⑦クリツマツスピリッツだぜ、花道!

 その日、赤木家四男坊・花道はぶるっと震えて目が覚めた。
「おそろしいよかんがするぜ」
 天井に向かってひとりごちたあと、むくっと起き上がり、隣りに眠る3か月だけ兄である楓のからだを「キツネ」と呼びながらひとつ揺らす。キツネと呼ばれた彼の鼻がピクっとするのを確認したあと、枕元においてある自分の洋服を手に取り「たむいたむい」と着替えだす。 寒さのあまりにその場にしっかり立っていられず、足をトトトとさせながら着替えていると、続いて楓も目を覚ます。
 花道と違って起きた後もしばらくはぼーっとする楓の頭だが、花道の発する音には反応する。ぼんやりしている頭にだんだんと入って来る花道の歌のような声とトトトという音。
 その音に誘われるようにゆっくりと花道を見やると、花道が賑やかに着替える様子が楓の目に映る。その途端、彼は覚醒する。やはり花道と同じように枕元に用意されてある服を手に取り、遅れを取り戻そうと急いで着替える。
「おれのほうがはーやいー」
 着替え終わった花道は、楓にイーッとそう言って、上の兄たちの部屋を目指してパタパタと駆けて行く。先を越されたと悔しそうな顔をしながら、楓も急いで服に着替えそして部屋を後にする。
 花道が兄たちの部屋へ入るとリョーチンもミッチーも、だいたいいつもまだ眠っている。
 そこへ起きろと乗っかるのが花道の次の仕事だ。
 リョーチンは「はぁやれやれ」と起きてくれるが、ミッチーはそうはいかない。まるで起きないし、起きても機嫌が悪い。寝起きの悪い人間を起こすと、起こした方がいやーな気持ちになるものである。 起こすのをついためらってしまう花道とリョーチンである。
 そこへ楓が投入されるのだ。
 人の機嫌の良し悪しなど全く意に介さない楓は、実に寝起きの悪いミッチー向きである。気にならないから怖いものがないのだ。ミッチーの機嫌が良かろうと悪かろうとそんなことはオレには関係ないと言わんばかりに、どんどん積極的におこしていく。ミッチーの弟として生まれてからこれまで、その寝起きの悪さに辟易していたリョーチンと花道は、こういうときの楓のマイペースぶりには、すげえなぁとただただ感心するばかりである。

 下のふたりに起こしてもらったりょーちんとミッチーは、花道と楓のちぐはぐな洋服の着方を直してやるのが仕事である。小学生になったばかり弟たちは、まだちゃんと洋服が着れないことがあるので、手と口を出してやりながらそれを正していく。ふたりの服を直してやりながら、おにーちゃんたちの頭もしだいに覚めていくのだ。
 赤木家の子ども達は、実に美しい兄弟愛で朝を迎える。
「なんかおきたときぶるってきたんだ。ムチのよかんかな」
 いつものようになっていない服の着方を直してもらいながら、花道は今朝、起きぬけに感じた不調をうったえる。体調が悪いわけではなく、ただ、嫌な予感がするだけなのだが。
「それを言うなら、虫の予感だろ」
 りょーちんが派手な靴下を履かせてやりながら、弟の言い間違いを訂正する。
「もっと正しくは虫の知らせだ」
 ミッチーがさらに訂正する。ありえないほどに内側に入り込んでしまったカエデの襟をただしながら。
「あ、そっか!」
 ミッチーの賢さにりょーちんはちょっと嬉しくなる。訂正されてもなお喜ぶリョーチンのこの余裕に、ミッチーがいつもどれほどダメダメなのか推しはかれるのである。
「ムシじゃなくて、さるじゃねーの」
 そう言ったカエデの頭を、ミッチーがにんまり笑って「ナイス」と撫でる。撫でられた頭を触りながら誇らしげに見てくる楓に、今度は花道がコノヤロと蹴りだす。さーいつもの騒動が始まるぞとリョーチンが思ったところへ、日曜だというのにスーツを着たゴリがずいぶんと急いだ様子で現れた。
 それを見た子ども達の動きがとまる。
 ミッチーから花道まで、兄弟4人の友人たちから「世界で一番おっかなそう」と言われているゴリは、スーツを着るとさらに迫力を増す。父がそんな風に言われることを少し自慢に思っている花道であるが、しかしスーツを着たゴリはちょっとだけ遠くに感じてあまり好きじゃない。加えて、後ろからは彩子のパタパタと忙しそうに走り回る音が聞こえてくる。なんだかいつもと違う日曜に、花道が「てきちゅうだ」とつぶやいた。
「急に出張が入っていまからでかける。いない間、母さんを困らすんじゃないぞ。ケンカ、なんか、するんじゃ、ないぞぉー」
 最後の部分は特に下のふたりに向かって、だんだんと顔を近づけながら、音節をはっきり区切ってゆっくり言う。そんなゴリの言い方がおかしくて、ミッチーが気付かれないように少し笑う。
「日ようは、きゅうそくの日なんだぞ」
「仕方ないこともあるんだ」
「きょうはおれとゲームするってやくそくしたくせに。」
「花道」
 いじけだしそうな花道を、でも気持ちは分かるリョーチンがやんわりたしなめる。
「帰ったら必ずやるから」
 自分と一緒に遊べなくてがっくりきている花道の様子に胸を痛めながら、赤い頭をひとつなでる。それを見た楓もゴリの袖をくいっと引っ張る。同じように黒い頭をひとなですると、楓が気持ちよさそうに目を細める。ゴリの大きな手は心を穏やかにする不思議な手だ。
 ゴリもまた手に感じた子ども達のぬくもりに、行きたくないなあとつい思うが、仕事である。
「いつかえるんだ」
 不安そうに花道が尋ねる。
「ちょっと、長くなるな」
「あした?」
「いや、もうちょっとかかるかな」
「しあさっての―――まよなか?」
 花道にとって最長のもうちょっとである。
「いや―――1週間くらい」
「いっ」
 という小さな悲鳴か叫びかわからない音を発した後、花道は、ながーくながーく息を吸って、とめた。
 時間もとめたと思えるくらい長く長く経ったあと、
「クリツマツはどーするんだー」
 叫んだ。
 5日後は、クリスマスなのである。
 彼の舌ったらずを笑う気なんか誰も起きなくなるくらい、花道の叫びはそれは悲痛なものだった。

 ゴリが想像していた花道の反応もなかなかのものだったが、実際の反応はさらにすごくて。花道の反応はこちらがどんなにハードルを高く設定しても、いつも軽々それを飛び越える。今日の花道の反応もやはりゴリが想像していた以上のもので、そして想像以上の痛みを伴ってゴリの胸に響くのである。
「かわいそうにな」

 ポツリ言いながら、ミッチーが非難を込めた目でゴリを見る。その視線にさらにゴリはうなだれる。
 仕事なのだ、とは言えない。
 大人の事情は、子どもの悲しみの前では、いつだって無力なのである。

***

「プレゼントはもらえるぞ」
 朝の雄叫び以降、すっかり口をとじて部屋のすみっこで落ち込む3か月歳下の弟に、楓が教えてやる。花道が落ち込む原因は、ゴリの不在でクリスマスプレゼントがもらえなくなることにあると思っているのである。
 花道が力なく楓を見あげ、それにこたえるように楓もその場に並んで座る。
「あたりまえだろ。サンタはやくそくはまもるおとこだ。どっかのゴリラとちがってよ」
 力なく言いつつも、口にする言葉はなかなかどうして、しっかりしている。「別に母さんだってプレゼントは置けるぞ」と楓が続けようとすると、
「ゴリがいないとパーティーができない」
 花道がぽつり言う。
「パーティー」
「そうだ。サンタはパーティーにこれないだろ?あのじーさんたちいそがしそうだしさ。それにことしは、高宮がむちゃなプレゼントたのんでいたし。れいねんよりサンタはいそがしくなるし、そらはこんざつしてトナカイがじゅうたいおこすだろうなあって、ヨウヘーがいってた」
 だからオレはやめろっつったのにあいつと舌うちする花道に、根っからサンタをしんじてやがる、と絶句する楓である。しかし普段から無口な楓であるので絶句したところでさして変化はない。ましてや今のような状態の花道が楓の小さな変化になど気付くはずがないのであった。花道はサンタの真実を知るチャンスを逸したことになるのだが、それはまた別の話である。
「うちでは、まいとしクリツマツイブに、ゴリがサンタになってみんなでケーキをくうんだ。おもろいんだぞ。おめーも、みたらぜってーわらう。ゴリサン。ミッチーがゴリサンってなづけたんだ。ゴリが白いひげつけて、サンタのまねすんだ。ぜんぜん、サンタっぽくなくて、へんなんだ。りょーちんもそれみてすげえわらうんだ。きょねんは、ゴリのひげにケーキの火がついてあわやだいさんじにはってんしそうになったんだ。おめーもしってるだろ?」
 こくんとうなずく。
 去年の赤木家火事未遂騒動は近所ではわりと有名だ。
「なのによお…………ことしはみれねえんだ。ゴリサン。だってごりがいねえんだもん。」
 そう言って、また肩を落とす花道。
 楓がなんとなくその真っ赤な頭をぺちっと叩く。でもそこに力はまったく入っていなかったので、「いてえなぁ」と言いながらも花道もやり返すことはなかった。
 そんなふたりのやり取りを部屋の外で聞いていたリョーチンとミッチーは、 やれやれ困ったことになったなぁと顔を見合すのであった。

 その日の晩、出張先からゴリが電話をかけてきた。
 彩子から始まり兄弟の順に電話に出るが、花道だけは頑としてでようとはしなかった。次の日もその次の日も電話はあったが、花道だけは出なかった。
「いつ帰れるかわからねーんだし、声くらい聞いておけよ」
 意地を張る弟の背中に、ミッチーがおにいちゃんらしく声をかける。
「クリツマツパーティーは?」
「今年のゴリサンのクリツマツパーティーはな、もうあきらめろ」
 泣きそうな顔をして問いかけてくる弟に、きっぱり毅然とけれどもどこか優しさを感じさせる声でミッチーが答える。
「ゴリサンのはな」
 最後にミッチーがもう一度言ったのは、悲しみでいっぱいの花道の耳には届かなかった。

***

 クリスマスイブの朝、花道はリビングに駆け込み、そこにゴリの姿を探す。
 ミッチーはあきらめろといったけど、それでもゴリは帰ってきているかもしれないと期待を持っているのだ。けれどもやっぱりゴリの姿はなくて。がっくりと肩を落とす花道の後ろから、彩子が「おはよう」と言いながら、赤色のキラキラした三角の帽子を優しくかぶせる。
「おはよう。ミッチーたち起こしてくる」
「おにーちゃんたち、ちょっとでかけてるの」
「え」
 ゴリがいない上に、おにーちゃんたちまでいない。そういえば、いつもなら横でグースカ寝ているキツネも今朝は起きたらいなかった。
「情けない顔しないの!おにーちゃんたちはすぐ帰ってくるわよ!ほら、あれを見て!」
 彩子が指差した先には、立派だけど、なんだか変わった形のツリーが飾られてあった。
「わぁーっ!」
 電飾でチカチカ光るツリーに花道が感嘆の声をあげて駆け寄る。
「これマツだぜーあはははは」
 クリスマス仕様に飾られた松のへんてこな恰好を見て花道がケラケラ笑う。 松の隣りでは、珍しく花道よりも早く起きていたらしい楓が、青色の三角帽をかぶって、緑色のなにやらふさふさしたものを作っている。
「朝早くに、洋平くんたちが持ってきてくれたのよ」
 ツリーに喜ぶ花道に、彩子が教える。
 チュウのおじーちゃんの趣味は盆栽で、この木もコレクションのひとつである。「クリスマツです」と恥ずかしそうに持ってきた洋平たちの顔を思い出し彩子がちょっと笑う。ここ最近、元気のない花道を想って、持ってきてくれたのだ。
「みんなで思いやりを持ち合うのがクリスマスなのよ」
「うん」
「じゃぁ、一緒にツリーを飾ってくれる?」
「うん!」
 元気よく答えた花道に、楓がさきほどから黙々と作っていた緑色のふさふさを手渡す。松が持つ本来の緑ではちょっと足りないから、それを被せるのだ。
「松のカツラだな!」
 久しぶりに花道が見せてくれた楽しげな姿に、彩子の心もぬくもった。

 白い息を吐きながら洗濯物を干すお母さんが見えるあたたかい部屋で、松にカツラを被せ終わった楓と花道が、ジュースを飲みながら一息つく。
「まつってなんであんなにしせいがわりいんだろうな」
「どあほー、あれが美しいんだ」
「おまえ、まつのよさがわかるんか?」
「びがく」
「びがくって―――」
 らしくない話をしているところへ、突然、大きな音を立ててドアが開いた。
 ぎょっとしたふたりが見つめた先には、赤と白の服を着たサンタ―――のような鬼が立っていた。赤と白の服は確かにテレビや本で見るサンタの服なのに、大きな白の袋は持っていないけど、白いビニール袋を持っていて・・恰好はサンタクロースなのに。なのに、顔が鬼なのである。
 その異様な姿にふたりは顔色をなくす。
 怖いのである。
「泣く子はいねがー」
 鬼が言った途端、お母さん!と窓を見る。しかし、さっきまでいたはずの彩子が窓の向こうにはもういない。干し終えたのだ。
「泣く子はいねがー」
 そう言いながら段々と寄ってくる鬼は不気味である。
 ひときわ大きく「泣ーくー子ーはーいーねーがー」サンタのような鬼がゆっくり言った時、 ふたりは同時に互いを指差し、そのまま固まった。
「おまえがないてるのかー」
「オオオオレはないてねえー」
「おまえかー」
 ぶんぶん首を振りながら、「コイツ」と指差す楓。
 互いに指をさし合いながら「コイツ」「コイツ」と言い合うクリスマススピリッツの皆無なふたりの後ろから「それじゃなまはげじゃんか」と聞こえてきた。振り向けば、赤と青に点滅するボールを鼻につけ、トナカイの角を頭にかぶったリョーチンがそこに立っていて。
「リョーチン!!」
「怖かったよぉ」と必死にしがみつく弟ふたりを「よしよし」となだめてやりながら「ほれ、よく見てみろ」とふたりに鬼を見てみるように促す。恐る恐る顔をあげてもう一度見てみると、今度はお面を片手にもったミッチーがそこに立っていた。
「怖がり屋のちびたちめ。ほい、プレゼント」
 にっと笑って、小袋を手渡してきた。
 プレゼントらしき小袋を手にしたまましばらくはボーっとなっていたふたりだが、段々と事情が飲み込めてきて。
 騙されたことと怖がっていたことを悔しがったり恥ずかしく思ったふたりは、そこから怪獣なまはげ・サンタミッチーをエイヤエイヤと攻撃しまくった。いつもなら途中で「疲れた」と言っておいかけっこをやめるミッチーだけど、この日は最後まで走り回っていた。
 リョーチンはずっとトナカイのツノを頭にかぶって、鼻を赤と青にちかちか光らせたまま走っていた。
 途中で、「マナーモードにしろ、目がいてえよ」とサンタに言われてからは、青色だけにな。

***

 彩子が腕によりをかけて作った夕飯をおいしく食べおわったあとの、子どもたちの話題は、当然クリスマスプレゼントについてである。
 ちなみに朝方ミッチーとリョーチンがくれた白いビニールにはふたりの大好きなお菓子がいっぱい入っていた。大喜びのふたりの様子に満足しながら、
「まーな。ホンモノのプレゼントは、明日の朝にサンタがおいてくれてるだろうよ。な、かーさんよ」
 ニヤッと笑いながら、ミッチーが彩子に言う。
「サンタさんにお願いしたの?」と、いまさらとぼける母親に苦笑しながらミッチーは「あーあーしたした。リョータ、お前なに頼んだの?」とすぐ下の弟に話題を向ける。
「オレ?ファーのついたコート!」
「ナマイキだな。俺のおさがり着ておけよな。おめーは?」
「地図帳」
「「……しぶいなぁ」」
 そこでいつもなら「オレは!」と言ってくるはずの花道がそういえばさきほどから、ずいぶんとおとなしいなとミッチーが気づく。
「花道は?」
「……オレ」
「うん」
「オレ……ゴリにあいたい」
 そう言って、ついに花道はワーンと泣き出した。
「ばかやろう」
 でも、ミッチーはもうそれ以上は言わない。
 大好きなゴリに長い間会っていない花道はとっくに限界がきていたのだ。それでも今日一日、彼なりに楽しもうと頑張っていたのである。 そんな花道の涙は、やがて楓に、ついにはリョウタにまで伝染した。
「ばか、おめーまで」
「だって、にーちゃん」
「だってじゃねーよ」
 ハァとため息をひとつついて、それからミッチーは、弟たちの頭一つ一つを自分の胸に集めて 「だいじょーぶだ。ゴリラオヤジはちゃんと帰ってくる」と言った。

***

 そしてその夜、遅くにゴリは静かに帰宅した。
 後輩に出張先まで車で迎えに来てもらうというゴリ史上前代未聞のわがままを発動したのである。クリスマスという言葉が彼の頭の中にあったのかは分からない。ただただ、彼は家族にあいたかったのだ。
 ゴリの肩に積もった雪を払いながら「おかえりなさい」と彩子が迎え、「ありがとう」と彩子のかさかさの手を握ってあたためる。
 翌日、赤木家はいろんなキラキラに包まれて朝を迎える。

おしまい