病気のおっちゃんの分まで長く働き出した俺は、子どもを見かけてはオースケを思い出すようになっていた。思い出すと同時に心配もしていた。流川は仕事場に連れて行くと言っていたが、大人ばっかりの中で大丈夫なんだろうか。オースケはあれでいて人見知りなところがある。俺の時は最初からなれなれしかったが、洋平と高宮に緊張の面持ちで接していたし、それに親がアレだ。流川はちゃんと相手してやっているんだろうか。高校の頃はバスケをしだすと周りが見えなくなっていたが、子どもを持って少しはそういうのは変わったのだろうか。それとも相変わらずだろうか。俺にまとわりつく小さい体を思いだす。俺に会いたがっているんじゃないだろうか。大丈夫だろうか。あろうことか人の子どもを想って胸を痛める俺だった。
ふたりに会う二日ぶりの朝は今か今かと訪れを待った。きっと オースケは俺の顔を見るなり飛びついてくるだろうと予想していたのに、しかし、実際は俺の顔をちらっと見ただけで終わってしまった。久しぶりに会ったのに、実に素っ気無かった。
「トランプの続きを作るか?」
尋ねたが首を横に振られた。
「どっか行くか?」
やっぱり首を振った。しまいには、こたつの中に入り込んで隠れてしまった。
ちょっと会わないうちにすっかり俺に興味がなくなってしまったみたいだった。
子どもの成長は無情だな。
もう巣立ちかよ。
しんみりしながら茶をすする。
金ができたからどっか連れて行ったりしたかったんだけどな。斜め向かいに目をやるとこたつ布団の隙間から後頭部が見えた。つやつやとした黒い髪、なんだっけな、烏の濡れ羽色って言うんだったかなこういうの。流川もよくこうやって頭を見せていた。頭というよりは横顔、というか寝顔だった。アイツと同じで、オースケもそのうち家にも来なくなるんだろうな・・・・・・。しばらくそうしてオースケを見ながら茶を飲んでいたが、少しして違和感を覚えた。いやいや。おかしいだろ。あんなにまとわりついていたのに二日会わないくらいで飽きたりするか? しかもこの桜木花道だぞ? 腕を伸ばしてオースケの体をひっくり返すと涙でぐっしょり濡れていた。敷き物もオースケの顔もぐっしょりだ。鼻までたれている。
「なに泣いてんだよおまえ」
体を引っ張り出すと、腕を突っ張って抵抗を見せた。
「どうしたんだよ。なんで泣いてんだよ」
声を殺して顔も見せずに泣くなんて、子どものくせにそんな切ない泣き方があるかよ。
「どうしたんだよ」
首を振るばかりで何も言わない。
どっか痛いのか、体がきついのか、何を聞いても首を振るばかりで、答えようとしない。何度聞いてもコタツに戻ろうとするので、仕方ないので手を離した。
結局昼になるまでオースケは出てこなかった。流川そっくりの頑固さだった。いつものように流川が迎えに来て、俺は事の次第を伝えた。オースケがそんな風だったので昼飯も一緒にとるのはやめた。
「ずっと泣いててよぉ・・・・・・連れて帰ってやってくれや」
頭を掻くと、流川は「わかった」と頷いた。
「悪かったな」と流川が謝ってきた。
「いや・・・・・・」
謝られて俺は更に落ち込んでしまった。
***
午前のその一件ですっかりしょげかえってしまった俺は、久しぶりにパチンコ屋に行った。こういうときは頭を空っぽにするに限る。気分転換だ。3時間くらい無心にやってこの辺かなと切り上げて、そこで得た金で酒を買って帰った。
オレンジ色の夕焼けを見ながら、なんとも言えない休みだなとぼんやり思った。オースケの泣き顔を思い出してまたしんみりしてしまう。それでも朝よりはマシになった。あのまま家に行ったらもっと深く落ち込んでいたに違いない。パチンコ様様だ。大人は良いよな。こうやって気分転換ができるからな。子どもはその点どうするんだろうな。オースケは元気になったかな。流川はちゃんと慰めてやっただろうか。
家につき、買ってきた酒、鶏の唐揚げとイカをビニール袋から出した。適当に開けてテレビをつけて、横になろうとすると電話が鳴った。流川からだった。
「来てねえか? いねえ」
背中がすっと寒くなる。
「オースケか?」
「急にいなくなった。テメーのとこ」
「来てねえよ! ちょ、ちょっと待ってろ」
夜の七時だ。こんな時間に来るなんて事があるか? でも、初めて会った時もこんな時間だった。部屋の外に出てみたがそれらしき影はなかった。手すりから身を乗り出して下を覗いてもいなかった。階段を駆け下りてアパート付近やごみ集積所のあたりも探してみたけど、 やっぱりいなかった。部屋に戻り「いねえ」と流川に報告すると、「分かった」と流川が言った。
「俺も探すからな!」
上着を引っ掛けて部屋を出た。
こんな夜にいなくなるなんて。前に遊びに行った近くの公園に足を運ぶ。いない。通りや通りの曲がり角を丁寧に見て歩く。いない。どこにもいない。もしかして、と一緒に買い物に行ったコンビニに行ったがやっぱりいなかった。オースケの小さい体を思い出す。朝にずっと泣いてたことを思いだした。胸が痛くなる。何かあったのかもしれない。もっと話を聞けばよかった。泣かれたことにショックを受けて何も出来なかったのだ。びびってしまったのだ。俺ともあろうものが。もっとちゃんと、俺にやれたことが何かあったはずなのに。
アパートの前に戻った時、階段付近に馴染みのある丸い体と、小さな体のシルエットがあった。あ! 目を細めて近づいていくと、高宮がオースケを連れて立っていた。そばには高宮の愛車の原付が止まっている。
「風呂行く途中で拾ったのよ~」とオースケを指す。
「おまえ」
おーすけを見ると、目があった途端わっと泣き出した。抱き上げると、うわんうわんと声をあげながら首にしがみついてきた。
「ちっこいのがいるなあと思って、見てみたらよお、この前のお前の子どもだろ。声かけても何も言わねえし。花道の家に誘ったらそれは頷いたから連れて来たわけ。そしたらお前いねえし。なにがどーなってんだ」
「いやお前、マジで助かった。ありがとな」
心からの礼を言うと高宮が「やっぱお前の子?」と聞いてきた。
俺は心身共にくたびれていたので「みたいなもんだ」と返した。それに、こんだけ可愛けりゃあもうそういうことだろう?
しゃくりを上げるオースケの背中をさすりながら、俺はゆっくり歩きながら流川の家に向かった。
「俺の家にこようとしてたのか?」と尋ねたら、オースケは頷いた。俺の家に向かったものの、夜だから分からなくなったのかもしれない。危なかった・・・・・・。高宮よよくぞ通ってくれた。 再度、高宮に向かって手を合わせた。オースケがぎゅうっと抱きついてきた。子どもの体ってのは体温が高いんだなあ。
「なんか俺に用があったんか?」
「・・・・・・あそんで」
「いっつも遊んでるだろ」
「きのうはいなかった」
「昨日は仕方ねえよ。仕事があったんだ。とーちゃんから聞いただろ?」
「きのうのまえもいなかった」
「それも仕方ねえよ、仕事があったんだ」
「しごとしないで」
「え?」
「しごとしないで」
そう言ってまたシクシクと泣き出した。
絶句した。
「仕事をしろ」はいくらでも言われたことがあるが、「しないで」と言われたことはなかった。
「 お前はそれで泣いてたのか」
俺がいないと泣いてしまうなんて、俺まで泣きたくなってきた。って言うか泣いた。そんな悲しみがこの世にあるなんて。そしてこんな切ない気持ちがあることも俺は知らなかった。
「わかった。俺はもう働いたりはしないからな」
「あそんで」
「おう。俺はおまえと遊ぶ。お前と遊びまくる。それが俺の仕事だ」
こんな宣言をする日が来るとはな。
俺は侮っていた。
オースケの気持ちを小さく見積もりすぎていたのだ。
こいつは本当に俺が好きなんだ。
好きという気持ちを、ちゃんとは分かっていなかった。
もう忘れたりしないぞ、と抱える腕に力を込めた。