こぎつねコンコン

部室を出たら、クケコーと聞こえてきた。
ああ、今日も間に合わなかった。
演劇部は練習開始が俺よりちょっとはやい。だからいつも出だしが分からない。 サ行からはもうわかるんだ。ア行と、カ行の最初がわからねえ。
わからねえのなら作るまでだ。
うむ。

あかんぼ あかいな あいうえおー

いい感じだ。さすが天才
カ行は、なんだろなぁ。

こぎつね コンコン かきくけこー

ぷぷぷっ!キツネの顔が頭に浮かんだ。

クスッと聞こえてきた。
振り向いたらおんなのひとたちがオレを見て笑っていたので恥ずかしくなった。 声がでかかったんかなと反省して、ちょっと小さい声でこぎつねコンコンと歌った。
また笑われた。
まだでかいかな。
このままずっと笑われるんかなと心配しながら、さらに小さい声で歌いながら体育館へと続く渡り廊下に足を踏み入れた。 踏み入れた途端、何かのスイッチを踏んでしまったかのように、大きな風がぶわっと吹いて、そんでおんなのひとたちが「きゃあ」と言った。 見れば、持っていた真っ白な紙が中庭一面に、あいつが台所に牛乳こぼしたときみたいに、わーっと散らばっていた。
「やだー」と言って腰をかがめて拾っている姿を見ていたら、貝掘りを思い出した。アサリが食いてえ。

大変そうだったのでオレも中庭に入って、一緒になって拾った。
酒蒸しかバター焼きか、あいつはどっちが好きだろうなぁと考えていたら、「ありがとう、桜木君」と言われたので驚いた。 どうしてオレの名を知っているのか尋ねたら、「有名人だもん!アハハハハ」とバシバシ肩を叩きながら言ってきた。 なんで笑われたのかがわからなかったが、笑い方が彩子さんに似ていたので、そう言ってみたら、彩子さんを知っていると言った。 ちょっと嬉しかった。リョーチンも知ってますかと尋ねたら、リョーチンのことも知っていると言って、さらに嬉しくなった。 次はカクにしようかシオにしようかと考えながらヤスのことを言おうとしたら、なにかを感じて、はてなにかなとキョロキョロ探してみたら、 渡り廊下にキツネがいた。

キツネはじっとこちらを見ていた。
まっしろいけどなよっちくない、白と黒が印象的なキツネだ。
あまりにじっと見つめてくるので、オレも見つめていたら、ふいっとあっちを向いて行ってしまった。

野生のキツネに会ったような気持ちがした。

「もちろん流川クンも知ってるわよ」

おんなのひとが言ってきた。
そうだった。あのキツネの名は流川というんだったなあと思い出した。
流川が向かった先はオレと同じ体育館のはずなんだが、なんかまるで山に帰って行ったかのようだった。

なんだったんだろうな、さっきのあの顔は。

ヤキモチを妬いたんかなぁと思ったが、そういう感じでもなかったし。
でもそうじゃないとも言い切れない。
あいつはまれにああいうことがある。
何だったんだろうなぁ。

「サクラギー!」

ミッチーが呼んで来たので、おんなのひとたちに別れを告げて、オレは急いで体育館に向かった。

練習がはじまっても、キツネはおかしいままだった。

「キツネ」と話しかけても、しらんぷりをしやがる。 引き続き野生のキツネだ。

「ダンマリルカワむっつりぎつね」

背後に回ってこっそり言ってみた。
ちらっと見られて、無視された。

「こぎづねコンコン」

歌ってみた。
じいっと見てきたので、「一緒に歌ってみるか?」と聞いたら、あっちに行ってしまった。
「やまのなかー」と歌いながらミッチーが前を通り過ぎた。

***

結局、練習の間中、ルカワはだんまりのままだった。
気にならないわけがないので、練習後の掃除の途中に、「ラーメン屋に寄らないか」と誘ってみた。 ルカワが答える前に、リョーチンが「行く!」となぜかジャンプしながら言った。着地したリョーチンが 「三井さんも行きましょうよ」と言ったら、ミッチーも跳ねたあと、「おう、行ってやる」と言った。 そのあとふたりで、俺の方が高く跳ねた!と言い争って「ルカワも跳んでみろ」と言ってきた。 ルカワが跳ぶそぶりを見せたので、「跳ぶ前に答えろ」と行くのかどうかもう一度尋ねたら、ちょびっとだけうなずいて、それからルカワもやっぱり跳んだ。ルカワが一番高く跳んだ。

「今日、リョーチンと彩子さんのこと知ってるって人たちに会ったぞ。」

ラーメンの湯気の向こう側に見えるリョーチンにそう言うと

「だれだれ!?お似合いって?」

りょーちんはいっつも思ったとおりの反応を返してくる。

「あっほ」
「あほだなぁリョーチンは」
ズルルルーっとキツネが麺をすする。

「誰に会ったの?花道。」
「んー・・・おんなの人だったな」
「桜木よぉ~うちのガッコの半分はオンナだぞ」
「そうなんか」
「顔とか髪型とか、おぼえてねーの?」
「んー・・長かったかなー。おいキツネ、シナチクやろう」
「いー」

本日初めて口をきいた。

「好きなくせして、無理すんな。ほらやるって」

箸でつまんで入れようとしたら、くいっとどんぶりを、引きやがった。
シナチク挟んだオレの箸が宙で止まる。

「宮城センパイのをもらう」
「えっ・・・・・オレ、やるっていった?」
「クダサイ」
「妙なやつだなぁ。よし!新キャプテンの懐の深さを思い知れ」

そう言って、リョーチンがルカワのどんぶりにシナチクを入れた。

「ッス」

奇跡だ。頭を下げてやがる。
なんだよ、オレがやるって言ってんのに。わざわざとっといてやったのに。
ちょっと傷ついたぞ。

「じゃあ、俺のはリョーチンにやる」
「なんか、シナチクがぐるぐる回ってんなー。よしオレは桜木にねぎをやろう」

そう言って、ミッチーが箸でねぎをつまんで見せてきた。

「なんかばっちいぞ、ミッチー」
「んだとこら」

そのあと、ミッチーとリョーチンが、地球の人口について語りだした。ルカワもたまに相槌を打っていた。 日本の人口は減るのか増えるのかというところになって人口が減る場合、ロボットが活躍するなと、オレがロボットの話をした途端、キツネが妙な顔をしやがった。
そのあともオレが口を開くたびに、キツネは妙な顔をしやがった。
怒ってる顔とかじゃなくて、なんかへんてこな顔だった。
今日のキツネはホントにへんてこだ。

リョーチンたちと別れて帰り道、キツネとふたりっきりになる。
大勢いたあとになるふたりっきりは、最初からふたりきりだったときより照れる。いつもはここでモジモジするオレだが、今日のオレはそんな場合じゃない。そんなことより怒っている。

「今日のお前なんだったんだよ。なんか感じ悪かったぞ」
「べつに」
「なんだよべつにって」
「べつに」
「オレのシナチクだってよぉ、無視しやがって。ああいうのって、ムカっとくっぞ!」
「欲しいなんていってねー」
「なんだよその言い方!」
「べつに」

べつにべつにって!お高くとまった言い方しやがって!どうしてそんなにくったらしい言い草ばっか知ってやがるんだ!

「もーいー!テメーなんかしらねえ!ひとりで勝手に好きなだけ、未来エイゴーつんけんしてろ!!ゴシューショーさまっ!!!」

あったまきた。
アイツをほっぽって、オレはずんずん歩いてやった。
なーんなんだアイツは!
なーんだっつうんだ、あいつは!
ずんずんずんずん歩いてやる。

でも・・ちょっと・・飼っていたキツネを野に放してしまったかのような気持ちがして・・気になって、後ろを見てみた。

キツネがこっちを見ていた。

「・・・謝ったら許してやるぞ!」

ぷいっとそっぽを向きやがった。

再びムカッと来たので、また歩いてやった。
ずんずんずんずん
・・・やっぱりちょっと・・もう1回見てみた。
まーた見てやがる。

「あと10秒待ってやるぞ!」

再びぷいっとしやがった。
でも、今度はムカッと来なかった。
来た道を後ろ歩きで戻っていったが最後の一歩の目測を誤り、キツネにどんっとぶつかった。 ぶつかった時に反射的にキツネの手が俺の身体を支えて、かすれた小さな声で「どあほう」と言った。そのひとことにオレは不覚にも泣きそうになる。
ルカワの言う「どあほう」いつもはすっげえ腹立つけど、でもこんな風に、例えばケンカとかで、長い間こいつの声が聞けなかったとき。 ケンカを終えて聞く「どあほう」は、響き方がいつもとまったく違う。柔らかくてあったかいもんにぐるぐるくるまれたような気持ちになる。 そして、いつもちょびっとだけ泣きそうになるんだ。おめー、オレの心のそこんとこ、ちゃんと知ってんのか。

「なぁオメー、どーしてそんなにつんけんしてんだ」
「もう10秒たったぞ」

・・・こういうとこはいつもとかわらず憎らしい。

「もうそれはいいんだよ。なぁどーしたんだよ」

言いながらキツネの冷たい手にちょっと触れてみる。
キツネの手がピクってなる。

「なぁ」
「しらねー」
「わからねえのか?」
「テメエがすっげえむかつく」
「あんでだよ」
「わからねー」

そこでオレはピンと来たんだな。

「いつからむかついてんだ」
「練習のとき・・まえ・・・きのう・・今日・・・?」

混乱してやがる。

「おれがおんなのひとたちと話してるときからか?」
「そー」
「むかっときたんか?」
「イラっときた」

やっぱり。
ヤキモチやいてやがったんだ。
なのにそれに気付いてねえんだなあ。
呆れたものしらずだ。
にぶいというか、愚かというか、キツネというか、野生というか。

「おめーそれ、やきもちやいたんだぞ」

言ったら、眉間にしわを寄せた。
「餅なんて」ととんちんかんなこと言いだす前に、言っておかなければ。

「おめーが機嫌を損ねる必要なんてまったくねえんだぞ」
「おれのことを、テメーが決めるな」
「かわいくねーの。なぁ、おれんち寄ってけよ。」
「なんで」
「来て欲しいからだよ」

さっきまでイライラしていたキツネの目が、おとなしくなった。

「来るか?」

おれがそう尋ねたら、キツネはいつものように「くる」となっていない日本語を返してきた。

そのあと今日作った歌を聞かせてやった。「どうだ」と歌の出来を尋ねたら、キツネは、聞くために閉じていた目を開けて、

「いーと思うけど、あかんぼじゃなくて、あめんぼだ。」

と訂正してきた。あめんぼが赤いなんてイミフメイもいいとこだと思ったが、キツネの訂正が嬉しかったのでおとなしく直すことにした。 「カ行はどうだ」と聞いたら、「それはテメーの好きにしろ」と言った。

だからオレはそのあとも、こぎつねコンコンかきくけこと歌っている。


むか~しに書いた話です。
へんてこりんなお話ですね。
2018年3月27再アップ
↓過去のあとがき
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演劇部の発生練習は、あめんぼあかいなあいうえおーなのです。
カ行は、柿の木栗の木 かきくけこ が正しいのです。
るかわくんは中学の時も部活動を頑張っていたから、知っているのです。
ア行もカ行もほんとは全部知っているのです。