トランジット8

 あのつまんないウソをついた日から流川はうちに来なくなってしまった。どんなに「来いよ」と誘っても「行かない」と返ってくる。前までは言わなくても勝手に来てたのに。それに加えて昼食の時も部活中も必要最低限のことしか話さなくなった。無視とは違うけど、距離ができてしまった。ただの知り合いみたいな感じになってしまった。
 流川が来なくなって俺は毎日とてつもなく寂しい。ふとした時にこたつでまるまる流川を思い出してしまう。家に来ていた時は本当に動かねえなあ呆れていたけど、あの時ってすっげえ幸せだったんだな。
 流川、もう来ねえのかな。
 やっぱり愛想を尽かされたんだろうか。
 あんな嘘ついたから。
 こうやってずっと来ないままあいつはそのうちアメリカに行ってしまって、それっきりもう二度とこたつで丸まる姿を見れなくなるんだろうか・・・・・・いかん。来てもらうために何か手立てを考えるのだ桜木花道。俺はへこたれない男。
 それで俺は考えた。もう一度流川に来てもらうための方法を。そして思いついた。記憶を取り戻せばいいのだ。だって流川は高校ヤローに会いたいんだから。会いたい奴が帰ってきたら、うちにだって来るだろう。その時の俺がどうなってるかは分からないけど、高校ヤローが帰ってきたら流川はまた絶対家に来る。それならもう俺がどうなってたっていい気がした。俺は、記憶を取り戻したらいいんだ。

「洋平、長い付き合いのお前を見込んで頼みがある」
 頬杖つきながらテレビで笑っている洋平に呼びかけた。流川が来なくなってから一週間くらい経った。その間に入れ替わるようにして洋平がうちに来るようになっていた。俺は何も言っていないけど、流川が来なくなったことにどこかで気付いたようだった。洋平には昔からそういうエスパーみたいなところがある。
 俺に呼ばれた洋平は笑った顔のまま振り向いてきたけど、俺の真剣な様子に「なんだよ」と居住まいを正した。
「俺を殴ってくれ。気を失うほどに」
「・・・・・・お前それで記憶が戻るとか思ってんじゃないだろうね」
 さすが、一を言ったら十まで分かる男。
「お前ね、そんなことして別の記憶までなくなったらどうすんの。打ち所次第ではそういうこともないとは言えねえよ?」
 ぞっとした。
「お前らのことまで忘れてしまったら、俺どうしよう」
「勘弁してくれ」
 これ以上いろんなことを忘れてしまったら困る。そんな罠があったとは。殴られて記憶を取り戻す案は却下か。名案だと思ったのに。くそっ!いったいどうやったら記憶が戻るんだ、俺はいったいどうしたらいいんだ。後ろに倒れて悶えていると、部屋の中が静かになった。洋平がテレビを消したようだった。
「なんで急に記憶を戻したいとか思ったんだよ。ついこの間までは一生このままでいいみたいなこと言ってたじゃねえか」
 やはり洋平には伝えねばならんだろうな。俺の愚行を。決意をもって体を起こした。
「俺は戻らねばならないんだ」
「だから、なんでよ」
「・・・・・・俺、流川に悪いことをしてしまったんだ」
 洋平の顔が引きつった。
「なにしたんだよ」
「思い出したふりしたんだ」
「そっ」と言って洋平が固まった。さすがの洋平も驚いたようだった。
「お前、なにやってんの」と眉を寄せて笑った。
「軽い気持ちだったんだ」
「そりゃそうだろうよ」
「流川があんなに前の俺に会いたがってるなんて知らなかったんだ。俺はただただちょっとこっち見てくんねえかなって思って」
 洋平は笑っているような困ったような顔をして聞いている。
「流川に見てほしくてそんな嘘ついたのか」
改めて言われると我ながら子どもっぽくて恥ずかしい。
「またしても流川に惚れたか」
「また?」
「・・・・・・俺、またって言った?」
 洋平がとぼけた顔をしている。
「高校ヤローも流川が好きだったんか」
 ニコニコした顔のまま何も言わないのが洋平の答えだった。
「知ってたんならなんで最初に言わねえんだよ」
「そりゃお前・・・・・・」と頭を掻いたが、それ以上は言わなかった。でも俺も今更知ったところで驚いたりはしなかったし、むしろ納得したくらいだ。
「俺が思うに、たぶん、流川も高校ヤローが好きなんだ。・・・・・・あいつら両想いだ」
「そうか」
「どいつもこいつも高校の俺ばっかだ。高校ヤローはたくましくて頼りがいのある稀に見るジェントルマンだったんだろうな」
「いや。そんな立派なもんではなかったよ」
「ヒーローだったんじゃねえの?」
「ヒーローかどうかは知らねえけど、お前とそんなかわりゃしねえよ」
「でも流川は」と言いかけたら、「お前はどうなの?」と遮られた。
「お前にとって高校のお前と自分ってそんなに違うもんなわけ?」
「違うっていうか・・・・・・根っこのところは同じってのは分かってんだけど。でもずっとしっくりこねえもんがある。高校の俺がいるせいで最初から先が決まってて気持ち悪い」
「気持ち悪いのか」
「ずっと誰かに勝手に人生握られてる感じだ。この先もずっと高校ヤローが決めたレールの上を歩いて生きて行くのかと思うとうんざりするし腹が立つ。俺は自分の生きざまは自分で決めたい」
「ロックだな」と言われて、俺はしっかり頷いた。
「それで高校ヤローを認めたくなくて、ここまでずっと混乱してたけど、もういい」
「なに」
「俺は俺をやめる決意をしたんだ。高校ヤローに戻る」
「戻るのか」
「俺が俺でいる限り、流川は俺の家に来ねえ。このままどうせあいつとこれっきりになるなら、だったらせめて最後にあいつが喜ぶことをしたい。あいつが高校ヤローに会いたいなら会わせてやろうと」
「そんで記憶を戻そうとしてんのか」
「ああ」
「んー・・・・・・」っと洋平が難しい顔をして、天井を見た。なんか考えているようだった。

「記憶戻ったら、俺ってどうなるんかな。高校ヤローから見たら今の俺って、中学のダブった部分みたいなもんだろ」
「・・・・・・」
「この俺っていなかったことになるんかな」
「どうだろうなあ」
「ちょっとくらい覚えてたりすんのかな」
「分かんねえな。でもたしかに、高校とか中学とかの区切りで見たら今のお前は二度目の中三の冬で、ダブってるように見えるけど、人生全部で見たらダブってるとこなんてひとつもねえよ。今のお前も記憶失う前のお前も合わせていっこの人生だろ?」
 洋平よ・・・・・・。
「もしも高校ヤローが俺のことを忘れてたらそう言ってくれ」
 その途端、洋平の目が鋭く光った。
「お前本当に記憶戻すこと納得してんのか?」
「あいつが喜ぶなら」
「流川喜ぶかどうかなんてわからねえじゃねえか。大事なことを流川でごまかしたらだめだぞ」
「きっと喜ぶさ」
 あの顔見たら誰だってそう言う。俺が嘘ついたときに見せた顔は高校ヤローの帰りを待ちわびてる顔だった。
「花道ぃー」
「俺は納得してるって言ってるだろ」
「本当は今のままでいたいんだろ」
「・・・・・・」
「本当に流川を喜ばせたくて記憶取り戻そうとかしてんのか?」
「そうだ」
「違うだろ。今の状況をなかったことにしたいだけだろ?」
 ぐさっときた。図星だった。自分でも気づいていなかったけど。
「だってしょうがねえだろ!流川が来なくなって、毎日毎日寂しくて寂しくて気が狂いそうだ!俺はあいつにまたうちに来て欲しい。前みたいにまたそばにいて欲しいんだ!記憶戻して元通りになるならっ」
「分かった分かった」と洋平が俺の背中をポンポン叩いて来た。

「健気だねえ」
 からかうようなセリフなのに、洋平の目があんまり優しくて俺は胸がつまった。涙が出そうになって焦ったら、洋平がまたテレビをつけてそっちに向いたのにほっとした。それで俺は、ばれないようにこっそり泣いた。「記憶を戻そうとすることは別に反対しないけど」
 洋平が背中を向けたまま言ってきた。
「おう」
「あんま無茶なことするんじゃねえよ?」
「分かってる」
「あと俺は、どんなのでも花道は花道なんじゃねえかなって思ってるよ」
「ああ」
「けど、もしかしたらそれはお前に忘れられなかったから言える事かもしれねなあ~・・・流川ってすごいな」
 最後のところはひとり言みたいに小さい声だった。

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