Go Action

 家に帰ると桜木はいなかった。
 部屋は暗くて冷え冷えとしていた。上着を脱ぎながら桜木を探した。トイレや風呂場、ベランダまで覗いたがいなかった。玄関に鍵がかかっている時点で分かりきったことだったが、つい探してしまった。
 買い物にでも出かけたのだろうか。時刻は四時半。微妙な時間だ。いつもの仲間たちと集まっているのかもしれない。自分は明日帰ると伝えていたから。 
 年末に急きょ仕事が入って、家を留守にしていた。
 桜木にそれを伝えたのは忘れもしない12月29日のことだった。「肉の日だから良い肉を食おう」と二人で焼肉屋に行った。
「牛肉最強」
桜木は肉を口に入れるたびに言っていた。その席で年末は九州に行くと告げた。告げた途端、みるみるうちに桜木の顔が曇っていった。食事の最初に言わないでよかったと心から思った。
「いつ帰ってくるんだよ」
「二日」
 そう言うと目を丸くした。
「一月?」
「そー」
「正月、いねえのかよ」
「ああ」
「お前」
「しょーがねーし」
「なんとかならねえのかよ」
「無理」
「・・・・・・・・・・・・なんだよそれ」
「仕事だし」
 桜木は思いっきり息を吸い込んで鼻を膨らました。来る、と身構えたが桜木は何も言わなかった。盛大なため息を吐いた後、むっつり黙りこんで、そこから口をきかなくなってしまった。帰り道も、家に着いてからも喋らなかった。夜はバラバラに寝た。翌朝も会話をかわさず、自分が出る前に家を出ていってしまった。それから電話もメッセージもないまま今に至る。
 黙って怒る桜木は珍しかった。
 珍し過ぎて流石に焦った。
 こういう時に機嫌をとったりなだめたりということが自分は全く出来ない。昔からそうだった。そういうところが「不器用だ」と言われていたし、だからこそ「信用できる」とも言われた。他人の評価は場面によって変わるものだから気にしない。ただ桜木のは気になった。桜木が自分をどう思うかは大事なことだ。桜木には失望されたくない。今回の桜木の静かなる怒りは「なんか危ない」と本能が告げていた。
 結果、自分は動いた。
 早く帰るよう動き出した。現地に到着して細かく確認するとずいぶん余裕のあるスケジュールだった。呼ばれている大晦日と正月のイベント以外は動かせた。仕事が決まった時にもっとちゃんと聞いておけばよかったと珍しく反省もした。雑誌や新聞のインタビューや寄稿、出来そうなことは家でやらせてくれと交渉した。延ばせそうなことは他の日に回してもらった。とにかく早く帰らせてくれと関係者に強く言った。
 その甲斐あって一月一日に神奈川に帰ることが出来た。
 と、いうのに肝心の男がいなかった。
 連絡しておけばよかったのだろうが、桜木の不機嫌と、早く帰って驚かせたかったのとがあってしなかった。

 はあっと息をついてソファに腰を下ろす。
部屋が寒い。エアコンを付けながら電話を確認するが、なにもなかった。
 本当にあの肉の日以来、何の音沙汰もない。
 今どこにいるのだろうか。
 誰かに誘われて出かけてしまったのかもしれないし、もしかしたら今日は帰ってこないかもしれない。
 
 持っていた電話の画面が明るく光った。ハッとして見ると母親からだった。昼前にかかっていたが折り返すのを忘れていた。
「ハイ」
「あら出た。お母さんです」
 ソファに横になる。朝から働いて移動したから疲れていた。
「お誕生日おめでとう」
「ドーモ」
「新年早々お仕事なんですってね」
 桜木から聞いたのだろう。母親と桜木は自分のいないところで情報を共有しあっている、筒抜けの二人なのだ。
「お疲れさま、あ、それは引き出し、そっちじゃなくてその隣の上から2番目」
 いきなり自分じゃない誰かと話し始めた。例によって電話の後ろが騒がしい。毎年、年末年始は人の出入りが多い家だ。今年も大勢集まって新年会が開かれているのだろう。いなくてよかった。人が多いところは苦手だ。
「今どこにいるの?」
「家」
「神奈川の?」
「そー」
「あらじゃあ一人なのね。あ、そうだ明けましておめでとう」
「オメデトーゴザイマス」
「はい。今年はあちこちから人が来て、あ、今年も色紙がいっぱいよ。サインしてあげてね」
「あー」
 面倒だが仕方がなかった。
「今日は昼間に餅つきをしたのよ。今年はいつもよりも沢山できたのよ、本当にすごかった。ぺったんぺったんすごい速さで。なんせ今年はすごい助っ人が来てるでしょう、まさにスーパーマン」
 何か言っている。この母親もよく喋るのだ。はっきり動かない頭で処理しきれない情報を入れてくる。
「大阪のおばさんたちも大喜びしててね、本当にね、さすがよさすが。うちの餅つき大会も年々高齢化が進んでいたから救世主だわ。すごかったの。見せたかったわあ。今はそのお餅を入れたぜんざいを作っているのよ。来たら?」
「行かねー」と言いかけて、さっきの母親の言葉を思い出した。何か変なことを言っていなかったか?
「なんで、しってんの」
「なに?」
「なんで、家で一人って、俺が」
「え。だって桜木君はうちにいるし」

***

 実家のドアを開けると大量の靴が視界に飛び込んできた。小さいものから大きいものまで各種あって、玄関に収まりきらないくらいだった。一際大きな靴が目についた。見慣れたこのスニーカーは桜木のものだ。
 本当に来てやがる。
 大晦日、桜木から母親に「今年もお世話になりました」と連絡があったらしい。それを聞いた時、自分には何も言ってこなかったくせに、と思わず口を尖らせた。いつものように二人でぺちゃくちゃ喋った後、正月は一人だと聞いた母親が桜木を家に招待したらしい。
「桜木くんから聞いてなかったの?」
 そのセリフが妙に悔しくて、「別に」と答えた。

 リビングに入ると母親と叔母達が談笑していた。桜木はいないかと視線を走らせたが姿は見当たらなかった。いとこが自分に気づいて「あ、楓!」と声を上げた。一斉に皆の目が自分に向けられる。
「ドーモ」と頭を下げると、「ドォーモォー!」と乾杯をするように、めいめいが持っていたグラスをかかげてきた。夕方六時。もうすっかり酒が入っているようだった。母親が笑いながら「桜木くんはあっち、畳の部屋」と別の部屋の方を指した。

 賑やかな部屋を出た途端、小走りで駆けてきた子ども達とぶつかりそうになった。
「あ、すみません!」
「わあ、すみません!」
 頬は紅潮し何かに夢中になっているみたいに目が輝いている。階段を上がりながら「桜木さんにあっちのやつも見せよう!」「オッケー!」と言っているのが聞こえてきた。どこにいても話題になる男だ。

 座敷はむわっとした熱気と酒の匂いがこもっていた。食べかけの料理と酒の缶が座卓いっぱいに並んでいて、見知った顔の面々がそれを囲む。桜木もその中にいた。誰かの「お、楓!」という声を皮切りに、わっと拍手が鳴ったのでとりあえず頭を下げておいた。
 桜木は自分が来たことに驚いているようで目を丸くしている。
 隣に腰を下ろすと、「お前、帰ってきてたんか」と言われた。
「明日って言ってたじゃねえか」
「早くした」
「あっそ」
 なんだか素っ気ない。まだ怒っているのだろうか。桜木を挟んで反対側にいる男が「楓くん、あけおめ」と手を上げてきた。確か、これもいとこだ。
「明けましておめでとう」
 向かいに座っていた叔父にも声を掛けられる。
「ドモ」
「後でサイン頼むな」
 頷く。
「写真も頼むな」と別の叔父に声をかけられて、やっぱり頷く。
 桜木がグラスに口をつけながら自分を見てきた。
「お前、ちゃんと挨拶して回ってきたらどうだ」
「ダイジョーブ」
「大丈夫じゃねえだろ。せっかく正月なのに何しに来たんだって話だろ」
「迎えに来た」
 そう言うと桜木が固まった。
「迎えにって俺を?」
 他に誰がいるというのだ。
「帰るぞ」
 桜木の腿に手をやってせっつくと「今飲み始めたんだよ」とグラスを見せてきた。酒がまだ上のあたりまであった。
「もうちょっといさせろよ。なんかここって賑やかで楽しいだろ」
 何も言えない。
 自分は賑やかじゃないし、桜木を笑わせたりも出来ない。
 家に帰って、自分と二人きりじゃ桜木は退屈なのかもしれない。
 自分だけじゃ、桜木には物足りないのかもしれない。
 しばらくの間すれ違っていたから気弱になっているのか、そんなことを思ってしまった。
 寂しい気持ちがあふれそうになった時、手を握られた。顔を上げると桜木が「やっぱこれ飲んだら帰る」と言ってきた。
 桜木の言葉だけで自分の気持ちはぱっと切り替わる。
 頷くと、桜木も頷いて少し笑った。

 その後は、叔母の一人がぜんざいを持ってきたのでそれを食べた。食べていると、先ほどすれ違った子どもたちが自作のおもちゃだとかいうブロックの人形を持って現れた。
「お、いいじゃねえか。さっきのよりだいぶマシだな」
 桜木の無礼とも取れるセリフを聞いて、子どもたちはハイタッチをして喜んでいた。ぜんざいを食べ終えた後は、桜木が親戚たちと盛り上がる隣で、ひたすら 色紙に サインをしていった。

  帰り際、母親が紙袋を桜木に渡していた。
「おせち料理、いっぱい入れておいたから二人で食べてね」
「ありがとうございます、マジでうまかったっす」
 桜木のセリフに母親達が色めき立った。
「桜木くん、来年もお餅ついてね」
 桜木が胸に手をあてて 「御意」 と調子よく答えると、歓声が上がった。

***

「すごかったな。お前んち、祭みたいに人が集まってたな」
 桜木の吐く息が白い。自分もだろうかと思ってそっと息を吐いてみる。
 静かな夜道を並んで歩いていると、やっと桜木が自分のもとに戻ってきた気がした。
「餅つき、すげえ楽しかったぞ」
 そうだろうな、と皆の顔を思い出す。
「来年もやるんか」
「お願いされたからな、行かねばならんだろうな」
 桜木という存在が皆に見つかってしまった、と歯がゆく思う。隠していたのに。
「餅もたくさんもらったし、明後日くらいまで雑煮だな。餅食おうぜ」
 気づいているのだろうか、まだ言っていないことに。
 それとももしかして忘れてしまったのだろうか。
「お前明日はいるのか?」
「ああ」
「そうか」
 遠くで犬の鳴き声が聞こえる。
 まだ十時前だというのに人通りがなく、町がとてつもなく静かだった。
「・・・・・・なんで言わねーの」
「え?」
「あれ。なんで言わねーの」
「・・・・・・今言おうと思ってたんだよ」
「だったら早く言え」
 桜木の手を探ると握ってきた。
「おめでとっ」
 ぶっきらぼうに言ってきた。
「どっちに」
「誕生日! 決まってるだろ! 誕生日おめでとうっ!」
 少しやけっぱちな気がしないでもないが、満足した。
 指を絡めて、手をつなぎ直す。
「今年もよろしくな」
「よろしく」
「お前が早く帰ってきたの、嬉しかったぞ」と桜木は言った。

おしまい

2020年1月1日
流川さんお誕生日、おめでとう!!!