酒が飲めるぞ

 顔に何かを感じる。
 目を開けると流川の顔があった。
「びっ、くりした……え、なんだよ」
 肘をついて起き上がろうとしたら、肩を押されて戻された。
「たんじょーび」
 眉を寄せると、 「誕生日だ」ともう一度言ってきた。
「おめでとう」
 面食らいながらもシンプルな祝いの言葉を口にすると、どしんとそのまま流川が落ちてきた。圧迫されて苦しいのをぐっと堪えて背中に腕を回す。
「それ言うために起きてたのか?」
「そう」
 アピールするようになってきた。付き合い始めの頃は、誕生日なんて関係なさそうにしていた。俺の誕生日はもちろんのこと自分の誕生日すら覚えているか怪しいくらいだったのに……近年のこの誕生日アピールたるや。
「プレゼント買ってるぞ」
「知ってる」
「だよなあ」
  誕生日前にプレゼントを見せたのだ。別に誕生日プレゼントを買ったと見せびらかしたわけではない。誤解を解くために見せざるをえなかったのだ。
 12月半ば、流川の誕生日プレゼントを買おうと仕事帰りに繁華街に寄ったら、店先で元同僚の先生にばったり会った。教師になりたての頃にとてもよくしてもらった先生だったから会えたのが嬉しくて、そのまま喫茶店に移動して昔話に花を咲かせていた。するとちょうどそこへばったり流川が通りかかった。思うに、相性の良さの一つに行動が似ているというのがあると思う。俺と流川は実に「ばったり会う」が多いのだ。窓越しに俺を見る流川の表情はいつにも増して無になっていて、流川のした誤解を一瞬にして悟った。流川は相手が何歳だとか男とか女とか関係ない。そうじゃない別の次元の何かで人を判断する。その時、流川が何をどう判断したのかは分からないが、俺と目があった途端きびすを返して立ち去った。
 焦った俺は慌てて追いかけて、追いついて、違う違うと言い続けた。残念なことに「違う違う」で人の誤解は解けない。誕生日プレゼントを買っていたことは本人には隠しておきたかったが、秘密を抱えたまま誤解を解くというのはとても難しい。っていうか俺には無理だ。なぜ繁華街をうろついていたのかを誤魔化しきれなかった俺は、渋々「お前へのプレゼントを買っていたんだ」と白状した。3回くらい言ってそれでやっと流川は納得した。まあその後もしばらく機嫌をとり続けたのだけれど。

 俺の上でごそごそしていた男の動きが止まった。ベストポジションを見つけたようで、今度はスリスリと頬ずりし始めた。流川の髪を手慰みに梳く。
「俺も買った」
「何を」
「プレゼント。俺も買った」
「え、俺に?」
 上半身を浮かせると流川の体も一緒に動くが、体重をかけて戻される。
「ちがう。俺に」
「自分で自分にプレゼントを買ったのか?」
 流川の頭が頷くように動いた。
「飲んでいいぞ」
「何を買ったんだよ」
「酒」
 珍しい。
 とても。
 お前が酒なんて、と言おうとしたら視界が暗くなって柔らかいものが唇に触れた。ぬるりと入ってきた舌に応えていると、寝巻きに手が潜り込んできた。目的をもって動き出したのを感じて、俺も同じことを流川に仕掛ける。俺の動きを見逃すまいと熱心に見つめられる。そして俺もそれを見つめる。流川の頬が紅潮してきた。目を潤ませて、呼吸が速くなって、声も漏れてきた。何度見ても良い。一生飽きない自信がある。こんないいモン絶対他にない。俺のと流川のとを一緒に握って互いに動きあって擦りあってキスをしながら射精した。

 朝食もかねた昼食を取った後、毎度のように照れながらプレゼントを渡すと、照れたように黙って受け取った。今年は手袋にした。前に渡したのは年季が入ってボロになっていたから。細かく斜め模様に編まれた手袋は店で見たときよりも子どもっぽく思えて少し不安になった。でも流川はそうは思わないのか、すぐに指を通してパンパンと手を叩いて、満足げに俺に見せてきた。
「あったかそうだな」と声をかけると、「あったかい」と流川も頷く。気に入ったみたいだ、良かった。
次は自分の番だといわんばかりに、ソファの隣においていた紙袋を持ち上げた。
 ピンときた。
 例のあれだ、自分で自分に買ったという謎のプレゼントだ。
 取り出す時、手がすべったようで袋の中でゴトンと音がした。
「おまえ手袋もうとれば?」
 忠告したが無視された。
 手袋をはめたままの手で日本酒の瓶が一本取り出された。薄い水色の瓶に大きく筆で銘柄が書かれてある。見るからにうまそうなやつだ。
「良さそうなの選んだな」
「テメーも飲め」と言って、でんっと俺の前に置いた。
 立ち上がろうとするので、思わず俺も一緒に立つ。グラスを取りに行こうとしているのだろうが、手袋をはめたままというのが恐ろしい。あんなので持たれたら家中のグラスが割れてしまう。そう思ってついて行ったが、途中で流川はあっさり手袋を脱いだ。そりゃそうだよな。流川だって子どもじゃないのだ。毛糸の手袋をはめたままグラスを取ったりはしない。
 ついてきた俺を不思議そうに見てくるので、「ハムを出そうかと思って」と顎を掻きながら、誤魔化すように冷蔵庫を開けた。

 ん、とグラスを渡されて、トポポポと酒が注がれる。交代して、俺も流川のグラスに瓶を傾ける。
「おまえの誕生日と新年、おめでとう」
「おめでとう」と流川も返してきた。
 昼間から酒ってのは普段、なかなかなかなかできないことだ。
 ちょっとワクワクする。
「うまいなこの酒!」
 あっさりとして甘口で飲みやすい。
「飲め」とまた注いで来る。
 時折、ハムやチーズをつまみながらうまい酒をあおる。
「うまいうまい」と食べては飲んで食べては飲んで。
 グラスが空になりそうになると流川がすぐに注いでくる。
「お前は飲んでるか?」
「飲んでる」
「そーかあ?」
 どうも涼しげな顔をしているから飲んでいるように見えないのだ。本当に表情の変わらない奴だ。変わるのはバスケの時とアレの時くらいだ。アレの時は本当にいい顔しているんだよなあ、また俺しか知らないってのが最高だ。特に好きなのは、自分で動いてる時と、あと舐めてくれる時もいい、目が合っただけで……突然蹴られた。はっとすると流川がじいっと見ていた。
「もしかして、出てたか?」
 手の甲で口を押さえながら尋ねると、流川が頷いた。
「俺、飲むとなんでも喋るようになるみたいだ」
「知ってる」とまた頷く。
 喋るのと、そして妙な気分になるのだ。触りたくてたまらなくなってしまう。
 流川を横に詰めさせてその隣に移動する。
「酒くせえの、いやか?」と尋ねると、「俺も飲んでる」と首を振った。
 抱きつくと流川の腕が背中に回ってきた。首筋に唇を押し当てると、流川が身じろいだ。
「お前っていっつもいい匂いするな」
「テメーもな」
「そうか?」
「そう」
 知らなかった。自分を嗅いでみる。何の匂いもしない。
「俺がお前にいい匂いって思ってて、お前も俺をいい匂いって思ってる。つまり俺とお前の匂いって一緒ってことなんかな」
「そーなんじゃねえの」
「マジか。俺、そんなにいい匂いがすんのか」
 言うや否や流川の手が後頭部に伸びてきて、ちゅっと音を立てて唇にキスされた。そしてまた「もっと飲め」と言われる。
 今日はえらく勧めてきやがるな。
 不審に思うが、瓶を向けられると、つい「どうもどうも」と受けてしまう。

「あっさりしててどんどん飲めるのって危ないな。もうそれ空になりそうじゃねえか」
「まだ買ってる」と紙袋から更に一本取り出した。
「いやだめだろ。俺、日本酒はすぐに酔いがまわるんだ」
「知ってる」
「知ってるのか?」
「知ってる」
「知ってるのに飲ませたらダメだろが。よっぱらっちまう」
「酔っぱらっていい」
  ドキッとした。
 なんか口説かれているみたいだな。
「今のセリフ、俺以外に言ったらダメだぞ」
 分かっているような分かっていないような顔をしているので懇々と説く。
「お前は俺の恋人で、俺はお前の恋人だ。酔っぱらってお前に触っていいのは俺だけである、と俺は、今、強く思った、そして、お前にもそう思っていて欲しい」
「そーおもった」と頷くのを見て、「だよな」と流川の手を握りしめる。
「俺はお前の恋人、お前は俺の恋人。それはもう高校の頃から変わらないことだ。俺とお前が初めて会ったのは、忘れもしない、高1の春、体育館裏で、お前の額からは血が流れて」
「屋上だ、どあほー」
「体育館裏だキツネ。お前はすぐに忘れるんだから。あの時、お前は額から血を流して立っていて、あの異様な光景を俺は今でも忘れない。妙な気分だったぜ。顔に血が流れているお前、お前の周りに転がる男たち、なんと思えばいいのか、ん? あ、本当だな、屋上だったな」
「どあほー」
 俺としたことが。頭がうまく働かない。目をごしごし擦る。
「なんか、眠たくなってきた」
「寝ていい」
 流川が自分の足を叩いてみせた。俺がよくやるやつだ。
「でも俺まだ寝たくない。眠いけど寝たくなくて、お前を触っていたい気分だ」
「どっちもしていい」
 目を丸くする。
「ずいぶんやさしいな、どーしたんだ」
「いーから」と腕を引かれるままに横になって、流川の膝枕を借りる。見上げると目があって、流川の手が俺の頭を撫でてきた。「ザリザリ」と呟いている。

「お前の膝枕っていいな。クセになりそうだこれ」
「クセにしていい」
「そうしようかなあ、ン」
 またキスされた。
「おまえの、たんじょーびなのに、おればっかい」
 やばい、呂律が回らなくなってきた。
「ほんとはまらプレゼントが」
「もういい。もうもらった」
「てぶくろ以外にもしたかった」
「いま貰ってる」
 なんか渡したっけ。
「料理のことか?」
「それもある」
「他にもあるのか?」
「ある」
「なんだよ」
「言ってもテメーはわかんねえ」
「わかる!」
 ふんっ! と起き上がろうとするが力が入らない。すぐにへにゃっとなって膝枕に戻る。
「寝てろ」
「寝ない。触るって言っただろ」
「じゃー、さわればいい」
「でもちょっと眠いんだ」
「じゃー、ねていい」
「なんだそれ。全部いいじゃねえか」
「全部していい」
 そう言いながら頭をまた撫でてきた。
「甘やかしやがって」
 今日はお前の誕生日なのに。
 お前の主役の日なのに、俺のしたいようにさせてくれるなんて、ずい分気前がいいじゃねえか。
 でもせっかく良いと言われているんだしな。
 流川の腰に手を巻きつけてぎゅっと抱きつくと、「プレゼント」という流川のセリフが聞こえた。

おしまい

2019年流川、お誕生日おめでとう。