「なあ凸凹コンビ、俺どうやったら記憶戻るんかな」
居残り練習を終えた後、着替えの途中俺は二人に尋ねた。問われたミッチーとリョーチンは「こいつ、本当は戻ってんじゃねえの」といやそうに顔を見合わせた。俺達が出るとき流川は一人でまだ体育館に残っていた。今日もうちには来ないようだった。
「俺、記憶をとり戻してぇんだ」
「ふつう、もちっと早く言うセリフだな」
「よし、ちょっと殴ってやろう」とミッチーが腕まくりをした。が、洋平の言葉があるのでそれは辞退した。昨日、洋平が言ったことは分かることと分からないことがあった。洋平が言ったように、俺はつらい状況を忘れたくて記憶を取り戻そうとしていた部分があった。でも一方で、思い出して流川を喜ばせたいという気持ちもやっぱりあった。
「なんか、衝撃を受けたら思い出すってのをドラマとかでは見るよね」
「キョーレツな出来事で一気に思い出す、みたいなのな」
「キスで目覚める話とかもあるじゃんか。カエルだっけ。そりゃびびって目も覚めるよねって話」
「林檎食った話な」
「それ白雪姫でしょ」
「それだろ。毒食って眠り続けてキスされて目が覚めるんだろ」
「・・・・・・ごっちゃになってるよそれ」
この二人に聞いたのを後悔し始めている俺だった。
「俺は目が覚めたいわけじゃねえぞ」
「いいから桜木お前、ちょっと誰か、女子にキスしてもらって来い。事情説明したら一人くらいはしてくれるだろ」
「ばっ!ばかっ!バカか!ミッチーはバカか!バカだ!」
「バカバカ言う奴がばかだ」
「でもわりといいアイディアな気がする。女子に耐性のない花道にはすごい衝撃じゃん。よし!キスしてもらってくるか」
リョーチンまで!
「全然良くない!ばかっ!ばかりょーちんこっ!」
「なんだよ花道、顔まっかっかにして」
「う、うるせえ!」と両腕で顔を覆う。
「まあ確かにこういうねんねにキスは早いわな」
知った風な顔をしてミッチーが言った。
「ねんねってなんだよ。ミッチーだって同じようなもんだろ」
「全然違う。一緒にするな。お前とは人間の厚みが違うわ。じゃああれだな。握手してもらって来い。お前みたいなのはそれくらいでも十分なショックになるだろ。その衝撃でそのポンコツな脳みそもしっかりしだすさ」
ちょっと、あんまりなセリフではなかろうか、とリョーチンを見ると、同情するような顔でうんうん頷いて来た。
「赤木妹のとこに行って来い」
「晴子さん!?」
「事情知ってるし、あの子なら分かってくれるだろうよ。行って、手を握ってくださいって言ってくりゃいいんだよ。下手したらそれ言うだけでもいいかもな。それでお前の頭は元に戻る」
「そんなこと言えるか!」
「そんなことってなんだよ、大事なことだろ」
ミッチーがハァッとため息をついた。
「お前の記憶が戻らないおかげでいろいろ迷惑しとるんだ。さっさと記憶を戻して来い。握手くらいなら赤木兄も怒りゃしねえだろ。なんかあったら俺がフォローしてやるよ」
最後のは絶対ウソだ。
女の人の手を握るなんて、しかもそれが憧れの、晴子さん。想像しただけで気が遠くなる。でも、確かに衝撃が強すぎてすぎて脳みそになんらかの働きがある気がした。もしかしたら記憶が戻るかもしれない。俺は今、記憶を戻すためならありとあらゆる衝撃を受ける覚悟でいるのだ。
「本当に戻るンかな」
「可能性ゼロとは云えねえぞ。一肌脱いでもらって来い!」
「分かった!」
バーンと音を立ててロッカーの扉を閉める。気合いをこめてふたりを見たら、揃って力強く頷いて来た。頭の中が、ガンガンとでかい太鼓を叩いてるようにやかましい。毎度おなじみのちんどん屋が今日は応援団のように聞こえて心強い。
「行ってくる!」
「がんばってこい!」
「おっしゃぁ!」と勢いよくドアを開けたら、出てすぐのところに流川がいた。びっくりした。壁にもたれかかっていて、こちらに向けた顔の表情はよく読めなかった。
「る、流川」
思わず名前を口にした途端ふいっと目を逸らされた。ギュッと胸が痛くなる。いいさ、俺にはやることがある。そのまま流川の前を通り過ぎようとしたら、急にグッと服の後ろを引かれて、前につんのめった。
何をする!と振り向くと、「どこ行くんだ」と言ってきた。久しぶりに流川の方から口きいてきた。嬉しくてじーんってなった。俺はやっぱり流川が好きだと思った。同時にのままでいたいと思った。今日も、明日も、あさっても、ずっとずっと俺は俺でいたい。でもこの二つの気持ちは両立しえないのだ。
「さらばっ!」
「マネージャーのとこに行くんか」
「!」
「触られに行くんか」
「なんで知って」
「つつぬけだ」
え、ドア、開いてたんかこれ。恥ずかしいな。でも聞こえてたのなら話は早い。
「分かってるなら邪魔すんな」
もう一度行こうとしたら、また服を引かれた。数回そのやり取りをして、最後は腕を引っ張ってきた。もしかして。
「・・・・・・俺が晴子さんとこに行ったらいやなんか?」
唇をきゅっと結んで流川が頷いた。それを見て俺はすっと熱が冷めて、じゃあ止めようと思った。
「分かった。行かねえ」
流川が嫌がってることをするのは本末転倒だ。
「お前が嫌なことはしない」
流川はもう一回頷いて、俺の腕を離した。
「俺はお前にうちに来てもらいたいばっかりなんだ」
そう言うと、流川が口を曲げた。何とも言えない表情だった。
「うちに来いよ」と言ってみたけど、「行かねえ」と首を振られた。
「・・・・・・俺のことが嫌になったから来ねえのか」
「ちがう」
「じゃ、じゃあなんで来ないんだよ」
「嘘があった」
「あれは悪かったって思って」
「それじゃねえ。テメーの嘘なんかどーでもいい」
「え?」
「俺が、嘘だった」
「なんだそれ」
それっきり流川は黙ってしまって、話が続かなくなってしまった。流川の嘘って何だ。・・・・・・何だっていっつも片言なんだろう。分かりにくいことこの上ない。でも正直言って嘘なんて、そんなのもうどうだっていい。俺はとにかく流川にうちに来て欲しい。前みたいにそばにいてほしい。それだけなのだ。
「嘘ついててもいいからよ、うちに来いよ・・・・・・お前がいないと俺、寂しいんだ。お前が来なくなってから、毎日毎日すっげえ寂しいんだ」
絞り出すように想いを伝えたら、少し迷うような顔をしながらも流川は「分かった」と頷いた。
「来るんか?」
「ああ」
それを聞いて俺は心底ほっとした。