翌朝、俺は夢を見ていた。
目の前に突然現れたちっこい妖精が、「いらねえ」って言ってるのに延々木靴を作る夢だ。
トントントン
うるせえなあ、いらねえよ、木の靴なんてはけるわけがねえだろ。
トントントン
いらねえって!
トントントン
「はなみち」
ハッと目が覚めた。今の声はあいつだ。あのチビすけ。流川ジュニア。
起き上がった途端、頭が痛かった。
昨日はあの後、高宮の家に行って浴びるほど酒を飲んだ。「よろしくねえなあ」というアイツのセリフを最後に記憶がない。俺よく戻ってこれたな。
立ち上がって、玄関まで行きドアノブをひねるとすぐ開いた。やっぱり鍵を閉めていなかったか。まあうちにはとられる物なんて何もねえや。俺の家で金目のものつったら俺くらいだ。
あけるとやっぱりオースケが立っていた。昨日と同じ上着を着たちっこいのだ。俺を見るなりパーッと嬉しそうな笑顔になる。昨日は俺に泣かされてあんな泣きべそかいてたくせに。子どもってすぐ忘れられるんだな。
明るいところで見るとこいつは本当に流川によく似ていた。俺よくあんなに気付かないでいられたもんだ。
「なんでまた来てんだよ」と言うと、目をまん丸にして「きてもいいっていった」と言った。
そりゃまあ言ったけどよお、と頭を掻く。
言ったのは流川の子どもだって分かる前だ。
あいつの子どもだって分かってたら、絶対家にあげたりしなかった
「お前はもう俺んち来たらだめなんだよ」
「なんで」
なんでって……。なんでだろうか。なんでだめなんだろうか。
「そりゃお前が流川の子どもだからだ」
なんかいやなセリフだな。オースケがじーっと見つめてくる。そうだよなあ、子どもは関係ないよなあ。
「今のはナシだ。っていうかお前、こんな朝っぱらからうちに来て大丈夫かよ」
「おひるだよっ!」と、オースケが破顔した。
「あ?」
「もうおひるだよ!」
「え、今何時だ?」
慌てて家の中の時計を見るととっくに十二時をまわっていた。俺そんなに寝てたのかよ。
「昼かー」
「うん」
さっきよりずい分近くで声がして、見ると足元に立っていた。
「おうちにいれて」
「だーから、だめだって」
「はいりたい」
全身でお願いされて、心がぐらっと揺れる。
「あそびたい」
「……………………ちょっとだけだぞ」
身体をよけると、「うん!」と言って、家の中に入っていった。結局入れている俺だった。
***
オースケは家の中に入った途端こたつに入った。こたつがすっかり気に入ったようだ。父親そっくりだ。あいつもうちに来ていたときは真っ先にこたつに入っていったもんだ。オースケのちんまりとした後ろ姿が哀愁を誘う。おかしいな、哀愁とか、まだこんな子どもなのに。
「家に誰もいねえのかよ」
「おばあちゃんがいるよ」
おばあちゃんってことは流川のおふくろさんかな。高校の時に何度か会ったことがある。綺麗な人だった。あんな人がお母さんだったらなあと会うたびに思ったもんだ。
「おばさんもいるよ」
「おばさん?」
「とーさんのおねーさん」
そういえばアイツは、姉ちゃんがいるって言ってな。会ったことはねえけど、科学者だかなんだかの変わり者のねーちゃんがいたって聞いたことがある。
「……とーちゃんはいねえのかよ」
「いないよ」
「他には誰もいねえのか?」
ストレートに一番聞きたいことが聞けない俺だった。
「いないよ」と言ってこたつ布団をめくりながら、俺を振り返ってくる。ああ、電気入ってなかったな。しゃがんで電気を入れてやる。
「お前、ちゃんとここに行くって言ってきたのか?」
「うん」
「お前、ここまでよく来れたな」
近いといっても大人でも歩いて十五分はかかるのに。
「おとーさんときたよ!」
「え?」
「おとーさんときたよ。でもぼくひとりでもこれるよ! はやいよ!」
自慢げに言っているところを「いやいやちょっとまて」と遮る。
「とーちゃん来たのか」
「うん!」
なんだよそれ、子どもだけ寄越して、自分はとんずらか。
「そのとーちゃんはどこ行ったんだよ」
「かいもの。でもあとでくるよ」
「来る?」
「うん」
「なんでだよ」
「あそびに」
「んなわけあるか!」
「ほんとだよ」
遊びに来るってのはオースケの勘違いとしても、来るってのは確かだろうなと思った。自分の子どもだ。迎えに来なけりゃならんだろう。うん。俺と顔を合わせることになっても、それが親の務めだろ。
それから俺は急いで身支度を整えた。あいつが来ると聞いた途端に体が勝手に動き出した。着替えて顔を洗い髭をそる。掃除もした。窓をぜんぶ開けて、こたつからオースケを追い出して一気に掃除機をかける。途中で喉が渇いたというオースケに水を出してやった。水を飲んだあとは俺の周りをちょこまかちょこまか嬉しそうに走り回っていた。掃除をする俺が面白いようで自分もやりたいと何度も言ってきた。あんまりやりたがるから雑巾を持たせると、床をせっせせっせと拭いて回っていた。何がそんなに楽しいのかずっと笑っていた。
しばらくするとカンカンカンと音が聞こえてきた。階段を上がる時のアイツの足音だ。全然変わってないんだな。高校の頃、いつも待っていた音だ。あの足音が聞こえてくる心臓が鳴り始めたもんだ。
コンコンとドアを叩く音がした。
俺の家も俺の部屋も、覚えていたんだな。
立ち上がり、ドアを開けると流川が立っていた。一瞬、高校の頃に戻った気がした。流川が俺を見てきて、ぶわっと鳥肌が立った。やばい、なんかやばい。流川の唇が開きかけた時、「おとーさん!」とオースケが駆けて来た。オースケが流川の足に抱きついて、荷物がガサガサと音を立てる。助かった。俺、危なかった。なんか分からんけどやばかった。
「じゃーな」
別れを告げると、オースケが目をまん丸にする。
「いっしょにおひるごはんたべるよ」
「はあ? 食べねえよ」
「たべるよ!」
「たべねえよ」
そもそもうちには、なんもねえし。
「へやのそうじもした!」
う、まあ、そうだけど、それは別に一緒にご飯を食べるためじゃねえし。
「俺は家を綺麗にするのが趣味なだけで」
「たべるよね」
オースケが必死の様子で流川に尋ねている。流川が頷いて、持っていた袋を持ち上げてみせた。
「昼飯買ってきた」
それ昼飯だったんか。
「俺と食うのか」
「そー」
そー、じゃねえだろ。なに勝手に決めてんだ。
「冗談じゃねえ。誰がお前なんかと一緒に食べるか」
吐き捨てると、オースケの体がびくっとなった。おっと、やべえ。こいつけっこう繊細なんだった。
「オースケや。家帰ってとーちゃんと食べろ。な?」
オースケがぶんぶんと首を横に振る。解せぬ。なんでそんなに俺と食べたいんだ。
「お前もなんか言えよ」
お前の子どもだろうが。
流川を見ると、流川は「一緒に食べる」とオースケと寸分違わぬ調子で言ってきた。