「お前って全然喋ンないなあ」
流川は部活が終わるといつもうちに寄っていった。うちに来て、ごろごろして帰って行く。部活が休みの日も来た。来るだけ来てこたつでくつろいでそのまま帰る。最初は自分んちにいたくないのかと思って、だから親御さんと折り合いが悪いのかと聞いた。そしたら家族との関係はふつうだと言っていた。じゃあ一体こいつ、なにしにうちに来てるんだと不思議に思った。別に友人が家に来るのは変なことじゃないけど、どうも流川は友人というタイプとは違っていた。少なくとも洋平たちとは全然違う。話すわけでもない、ゲームをするわけでもない、来て、こたつに入ってごろごろしてる。ただひたすらにごろごろして、たまに俺を見ている。見ると目があうのだ。目があって「なんだ?」と聞くと返事をせずにまたこたつにもぐる。今もまた入ってる。なんか、でかい動物を飼ってるような気分だ。最初は家に知らない奴がいて見るたびに落ち着かなかったが、とにかくずっと同じ姿勢でいるので慣れた。
それに、本音を言えばいてくれて助かった。特に最初の日だ。記憶を失った日の俺はひどいもんだった。記憶がなくなった状態で帰った自分の家は知り尽くしている場所なだけに、違うことの色々が目について気持ち悪くて不気味だった。
学校ではなんともなかったのに、家に着いた途端、俺は混乱した。急いで部屋の隅から隅まで確認した。知らない物が増えていた。服とか食器とか昨日まではなかったものがたくさんあった。冷蔵庫の中にも買った記憶のない食べ物がいっぱい入ってた。俺が買ったりしないような外国のものまで入っていて自分の家とは思えなかった。増えるだけじゃなくて減ってるものもあった。気に入っていた靴や上着もなくなっていたし、大事にしていた物がなくなっていることに気付いた時は自分に裏切られた気がした。鏡に映った自分を見た時はぎょっとした。間違いなく自分のはずなのに、見なれた顔とはちょっとずつ違っていた。それで思い出しても恥ずかしいくらい俺は騒いだ。怖かったのもあったと思う。記憶喪失になったという事実が一気に来て俺はパニックになった。とても恐ろしくなって、体がぶるぶると震えだして、それを認めたくなくてぎゃあぎゃあと騒いだ。自分のことが分からないってのは思っていたよりもずっとずっと怖いことだった。騒いでいる途中、自分ちみたいな顔をしてこたつのスイッチを入れている流川が目に入って、今度はそっちに当たり散らした。「てめえなんか知らねえ!」とか「帰れ!」とか「邪魔だ!」とかずいぶんなことを言った。なにを言っても無反応な男にまた腹が立って、蹴ったりもした。三回目に蹴ったとき流川はようやく反応した。「八つ当たり」と、こたつに入って、ポツリ、そう言った。それで俺は頭が冷えた。やり返してこない奴に暴力を振った自分を恥じて、「悪かった」と言ったら、流川は「ああ」と頷いた。「やり返しても良いぞ」と言ったら「年下は殴らねえ」と返ってきた。それを聞いてコイツは俺が記憶喪失になったことをちゃんと分かってたんだなと知った。あまりに反応が薄いから聞いてなかったんじゃねえかと疑い始めていたのだ。流川は俺が中学三年生であることをちゃんと分かっているのだ。自分を分かってくれている人間が傍にいるのはとても安心する。それから後も混乱することが何度かあったが、そのたびに同じ場所に同じ状態でいる流川を見て落ち着いた。全く知らない奴なのに、見ると落ち着く不思議な奴だった。
「なあ流川、ここにいて退屈じゃねえの?」
さっきから何度か話しかけているが、今回もやっぱり返事がなかった。起きてるはずなんだけどな。俺は自分ちだからいいけど、こいつにとっては他人の家だろ。人んちでよくまあここまでなにもしないでいられるものだ。自分ちみたいにくつろいでいる。
「ふわあっ・・・・・・」
流川を見ていたらあくびが出てきた。洋平たちとか呼んでみようかな。高校生のあいつらは付き合いが浅くなったのか全然うちに来ない。バイトだとか何とか用を言ってはこないのだ。学校では普通だ。しつこいくらいからんでくるし、しょっちゅう騒いでいて、そういう時は俺の知ってるあいつらだったけど、放課後になると疎遠になる。ちょっと寂しい。高校生ってのは案外忙しいもんなのかもしれないなあ・・・・・・目の前の高校生を見ているとそうは思えんが。それにしてもでかい男だ。俺も大きいけど。しかし大きい以外に全然共通点が見当たらない。バスケ部で出会ってウマがあって一緒にいるようになったんだろうか。なんかあまりにタイプが違いすぎて信じられんけれども。趣味が一緒とかか。こいつが興味を持つことってなんだろうな・・・・・・マンガ、テレビ、コイバナ・・・・・・あ、恋。
「晴子さんって、可憐だな」
晴子さんは、俺の頭が戻るといいねと、と色々と健康的な食べ物や飲み物を持ってきてくれる優しい人だった。そして可愛い。可憐で可愛い。高校の俺はホの字だったみたいだが、今の俺も相当目を奪われてしまう。とにかくなんかもうひたすらにキラキラしている。
せっかく秘めたる想いを口にしたのだ。コイツなんか言わねえかなあ、と流川の顔を覗き込んでみたら目を閉じていた。寝たのだろうか。「おい」と足を蹴ると、薄目になった。
「可愛いよな」
もう一回言うと、「どーでもいい」と言ってきた。聞いてたみたいだな。流川はそのままムクリと起き上ってこたつの上にあったみかんを一個手にとった。髪の後ろがはねている。そんななくせに、どうでもいいとかクールなことを言っててちぐはぐで笑える。
「俺はあの人と登下校とかしたい」
「・・・・・・すりゃあいいじゃねえか」
想像してみたら、わっと恥ずかしくなった。
「恥ずかしい!」
流川と目があって、さらに恥ずかしくなる。自分ばかりが恥ずかしい思いをしている気がする。こういうのは言いあいっこと決まってる。自分が言ったら次はあなた、だ。コミュニケーションの基本。
「流川は可愛いなと思う人はいないんか。よく部活の時に声かけられてるじゃねえか」
「いねえ」と言ってみかんを口に入れた。
もったいねえな、せっかくモテるのに、と言うと流川は不機嫌そうな顔をした。照れてんのかな。
「好きな人とかもいないんか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・しんだ」
死・・・・・・!と聞いて頭の中でちんどん屋が騒ぎ始めた。記憶喪失になってから、驚いたり混乱したりするとたまに現れるようになっていた。頭の中が騒がしくなるのだ。いたいのとは違うけど、ガンガンガンガンうるさくて長く続くとしんどい。それが出やがるくらい流川の言葉は衝撃的だった。好きな人と死別とか、そんなことがこいつにあったなんて。
「亡くなられたのか」
じろっと睨まれた。確かにデリケートな問題だからな。でも俺は聞かずにはいられなかった。
「そんなに好きだったんか」
「まーまー」
「どんな人だったんだよ」
「・・・・・・うるさくて、」
「!?」
「むかつく」
「・・・・・・」
俺は今、好きな人のこと聞いてるんじゃなかったかな。流川が俯いて、自分の手にあるみかんをじっと見ている。なにか思い出しているのかもしれない。
「・・・・・・うそ」
「え?」
なにが?と聞こうとしたら、残りのみかんをいっぺんに口に入れた。それから急に「帰る」と言って立ち上がった。時計を見たらいつも帰る時間になっていた。一緒になって俺も立ち上がる。途中から時間があっという間に過ぎた。
「気ぃつけて帰れよ」
流川の話を聞いたからか自然とそんなセリフが出た。俺の口から出るにはあまりに優しいせりふで、自分でも驚いた。言われた流川もそう思ったのか、足を止めて振り返ってきた。なんか言うんかなと思ったが、流川は何も言わなかった。話す代わりにちょんっと俺の手に触れて来た。ほんの一瞬だけ。それから「じゃあ」と言って流川は帰っていった。