二人でお茶を ~腕時計の話~ ③

「え、お前また週末いねえのかよ!」
 週末は遠征だとあっさり告げられた。また会えなくなるのかといじけた気持ちになってしまう。
「いつ行くんだよ」
「金曜」
「いつ帰ってくんだ」
「日曜の夜」
 二泊三日。ちょっとといえばちょっとだけれど、それだけの不在でも寂しく思う俺だった。
 俺はとにかく平日が忙しくて帰ってくるのも八時九時は当たり前。夜ゆっくり一緒に過ごせるのは週末だけなのに、流川が週末は忙しい。すれ違いだ。もうこれはいよいよ同居を提案するしかない。ついに言うか、俺。同居・・・男同士だからな、プロポーズみてえなもんだろ。ハッとする。プロポーズ!それだったらこんな朝の慌ただしい時なんかじゃだめだ。目の前の男を見るとまた俺の佃煮を食っている。だめだだめだ。佃煮なんて食ってる時に言うもんじゃない、もっとムーディーなシーンを所望する。夜景と海の見えるレストランで、美味しい料理にうまい酒、アンド完璧な俺とお前で臨みたい。一緒に暮らさないかと俺が言ったら流川はなんと言うだろうか。イエスと言ったら、そのまま上の階の部屋に・・・・・・上の階?ってことはホテル!ホテルがくっついたレストランじゃねえとだめじゃねえか。俺、そんなとこ知らねえぞ。調べないといけないな。インターネットか・・・・・・視線を感じた。
「なんだよ」
「・・・・・・べつに」と茶を飲みながら、「変なのと思って」続けて呟いた。聞こえてるぞ。
「おめえ、今日の夜、空いてるか?メシでも食いにいかねえか?」
「空いてない」
「え?」
 まさかの「空いていない」がきた。
「な、なんでだよ、忙しいんか?」
「そー」
「なんか用があるのか?」
 そんなこと言ってなかったのに。
「急用」
 がっくり来る。なんだよ。
「明日ならいい」
 明日は自分が会議で遅くなる日だった。
「明日は俺がだめだ」
「じゃーあさって」
「明後日はお前が出発だろうが」
「あ」と言っている。ぼんやりめ。ああ、すでにすれ違い。頭を抱える俺に、「なんかあんのか?」と聞いてくる。
「いや、なんもねえけども」と平静を装いすっくと立ち上がり、テーブルに置いておいた腕時計を手に取る。
「じゃあお前、今日は用があるならもうこねえのか?」
「・・・・・・」
 突然何か物思いに耽りはじめた。
「おい!」と言うと、ハッとした顔をする。
「来るか?」
「来ない」むっつりとなっていない日本語が返ってきて、急に機嫌を悪くしたようだ。
「なんだよいきなり不機嫌か」
 ぷいっとそっぽを向きやがった。
「なんで怒ってんだ」
 無視された。なんだこの移り気は。
「キツネ心と秋の空!」
 じとーっと俺を見た後に、「ぶす」と言ってきた。びっくりした。
「な、なんだその悪口!」
「ぶす」
「覚えたてかよ!そういうのは絶対女の人に言ったらだめな言葉だぞ!」
「テメー男だろ」
 そうだけど、そうだけどなんか・・・・・・。
「男でも傷つく!」
 現に俺は結構な衝撃を食らっている。
「テメーもう行く時間なんじゃねーの」
 慌てて時計を見ると確かに、いつもならとっくに出てる時間だった。
「くっそ、キツネのせいでこんな時間だ!ばか!バカ狐!」
「どあほー」
 おなじみの悪口に送られながら俺はアタフタと家を出た。 

***

 よくよく考えてみたら、別に夜景の見えるレストランにこだわる必要は全くなかった。俺と流川にムードなんてどうでも良い。朝は一人で盛り上がってわけの分からんシチュエーションにとらわれていたが普通でいいのだ普通で。そんなもん関係なしに「一緒に住まねえか」と言えばいいだけだった。さっさと言えば良かった。早く言えば言うだけ早く一緒に暮らせるというのに。断られるなんてもうほとんど俺の頭にはなかった。
 さっそく今晩言おうと思い、学校帰りに流川の家に寄ることにした。同居を考えているが、実は流川の家は俺の家から徒歩十分だった。なんだかんだで近くに住んでいる。でもどんなに近くても、一緒の家に住まない限り、近くても遠くても同じなんじゃねえのかなって思う。こういうのは距離じゃない気がする。そう考えたら一緒に暮らしても結局いつか同じことを言ってそうだなと思うが、まあそこは一緒に暮らしてから考えよう。
 いったん家によって荷物を置いてもう一度家を出た。時計を見ると九時で、まだ家には帰ってないかもしれないなと思う。急用とか言ってたし。一体なんの用があるんだかと言う感じだが。帰ってなかったらあいつんちの近くの焼鳥屋で晩飯でも食べていよう。そんなことを考えながら信号を待っていると、「あのー」と話しかけられた。俺かなと思って振り向くと、中年夫妻が俺を見ていた。
 「なんすかね」と聞くと「道がわからなくて」と言われた。はいはい、と中腰になる。俺は本当によく道を聞かれる。三日に一回は聞かれていてる。お陰で道案内はプロフェッショナルの域に達していた。道を説明している途中で、道に迷った原因を押しつけあう夫婦喧嘩の仲裁まで買って出た。最後は二人揃って笑顔で目的地に向かっていってそれを見て、一仕事終えた感があった。
 信号を見るとまた青が点滅し始めていて、もう次にしようとまた信号待ちをする。待っていると横断歩道の向こうに、えらく背の高い男が立っていた。というか、流川だった。周りの人間より優に頭一個分抜きん出ている上に、変なオーラがあるからすぐわかる。おお、と手を挙げようとするが、隣に同じように背の高い男がいるのをみて止める。流川と同じチームの選手だった。流川よりも顔もからだもごつい。何度かゲームを見たことがある。流川に話しかけていて、流川はいつも通りの無表情だがコクリ、コクリと頷きを返していた。
 盛り上がっていた気持ちが急に萎えた。
 踵を返して来た道を戻る。急用ってのはチームメイトと食事だったようだ。それならそうと言えばいいのだ、あのばか。ここまで出てきた俺がバカみたいだ。こっち向きで信号待ちと言うことは、まだ家には帰らないのだろう。ちょっと食事するには遅くねえか?とちらっと思うが、いい大人だし、付き合いもあるだろう。しょうがねえなと思いながら家に向かった。俺の誘いは断ったくせに、とちょっとつまらなくも思っていた。
 夕飯がまだだったがもう作る気はなかったので途中でコンビニに寄って弁当を買った。コンビニから出るとまた道を聞かれた。今度は小学生男子二人組。片っぽはべそをかいている。いったいこんな時間に何をしているんだと言いながらまた道案内をした。オレ警官にも向いてんじゃねえのかな。

 小学生の兄弟は、母親とはぐれて迷子になっていたようで、解決までにけっこう時間がかかってしまった。コンビニ弁当を持ったままあちこち動いて、ちょっと疲れてしまった。ぐったりしながら、家に着くと家のドアの前に流川が立っていた。手になんか持っていて、さっき見た姿と同じだった。俺の家に向かっていたのかと驚いた。
「なんだ、来てたのか」
 すぐにドアをあけたが、玄関に入ったっきり一歩も動こうとしなかった。
「入らねえのか」
「さっき信号のところでテメーを見つけた」
 ああ、あの時こいつも気付いていたのか。
「無視した」
「無視じゃねえだろ。お前がチームの人とメシかなんか食いに行きそうな様子だったから気を遣ったんだろうが」
「道で会っただけだ」
「・・・・・・そうかよ。仲良さそうに見えたから邪魔しちゃ悪いと思ってな」
 俺の今の言い方、棘があった気がする。
「・・・・・・ぶす」
 また言った!誰だよこいつにこんな言葉吹きこんだのは。クソ忌々しい!
「ぶすぶす何度も言いやがって!そんなにぶすがいやなら、もっとかわいい奴とつきあえばいいじゃねえか!あほ!」
 俺は中学生女子か。言った後で後悔しても遅い。流川が怒った顔をしてきゅっと口を結んだ。
「お前は俺をぶすって言うけどな、おれだってモテるんだからな。お前んちに行って帰る間だけでいつもすっげー声かけられるし」
 全部迷い道の相談だけども。
「誰から」
「誰でもだ!年上から年下まで年齢層も幅広く性別も問わず!」
 今日の迷い人は田舎から出て来た中年夫婦と、お母さんとはぐれた小学生の兄弟だった。
・・・・・・それで?」
「家族にならないかと毎回聞かれてらあ!」
 一番下の娘の婿に来ないか、僕達のお父さんになってくれないか、全部本人の意思は関係ない誘いだがなっ!
 俺が言うや否や、すごい勢いで腿を蹴飛ばされ俺は尻餅をついた。それから流川はずっと手に持っていた袋を俺にぶつけてきた。それをおでこに食らう。角が当たってめちゃくちゃ痛かった。ドアが開く音がしたと思ったら流川は出て行った後だった。ムカーッとくる。急いでドアをあける。
「俺は謝んねえからなっ!」
 ムカつく後ろ姿に叫んでやったが、振り向きもしなかった。憎たらしい。

 ぶつけられた袋から小箱が出ていた。やけに高級げなオーラを出してたお高くとまった箱だった。ファンからのもらいもんだろうか。なんかしらんが相当痛かった。捨ててやりたくなったが、人のものだからそうもいかない。玄関の下駄箱の上に叩きつけるようにして置いた。
 朝は一緒に暮らそうと大盛り上がりだった自分の気持ちが嘘みたいだ。急転直下。最悪な関係で俺たちは週末に突入した。

>>腕時計の話④