翌日、俺は普通に朝から仕事なのでいつも通り五時半に起きた。起きて洗濯機を回し朝メシを作る。途中で寝室を覗くと、流川はまだぐっすり眠っていた。それを見てにやけ顔になる。もっと毎日見れたらいいのに。一緒に暮らしたい。ずっと思っていたがなかなか言い出せずにいた。言ったらたぶん、頷きそうな気はするが、ちょっと自信のないところもある。断られたら立ち直れない。でもそろそろ限界だった。会えない日が続くと特にそう思う。十月からはリーグ戦が始まるから、会えなくなる日はさらに増えるだろう。一緒に暮らしたい。一緒に暮らして毎日、あいつのためにメシを作って、掃除して、洗濯して・・・・・・なんか俺ばっか働いている気がすんな。でもいい。今も自分のためにやってることばかりだから構わなかった。一人が二人分になるだけだ。あいつはどう考えてんのかなあとたまに思うが、なにも考えてなさそうだなあとも思う。ただ前よりもうちに来ることが増えていた。流川もまた一緒にいたがっているんじゃないかなと俺は感じていた。
そんなことを考えながら朝食を食べていると流川が起きてきた。「おはよう」というと「ん」とまだ夢の途中のような返事がある。寝ぐせがついている。雑誌に出てるときは別人のようにきちんとした髪をしているのになあ。たいそうな服やら時計やら靴やら身につけさせられて、ずいぶん男前に写ってる時がある。俺はこっちの方が断然好きだけどな。そしてそれは俺しか見ることができない。ふっふっふ・・・・・・
「気味悪い」
心のニヤケ笑いがだだ漏れていたらしい。
「お前メシは」
「いる」
「好きなだけ寝て起きたらすぐにメシが出てくるんだから良いご身分だな」
ついついこういう皮肉を言ってしまう俺だったが、流川の耳にはまったく入っていないようでガッと音を立てて椅子をひいている。
「お前ご飯に何かけるよ。なっとうー、生たまごー、辛子明太子ー」
冷蔵庫を覗きながらあれやこれやと提案する。久し振りに一緒の朝食で確実に俺のテンションは上がっている。
「岩のり、梅干しー、俺の佃煮ー、塩昆布ー、らっきょうもある!すげえ充実の冷蔵庫」
「テメエのつくだに」
「いや、これあんまりうまくねえからやめとけ」
じゃあ言うなって話なんだが、つい目についたから言ってしまった。この前テレビで作り方を見てマネして作ったのだがイマイチ美味しくならなかった。
「つくだに」
「・・・・・・うまくねえぞ?」
頷いた。まずくてもかまわねえといういうことだ。ちょっと胸がきゅんとする。じゃあ、ってことで俺の佃煮と味噌汁と煮物とししゃもとサラダと白飯を出してやった。いただきますと手を合わせてもりもり食うのを眺めながら、毎日出してやりたいなあなんてことをまた考えた。
***
「伴奏者について、立候補・推薦はありますかー」
合唱祭に向けて、ホームルームで曲や伴奏者、指揮者を決めることになった。体育祭ぐらい合唱祭も好きな俺は内心ワクワクしながらその話し合いを見守っていた。クラスメイトの司会者が大事な話し合いの進行をしているというのに、なにやら後ろの方で不穏な動きをする女子達がいる。けしからん。女子バスケ部三人、なかなか手のかかる連中だった。進行は止めないで、そっとそいつらに近寄る。
「おめえらなにやってんだ」というと、「キャー」っといいながら回していたものを慌てて机の中に隠す。ああ、またか、とため息つきながら、隠したものを出すように言うと、出してきたのは雑誌だった。年齢層が高めの表紙。中学二年生には明らかに早い。取り上げて、パラパラめくるとまた出てきた。流川、お前も多忙だなごくろうさん、と心の中で言葉をかける。
「没収!」
「えーっ!」
学校に関係のないものは持ち込み禁止だった。最初の方はそういうのって無意味なルールじゃねえかと批判的に思っていた節もあるが、そんなルールを無視してまで持ち込まれるものってのはそれ以上に無意味なものが多いので、なんかもうそういうルールも良いかなと思っている。良いというか、どうでもいいというか。
「返してくださーい!」
「ばかたれ!なんべん没収されてるんだ!本当に大事なものなら何度もとられるな!家で大事に抱えてろ!」
「熱血!」と言ってキャッキャッと笑い出したので、雑誌を丸めて頭を叩く。今度はブーブー言いだした。
「放課後まで預かっとくからな。次、持ってきたらお前ら三人、教員用トイレの掃除な。男子用」
クラスがどっと沸く。だが言われた三人は「なにそれっ!」と顔色が変わった。俺の本気が伝わったのだろう。「男のトイレとかぜったいやだよね」と顔をしかめている。我ながら良いペナルティを思いついたぜとにんまり笑う。
いつの間にか話し合いが中断していた。「ほれ続き続き」と先を促すと、「えーと伴奏者はー」とまた司会者が続けた。
その日の昼休憩に体育館の前を通りかかるとダムダムとボールをつく音が聞こえてきた。今でもボールをつく音を聞くと体が反応する。覗いてみると、雑誌を没収された女子三人組がボールをついていた。昼休憩までやってるくらいだから、こいつらがバスケを好きなのは確かなのだ。
「あ、花道先生だ。雑誌返してよー」
「だーめだ。放課後まで没収って言ってるだろ」
「ケチー」
こいつら全然反省してないな。
「ダメって言われてんのに持ってきたらだめだろうが。今からそんなルールが守れないようでお前ら大人になったらどうすんだ」
「大人になったら持ってきていいもんね」
「大人になったらもっとルールはいっぱいあるんだぞ!ルールに慣れろ」
「えー・・・・・・」と三人で顔を見合わせている。ふと気になったので聞いてみた。
「・・・・・・あの雑誌もまた流川か?」
「呼び捨てキタッ!」
「流川サンだよね!」
流川サンて・・・・・・。
「・・・・・・あいつのどこがそんなにいいんだ」
「かっこいいよね!」
「顔か?」
「顔もあるけどー、でも顔だけかっこいいとは違うよね」
「ちがうちがう。顔だけの人はいっぱいいるもんね」
「そう!それだけじゃない、なんか内面からにじみ出てるものがあるよね」
「内面ってなんだ。内臓のことか」
「やだー」とケタケタと笑う。
「性格とか中身とかっていうかー」
「そうそう中身中身!」
中身って、あいつのことなんて知らねえくせにと苦笑してしまう。
「はーそうかよ」
「バスケうまいのもやっぱりかっこいいよね」
「まずはそれだよね!」
「先生も、バスケすごいうまかったって聞いた。お父さんが言ってたよ」
突然俺に話題の矛先が向いた。
「そうかそうか」
「なんでバスケしなくなったの?」
「・・・・・・怪我だな」と言うと、「そうなんだ」としんっとなる。
「怪我をしても、今でもお前らの百万倍はうまいけどな」
一斉に「感じ悪っ」という顔になる。
「じゃあうまいとこ見せてよ。ダンク見せて!」
「ああ?」
「見たい見たい」
「しょうがねえなあ」
半年に一回はこういう展開になるので俺は慣れていた。
「キャー」と喜びの声が上がるが、ひとりが「でも、ケガ大丈夫?やばくない?」と言いだして、他の二人も「あ」と深刻そうな顔になる。雑誌はなんべん言っても持ち込むが、心根は心配ない三人組だった。
「全く大丈夫だ」
そういってボールをつかんでダムダムとドリブルをし、我ながら華麗にダンクを決めた。三人は背後で大喜び。ボールが網をくぐる感触は、やっぱり独特で。久し振りの感触に俺はとても熱くなっていた。
***
「先生、それどうされたんですか?」
職員室で隣の席の先生が驚いた顔をして俺を見てきた。同じ二年生を受け持つ、隣りのクラスの先生だった。それ、とは目の前にあるへしゃげた腕時計のことだった。
「張り切りすぎてしまって・・・・・・」
昼休憩、華麗にダンクを決めた俺はその後も、久しぶりの手ごたえに調子に乗って何度も何度も高く高くジャンプを試みているうちに、手をしたたかにボードに打ちつけてしまった。そしてこの惨状。時計のガラスの部分がめげた。動いているようだが文字盤が見えないのでお話にならない。俺は落ち込んでいた。時計がだめになったからではなく、調子に乗った自分が無様だったからである。
「時間、分からないですね」
「そうなんすよ」
「私、そんな時計初めて見ました」
「俺もです」
そう言って二人してあははと笑う。笑うしかなかった。
「あ、そうだ」
突然何かを思い出したように、机の引き出しをあけた。
「あったあった」と言いながら、出したものを俺に渡してくる。
「これ、うちのダンナのなんですけど。良かったら使ってください」
「でも」
「もう他のを使ってて、それに時計持ちなんですよ。電池替えた後、わたしが持ちっぱなしにしてて、そのうちにダンナもこれの存在をすっかり忘れちゃって・・・・・・という話すら、かれこれ一年前のことになりますが・・・・・・」
「大事なものじゃないんスか」
「先生見てたでしょ。これどこから出てきました?」
たしかに。
「時間分からなかったら不自由だと思いますし、使ってください」
「ありがとうございます」
遠慮なくその腕時計を借りることにした。茶色の革に金メッキ、ありふれたタイプの時計だけどシンプルで見やすい。替えの時計は持っていなかったし買いに行く時間もなかったので、時計を借りれたのは正直とても助かった。
***
「変わってる」
意外なことに、俺の時計が変わったことに流川はすぐに気がついた。
今朝別れてから、流川は一度は家を出たようだが、また夜になってふらっと現れた。最近そういうことが増えている。
「昼間に割っちまったんだ。で、隣のクラスの先生から借りたんだ」
割れてしまった経過は話さない。・・・・・・ダサいから。
「テニス部の」
「そうそう!お前よく覚えてるなあ。隣りのクラスでテニス部の顧問な」
「しょっちゅう出てくる」
「そうなー隣りのクラスの先生で職員室も隣りの席だしなー」
俺は酒が入っていて、その上、流川が現れたのとで上機嫌だった。お代わりのもう一本を冷蔵庫から取って来て、ソファーに座る流川の隣に腰を下ろす。
「お前、今日も雑誌に載ってたの見たぞ。この前のとは違う本。クラスの女子連中がわーきゃーと毎度毎度お前のことで大騒ぎだ。ったく。思いも寄らないところでお前をみるこっちの身にもなれってんだ・・・飲むか?」
首を振る。
「明日は朝からか?」
「ああ」
「そっかー、バスケに雑誌にひっぱりだこだな」
ちょっと心がチリっとする。流川がちやほやされることへの嫉妬と、流川を独り占めしたいゆえの嫉妬と、半々かな。でも成功しているのを祝福している気持ちもある。バスケ一筋なことを俺が一番知ってるから。俺も一筋だったけど、ダメになった。試合の度に決死の覚悟で臨んでいたから、無茶しすぎたんだろう、そりゃ怪我もするって話だ。でもだからこそ後悔はなかった。バスケができなくなって一番不安だったことは、流川とだめになるんじゃないかということだった。バスケをしない俺には流川はなんの興味も示さないんじゃないかと恐れていたけど、そういうこともなく流川はずっと俺のそばにいた。それが分かってから俺はクサっていたのをやめた。それまでバスケのためだけに通っていた大学を勉強するために通い出してめちゃくちゃがんばって教員免許を取った。中学校の先生になると言ったときの流川は「俺もテメエに習いてえ」だったかな。あれは本当に嬉しかった。いつだって一番俺を喜ばすのは流川の言葉なのだ。
思い出したらあちこち熱くなってきた。飲んでいたグラスをテーブルに置いて流川を抱き寄せる。流川もされるがままだったが、ふと何か気付いたように俺の手を見つめた。
「なんだよ」
「それ気に入ってんのか」
「なに?」
「時計」
時計?と自分の手を見ると借り物の時計をはめたままだった。
「いや別に。借り物だし。あ、でも前までダンナが使ってたとかで馴染みが良いのはたしかだな」
「はずせ」
「痛かったか?」
何かが当たるんかなと思いながら時計を腕からはずす。外してグラスの隣に置いたとたんに噛みつくようにキスをしてきた。熱烈だ。キスをしているうちにどんどん下半身が熱くなってきて流川のものも変わって来ていた。腰を揺らして布越しにこすりつけると流川がはっと短い息をつく。「おまえ今日泊まってくんだろ?」頷く流川の目元が赤くなっていてそそられる。思わず唇を舐めたのは俺なのか流川なのか、どちらの仕草か分からなくなる。ベッドに移動して、着ているものを脱いだ。流川の裸というだけで興奮してしまう。明日は朝から練習があるから互いに触ったり舐め合ったりした。電気を消すと「見えない」といやがるので、電気は大体つけっぱなしだ。明々とした照明の下で、真っ裸で俺の顔をまたぎ熱心に俺のを舐めていた。俺しか知らないそんな流川の姿に俺はものすごく興奮した。