「だーから桜木!違うって!何べん言ったらわかるんだ!ばかかお前は!」
でかい声で俺を罵倒するのは男は三井という男だ。三年でえらそうで感じ悪くていつもえばってる。とにかくえばっている。
「現在進行形で記憶失ってんじゃねえのか!」
そしてデリカシーがない。
「なんだと!」
「やんのかサル!」
「三井サン、ちょ、やめて」と割って入ってきたのはリョーチンだ。リョーチンはイッコ上の二年生だ。年上でも三井と違って、話が分かるし、なんかいい感じだ。
高校の俺はあろうことかバスケ部なんぞに入っていやがった。今もその放課後の部活中だ。バスケなんてする気はなかったのに、なんだかんだで流されてやることになってしまった。
記憶喪失になったのは三日前。学校に戻ると高宮たちがいた。記憶喪失になったと言ったら、高宮も忠も大楠も馬鹿笑いをした。もれなく全員に頭突きを食らわした。その後、洋平達に体育館に連れて行かれた。体育館に足を踏み入れた途端、人がわらわらと寄ってきた。見事に知らない顔ばかりだった。記憶喪失になったことを告げるとみんな驚いた。知らない顔でも驚いた顔になったら普通わかるものだ。俺が記憶喪失になっても表情が変わらないってのはどういうことなんだろうなあと流川を思い出していると、いつの間にか制服を着替えた流川が体育館に入って来た。流川もバスケ部らしい。同じ部なら部室で俺が倒れるまでを見ていたというのも納得だった。
俺の記憶喪失に一同がざわめく中、一人が手を挙げた。発言を求める挙手だった。
「ごめんよ桜木、俺がドアを突然開けたせいで大変なことに」
「ヤスのせいじゃねえだろ。花道が悪いって」
すかさず高宮が口をはさむ。
「なんで俺が悪いんだよ!」
と言いつつも、俺は生来、公正な男だ。ドアを開けてごめん、だなんてそんなばかな道理はない。ヤスという奴に向き合い「気にしないでいい」と言った。
「でも俺が持ってきたクリスマスの飾りで」
飾りまでコイツのものだったらしい。なんという間の悪さ。それでもヤスはやはり悪くない。
「運が悪かったということだ。気に病むな」
見事な桜木裁きで一件落着。
「じゃ、そういうことで」と帰ろうとすると、「いやいやいやいや」と、止められた。
俺はとっとと帰りたかったのに、残れと言われた。冗談じゃねえよ、なあ!と洋平たちに同意を求めるとあいつらにまで説得された。バスケットが高校の俺にとっていかに大事であるのかをこれでもかと力説されたが、高校の俺にはなんの義理もない。部活動なんて面倒なことをやる気はなかった。右から左に聞き流していたら、大楠と高宮に体育館の隅っこに連れていかれて俺がバスケ部に入ったいきさつを聞かされた。晴子さんという人がかかわっているらしい。そして忠がその晴子さんを連れてきた。一目見て、ああそうだろうなと納得がいった。実は体育館に入ったときからちょっと気になっていたのだった。女の人は二人いたが俺はこの人の方に惹きつけられていた。とても可憐な人だった。高一の俺がホの字になるのも納得。「バスケを続けて、桜木君」という晴子さんの一言で山は動いた。俺はバスケを続けることにした。
やってみるとバスケは楽しかった。もともと体を動かすことは好きだし、高校の俺は本当にバスケをしていたようで、少しやっただけで身体がそれなりの動きを見せた。身体の動きと記憶っていうのはまた別モノなんだろうか。俺の動きをみて部員らしき連中も喜んでいた。動きは問題なかったが、ルールが分からなかった。ややこしくて覚えられない。高校の俺は経験者かもしれないが今の俺は初心者も同然。経験値はゼロだ。そんなすぐにルールなんて覚えられるもんか。なーのに三井は俺を責める。分かってないだのいつまで経っても覚えないだのなんだのかんだの、ガミガミイライラ俺の悪口を言うのだ。
「お前は何べん初心者をやるんだ!この大事な時期にそんな病になりやがって。冬の大会どうすんだよ!迂闊なんだよ、ウカツ!なあ、宮城、この桜木の脳みそなんとかなんねえのかよ。元に戻せ」
べらべらとよく喋る男だ。
「何言ってんの、そんなのできるわけないじゃんか。アンタだけだよ、いつまでもそんなこと言ってんの」
「うるせえ」と言って俺をにらみつけてきた。いやな男だ。
「キオクソーシツだか中三だかしらねえけど、人のことをすっきり忘れちまいやがって。俺の顔を見るたびに、変な間をおいて知らない奴を見たみたいな顔するんだぞこいつ」
しょうがないじゃないか。本当に知らんのだから。
「しかもなんか、前以上に生意気じゃねえか。態度も悪いし目つきも悪い。可愛げも全然ねえ。最悪だっ!」
うるせえなあ、俺だって好きでこんなになったんじゃねえのに。今の俺が出来そこないみたいじゃねえか。
「三井サン、俺のじいちゃんが昔言ってたよ」
「あんだよ」
「人を変えるより自分を変えた方が早いって。俺は今、なるほどなあって思ってる」
「だから、なんだよ」
「花道の記憶が戻ることを願う前に、自分を今の花道に合わした方が早いと思うヨ」
リョーチンがさすがなことを言っている。「あんだよチビ」と今度はリョーチンに噛みついている。呆れた男だ。
「三井は本当に大人げない奴だ。それに比べてリョーチンは若いのに立派だな」とリョーチンの肩を叩くと、「あ、こら花道」とリョーチンが慌てた。
「・・・もういっぺん言ってみろや」
「そんなに聞きたきゃ何度でも言ってやる」
掴みかかってきた三井に応戦しようと構えると、リョーチンが両手を広げて俺達の間に割り込んできて、「流川!来い!」と遠くでボールをついていた流川を呼んだ。俺はちょっとそれで勢いがそがれた。俺はこの三日間で流川には一目置くようになっていた。呼ばれた流川が不承不承といった様子で「・・・なんスか」とやって来た。
「花道が三井サンと喧嘩しないように見はりつつ、色々教えてやって」
リョーチンにそう言われた流川はチラッと俺を見た後に「…ッス」と頷いた。顎をしゃくって「来い」と命令される。エラそうに!とむかついたが、三井といるよりは流川の方がだいぶマシだったのでついて行った。
「流川よりアンタの方が仲悪いってどういうこと?え?だってじゃないよ。大体さあ」後ろの方からなにやら聞こえてくる。リョーチンが三井に説教をしているようだ。いい気味だ。
「三井という奴は全くもってけしからん!あんなのが高校三年生だなんて嘆かわしい!」
でかい声で文句を言っていると、「ドリブルをしろ」と言って来た。
「さっきもうした。そんなんよりお前がやってたやつを俺もやる。あのわっかにジャンプしてつかまってブラブラと」
「まだだめだ。テメーは基礎が全く足りてねえ」
キ~ソォ~?
「もう十分やったって」
「テメーずっとセンパイと喋ってたじゃねえか」
見てたのか。
「その前にやってたんだよ。一生分した」
「短い一生だな」
ああ言えばこう言う。無口なくせに言い返すのはしてくるんだよな。部活の時は特にそうだ。
「つまんねえし、俺帰る」
今日は洋平たちもいねえしな。バイトがあるとかで帰って行きやがった。冷たい奴らだ。遠征資金がどーのこーの言ってたな。どっか行くんかな。金がいるくらいどこか遠くへ。あいつらがバイトで流川はバスケなら、家に帰っても俺一人か・・・。俺もバイト始めようかな。スマイル売るやつ。出口に向かおうとしたらむんずと襟を掴まれた。流川だ。「離せ離せ」と暴れるのに自由にならない。おかしいな、俺だってこいつくらいでかいのに。並んでみたら俺の方が大きいくらいなのに!なんだ流川のこの力は!
「やれ」
「いやだ、俺は帰るんだ」
「…逃げんのか」
聞き捨てならない言葉が聞こえた。
「なんだと!」
「できねえからやらねえんだろ」
「出来る!すっげえ出来るぞ」
「やってみろ」
ああ、見せてやらあっ、と流川の手からボールをぶんどり、そのままついてやる 。
ダムダムダムダムダムダムダムダム!
「どうだ」
「俺の方がうまい」
むっ。
「やってみろ」
流川は俺が持っていたボールを奪ってダムダムとつきだした。それを見て、俺は息をのんだ。洗練されていたのだ。俺はスポーツ万能で出来ないスポーツはまあない。やればなんでもできる。ゆえに大変悲劇的なことに、流川のドリブルのすごさが分かってしまうのだった。変な力が入っていない。一生ボールをついていられそうなくらいリラックスしているように見えた。でも隙もなかった。悔しいが俺の方が下手だということが分かった。分かってしまった以上はやらねばならん。俺は負けない男。
流川を蹴飛ばしてボールを奪い返す。流川を睨みながら俺はダムダムし始めた。流川よりドリブルをうまくなってみせるという決意のもとに。俺がドリブルを始めたその傍らで流川も自分の練習を始めた。流川の練習を見ながら自分も同じことがしたいなあと思った。
そのままダムダムしていたら「がんばっててえらいね」と晴子さんに声をかけられた。そのお言葉にポッとなって、手が止まりボールが転がっていく。すると今度は彩子さんのハリセンと流川の冷めた目線が飛んでくる。部活動はおおむねその繰り返しだったが嫌ではなかった。居心地も悪くない。一人で家にいるより断然良かった。俺はしっかりバスケ部に顔を出すようになっていた。