてよかった。持つべきものは愛する恋人の味方をする友人達なのかもしれない。

***

 いつ帰ってくるかも言わずに出かけていった男は日曜になっても戻ってこなかった。遠征と伝道師の仕事が重なると、そういうことはたまにあるが、今回に限っては事情が事情なので悠長に構えていられずハラハラしていた。もう二度と帰ってこないのではないかと不安になっていたら、週の半ばに突然帰ってきた。俺はとても安堵した。
 ただ帰ってきたからといって問題が解決したわけでもなかった。流川は出て行ったときと同じ調子だった。まずいつもとは帰り方からして違っていた。ピンポンを鳴らさないで鍵を使って入ってきた。「よお」と言っても何も音を発さなかったし、お土産がなかった。別に土産を待ちわびているわけではないが、いつもあるものがないと悲しかった。なくなった分だけ俺のこと好きじゃなくなってしまったように思えて悲しくなってしまった。と言って、俺が落ち込んでる場合じゃない。とにかく謝るのだ。そう思っていたら、流川は荷物をおいて、さっさと風呂場に向かってしまった。慌てて追いかける。腕を掴むが振り払われた。めげずにもう一度掴む。
「俺が悪かった!」
 ギロっと睨まれた。ド迫力にちょっとひるむ。
「悪かった。俺が女でも男でもお前が男でも女でも男でなくても女でなくても」
 ちょっと、自分で言っててわけがわからなくなってきた。
「意味分かんねえ」
 案の定冷ややかにつっこまれる。でも久々に声が聞けて嬉しくなる。勢いがつく。
「とにかく性別如何を問わず俺は、お前が、す、好きだってことだ!」
「この前はそう言わなかった」
 怒っているのだとばかり思っていたけれど、悲しそうに見えた。傷つけてしまっていたのか。そんなつもりは全くなかった。
「この前の俺はだめだった。あれはナシだ」
「別の奴がいいって言った」
「そんなことは言ってねえぞ!」
「言った」
・・・・・・そんなことは言った覚えはないが、そんな風に聞こえていたのかと愕然とする。
「それは浅はかなウソだ。ウソというか気の迷いだ。口からでまかせだ。オレが男でも女でも俺にはお前だ」
 女になったことがねえから分からねえけどきっとそう思う。なんべん会ってもどんな姿で会っても俺は流川に惚れる。まだ信じ切っていないような目で見られて、「本当だ」と掴んだままだった腕を引っ張ると、素直に引っ張られて俺の腕の中におさまった。ああ流川だとギュウッと抱きしめると、二回ほど脇腹をグウで殴られた。すげえ痛かった。さすが流川だ。容赦ない。

 それから何週間かぶりに裸になって抱き合った。久しぶりの流川で飛び掛りそうになる自分に待ったをかける。今回は、反省もあって徹底的に優しく丁寧にするつもりだったのだ。が、そういったものは全く求められていないようで、流川は情熱的なのを欲しがった。ふたりして互いの体に夢中になって、欲をぶつけあった。動物みたいだった。でも合間に流川は何度か切なそうな目で俺を見てきた。それを見てまだちょっと傷ついてるんだろうなと思った。だからそのたびに流川の好きなキスをした。ごめんと好きだぞを込めて丁寧に優しくした。流川はそれを喜んで体を何度も震わせた。

***

 翌朝はもういつも通りの流川だった。起きてきてテーブルについているが、半分以上夢の中へいってる感じだった。
「お前、今回はどこに行ってたんだよ。ずい分長いこといなかったじゃねえか」
 寂しかったんだぞ、と心の中で付け加える。
「九州」
「また九州かよ。九州のどこだよ」と尋ねると、「あ」という顔をして急に立ち上がった。
 それからいつも持ち歩いている鞄を開けて中からビニール袋を取り出した。土産袋だった。今回も買ってくれていたのだ。
「土産」と渡してきたのをしばらく見つめてから、土産ごと流川を抱き寄せた。

おしまい