二人でお茶を ~腕時計の話~ ④

 元からめったに連絡を寄越さない奴なので流川からの連絡は期待していなかった。俺も俺でイライラが収まらなかったので連絡はしなかった。イライラというか、流川の「ぶす」が効いていた。本当にしょうもない言葉なのに地味に攻撃力のある言葉だ。俺は生涯あの言葉は使わないと心に誓う。あいつは一体どこで覚えてきたのだろう、腹の立つ・・・・・・。
 だが仕事の忙しさでそういったことも次第に忘れていった。学校で様々なものに接するうちに色んな事の深刻さがすこしずつ薄れていく。深く考えないと言えばそれまでだが、深く考えたところで何の役にも立たないことは世の中にはあって、今回の一件はまさにそれだった。売り言葉に買い言葉のどうしようもな諍いだった。土曜には俺の怒りは収まっていた。他愛のないことだと俺の中で落ち着きつつあった。日曜の遠征帰りにはまたいつも通りうちに寄って欲しいなと思っていた。とにかく顔が見たかった。
 しかし、喧嘩は相手があってのことだから自分は怒っていなくても、相手が怒っていたら簡単には仲直りはできない。日曜の夜、いつも通りふらっと来るかなと思っていたが流川は現れなかった。まだ怒っているのだろうか。それともまだ帰っていないのだろうか・・・・・・気になる。一緒に暮らしていたらなあとこんな時は特に思う。一緒に暮らしていたら帰ったかどうかは少なくともわかる。家にいてもモヤモヤして時計ばかり見てしまうので、流川の家に行ってみることにした。

***

 流川は立派なマンションに住んでいて、部屋数も俺の家より多いし、その上一つ一つの部屋が広い。居心地は流川の家の方がいいんだろうけど、あまり来たことはなかった。来たのはあいつが引っ越したとき、それから喧嘩した時。前に喧嘩したときも来た記憶がある。あいつはいるだろうかと見上げてみる。たぶんあそこだろうなと思う部屋にぼんやりとした明かりが見えた。
 暗証番号を押してだだっ広いエントランスに入る。来るたびに思うがここはマンションというよりもホテルみたいだ。エレベーターで十階まで上がり、部屋のチャイムを押す。カメラ付きの高性能なインターフォンだがあいつはまず使わない。案の定、ガチャリと音がしてドアが開いた。三日ぶりの流川だった。
「来たぞ」
 ちょっと躊躇を見せる。俺を入れようかどうしようかという間だろう。お構いなしに強引に入り込んだ。

「相変わらず殺風景な部屋だなあ・・・・・・」
 なーんにもなかった。あるのは、テーブル、椅子、食器棚、テレビ、冷蔵庫・・・・・・冷蔵庫の中もきっとなんも入ってねえんだろうな。向こうの部屋にはベッドが見えた。引っ越したときとなんにも変わってない。こんなだだっ広い部屋で普段こいつは一体なにをして過ごしているんだろうか。入り口に不愉快そうな顔のまま突っ立っている男に、「コーヒー飲むか?」と尋ねる。普通、家主が出すものだがこの家では自分で入れないと絶対出てこない。頷いたので、湯を沸かす。コーヒーくらいはあるだろうと思って戸棚をあさっていたら、インスタントコーヒーが出てきた。これ前にオレがお歳暮でもらったやつじゃねえか?たくさんもらったから持たせたんだよな。まだあったのか。減ってるからちょっとは飲んだみたいで、なぜかホッとする。砂糖はかろうじてあったが、牛乳がなかった。流川スペシャルは作れなかった。まあその辺は買ってない自分の責任だろ。
「ほらよ」と出すと、中を覗いてその目で睨んできた。オレのせいじゃねえだろ・・・・・・。つきあってらんねえよとオレは自分の分を飲み始めた。すっかりへそを曲げてしまったようで、口も付けようとしない。放っておいたら本格的に拗ねてしまったみたいで、オレの横を通り過ぎて寝室に引っ込んでしまった。
「子どもかお前は!」
 首をねじって顔を流川の方に向けて叫ぶが、返事はなし。びっくりする。まあでもいい。無事に帰っていたのなら何よりだ。それからしばらく二十分くらい、なんにもない部屋をうろうろして眺めたり、寝室でうつぶせになっている男を覗いたりしていた。が、面白くもなんともないので帰ることにした。
「オレは帰るからなーじゃあな!」
 やっぱり反応はない。ため息をついて玄関で靴を履いていると、流川が出てきて一緒になって靴を履きだした。
「見送りか?」
・・・・・・んなわけねえか。
「どっか出掛けんのか?」
「・・・・・・」
 また無視か。朝食でも買いに行くんだろうと高をくくる。もう知らん。
「じゃあな」と言ってオレは流川の家を出た。頑固者は放っておくに限る。

 なんとも達成感のないままマンションを出た。一体オレはなにしに行ったんだろうな。茶を飲んで帰っただけ。はーっとため息をついて帰り道を歩き出す。
 街の景色は秋になりつつあった。これからどんどん寒くなっていく。春生まれだからか、秋は少し寂しく感じる。そんな季節に誰か一緒にいてくれるとそれだけでほっとする。寒い夜、家に帰って流川がいる、想像しただけであったかい気持ちになってくる。いてくれるだけで十分なのだ。
 なんとなく気になって後ろを振り返ると、流川が歩いていた。オレと同じ方向に行くんだろうか。いつも使うコンビニはとっくに通り越していた。
 大きな交差点の信号にかかって立ち止まると、流川もちょっと離れたところに止まっている。
 信号が青になって歩き始めると、流川もやっぱり歩き出した。それからたばこ屋の前を通り、郵便ポストの前を通り、そのたびにオレは後ろを見たが、流川はやっぱりついてきていた。なんだかパトロールをしているみたいで笑える。なにやってんだろう。こいつは一体どこに行くんだろうかと少しわくわくしていた。

 ついにオレの家の前まできた。振り返ってみるとやっぱり流川は数メートル離れたところにいて。尾行のつもりだろうか。もうなにを考えているのかさっぱり分からん。俺が入ったらついてくるのだろうか。俺の家は築年数は二十年は越えていて、流川んちに比べたら、しみったれていておんぼろだ。エレベーターもないし。でもオレは気に入ってる。住人とももう顔馴染みだ。階段を上っていると、後ろから足音が聞こえてきて、やっぱりついてきたなと思う。結局俺んちに来た。
 オレが家の鍵を回してドアを開けるのを見届けてから、流川はくるっと踵を返して来た道を戻ろうとした。「帰すかよ」と苦笑しながら腕をひいて、部屋に引っ張り込んだ。

***

 中に入っても帰ろうとじたばたするので囲うようにして両手をドアにつき動きを封じる。むうっとした顔がかわいいなあと思ったので顔を近づけると、横を向かれた。まだ怒っているようだった。横を向いた顔が見る見るうちに横顔が怒気をはらんでいく。今度はなんだと視線を同じ方向に向けると、流川がぶつけてきたものがあった。
「おまえの忘れ物だぞ」
「テメーのだ」
「はあ?おまえが俺にぶん投げて帰っていったやつだぞ?」
「いらないならいい」
 そう言って俺を肩で邪魔っ気に押しやって腕を伸ばして箱を掴んだ。帰るのかなと一瞬思ったが、靴を脱いで部屋の中に入っていった。

 流川に遅れて居間に入ると、テーブルの上に例の箱が置いてあった。流川はソファーに座っていた。箱を手に取る。
「開けていいんか?」
 不機嫌さが伝わってくる後ろ姿に尋ねてみると、頷いた。開ける時にちょっとだけ負荷がかかって、その上、箱の材質が高級そうだ。一瞬、「指輪か?」とドキリとしたが、出てきたのは腕時計だった。
「時計じゃねえか!」
 ちらっと振り向いてきた。
「なんだよこれ、え、おまえ、買ってきてくれたんか?」
 コクッと頷く。こげ茶の革ベルトに大きめの文字盤だった。文字盤の数字もちょっとだけしゃれていて一目で気に入った。何よりこいつが買ってくれたってのがすごく嬉しい。驚くやら嬉しいやらで大興奮でソファーの流川に抱きついた。
「俺、すっげえ嬉しいぞ!」
 流川の手が背中に回ってきた。
「この前、これ買いに行ってたんかおまえ」
「そー」
「何でそう言わないんだよ」
「サプライズ」
 アメリカ人か!ありがとうな、と唇を寄せると今度は素直に答えてきた。チュッチュとやっているうちにどんどん興奮してきて濃くて深いのに変わっていく。ベロを出して舐めあいながら寝室に移動する。ベッドの上に押し倒し、服を脱がしていくとき目があった。良い顔してんなあ、と髪を梳いているといきなり体を反転させられて流川が乗っかってきた。なんだなんだと驚いていると流川の手がオレの右手に伸びてきて、あっという間に借り物の時計を外された。こいつ、俺がこの時計をしているのが気に食わなかったのかとやっと気付いた。

 流川が俺の上にまたがって気持ちよさそうに動いている。入ってるところを見せろと言ったら後ろに手をつき膝を立てた。すげえ。俺のが出たり入ったりするのを見ながら、流川の刻むリズムに身をゆだねる。
「たまんねえ」
 うっとりしながらそう言うと、流川の動きが早くなる。流川を見ると俺を見ていた。口を半開きにして熱心に俺を見つめながら、ずっと腰を動かしている。何も言っていないのに、好きだ好きだと言われている気がした。きゅんとなる。それが体から伝わったのか流川が少し眉を寄せる。こいつも気持ちいいんだと思うと俺の腰も突くように動き始めた。流川に「自分でしてみせろ」と言うと流川の右手が自分のものを忙しなく擦り始める。流川の自慰の姿に興奮してしまう。舌がちらちらと見えた。
「あ、やばい、おまえやばすぎる」
 体を起こして流川を後ろに倒して、猛烈に腰を振り立てる。流川の長い足が俺の腰回りに絡みつく。
「好きだぞ流川、すっげえ好きだ」
 掠れた声で告白すると流川のからだが大きく揺れて、我を忘れたようになきだした。エロすぎる声だった。しばらくその声を楽しみながら腰を振って、もっと聞いていたいけど、流川が欲しがったのでキスをした。その途端、大きく体がはねて流川は射精した。流川の気持ちいい顔で、俺もすぐに流川の中で果てた。

***

 翌朝、今にも寝そうな様子でテーブルについている奴に流川スペシャルを出してやった。俺の右手にはもちろん流川からもらった腕時計をはめている。おもむろにカップの中をのぞき込んで、すぐに飲み始めた。
「昨日はおまえんちに牛乳がなかったから、作れなかったんだぞ」
 合点がいった顔を返してくる。やっぱりな。飲まなかったのはそういうことじゃないかなと思っていた。
「牛乳くらい買っとけ。なんもなかったじゃねえかお前んち」
「飲みたくなったら買いに行く」
「暮らすってことはそういうことじゃねえだろ。欲しくなったら買いに行くなんて、ホテル暮らしと変わらねえじゃねえか。家は帰って来たなあと思う場所だろ。そういうのを作り上げる努力をしろよ」
「めんどくせ」
 そんなことを言う流川が心配やらかわいいやら、いろんな気持ちが一気におそってきた。
「もうおまえ、俺んちに暮らせよ」
 気付いたら自然に言っていた。
 ・・・・・・言うときは自然だったが言った後はもう心臓がバクバクものだった。その上、反応がない。平静を装ってちらっと顔を見たら、流川は俺を見ていた。
「いやか?」
「テメエと一緒に暮らすってことか?」
「そうだ!」
「そーする」
「俺と暮らすか!」
「暮らす」
 こっくりと頷く。嬉しい!それなら早く決めてしまおう!
「どっちが引っ越す!?俺は一緒に暮らすんならどっちでもいいぞ。お前が俺んちに来てもいいし、おれがお前の家に行っても良いし」
「ここが良い」
 じーんとしてしまう。
「そうかそうか。いつにするよ、俺、今週の土日もなんとかしたら」
「今日」
「え?」
「今日からもう暮らす」
 流川のセリフにオレは不覚にも、ちょびっと泣いてしまったのだった。

おしまい