約束していた二日後の朝、オースケは元気いっぱいに現れた。よほど楽しみにしていたのだろう、いつもより三十分は早くやって来た。かく言う俺も楽しみにしていたようで、ずいぶん早くに目が覚めた。オースケがドアを叩いた頃にはしっかり迎える準備はできていた。
ドアが開くのを待ち構えていたオースケは、目が合うなりパッと笑顔になった。
「きたよっ!」
「来たか」
勢い良く足に抱きついてくる。失いかけて思い知ったこの存在と反応のありがたさ。しみじみ噛み締めながら頭を撫でるとオースケが満面の笑みで見上げてきた。屈託のない笑顔につられて俺も笑顔になってしまう。少し遅れて流川も上がってきた。「よお」と声をかけると挨拶代わりの頷きを返してくる。
「おうちにはいっていい?」と尋ねてきながらもう靴を脱ぎかけている。
「いいぞ」と言うと、部屋に上がりこたつに突撃していった。
「いつも通りになったな」
「そーでもねえ」と流川が首を振る。
「え、なんだよ」
「全然寝ないし、朝もすっげえ早く起きて」と珍しく流川が辟易したような顔を見せて来た。その表情に興味がわいた。
「早くって何時頃だ?」
「四時半ぐれえ」
うへえ。
「マジかよ。ニワトリみてえだな」
「ずっと、テメーのとこに行くって言って、走って」
「お前はどうしてたんだよ」
「寝ろって言ってた」
明け方のまだ外が暗い頃に、興奮して動きまわるオースケに寝ぼけた顔で延々「ねろ」と言い続ける流川の姿が頭に浮かんだ。
「そんなんじゃ、きかねえだろ?」
「きかねえ」
素直に頷く流川がおかしくて思わずハハッと笑うと、しっかり目が合った。その途端この前の夜を思い出した。流川の反応、肌や匂いや重みの記憶が蘇る。俺の思いが伝わったかのように流川の目も変わった。朝っぱらから俺たちは欲情し合っている。いけない、話題を変えねば。
「お前、あれだな! 高校より出来あがったよな、腕とか、腰とか」
俺は大馬鹿だ。場を変えるつもりで言ったセリフがとんでもない。恥ずかしくてまともに見れなくなってしまった。視線を逸らして「昼飯作っといてやる」と言うと、自分に言われたと思ったのかオースケが反応した。
「さくらぎチャーハンがいい!」と駆けてきた。
「チャーハンで良いのか?」
「うん! おとーさんもさくらぎチャーハンがすきって」
流川の両手をとって、自分の前で交差させている。確かめるようにオースケが流川を見上げると流川も頷いた。この二人は俺が思っている以上に俺の話をしているのかもしれない。
「じゃあ今日は桜木チャーハンな」と受けあうと、「やった」と言って両腕を折って脇につける妙な踊りみたいなものをし始めた。
「おまえ、なにやってんだ?」
「こやぎのダンス!」
なんだそれは、と流川を見ると「保育園で教わるやつだ」と教えてくれた。
***
冷蔵庫の前にしゃがんでいると、こたつ遊びをしていたオースケが後ろから乗っかって来た。手を伸ばしておんぶをするみたいにすると、「あそんで」と言ってくる。さっそく来たなと笑う。
「なにして遊ぶんだ?」
「そうじ」
「おまえ、ホントにそんなことがしたいのか?」
「したい!」
「遊びたいって言って掃除をしたがるとはなあ・・・・・・」
オースケを背負って立ち上がり自分の部屋を眺める。少々、荒れているように見えた。
「確かに、しばらくお前とゆっくりしていなかったから部屋も散らかってるなあ」
元々こんなものだったが、むしろ今までに比べれば綺麗な方だが、オースケと掃除する日々が続いていたからすっかり見え方が変わってしまった。
「そうじしよう?」
「よしするか! 掃除!」
「しよう!」
何をするかと聞いたら雑巾がけと言った。こたつといい掃除といい雑巾といい、好みが渋いんだよな。
持たせる雑巾を絞ろうとすると、自分にやらせろと言ってきた。なんでもやりたがるのだ。それじゃあやってみろと渡すが、手が小さいのと力が弱いのとで全く絞れない。「それじゃ使えないな」と言って俺が絞ってみせると大量に水が出る。オースケは興奮して「やらせてやらせて」と手を伸ばしてせっついてきた。もう一度濡らしてオースケに渡す。その間に俺はこたつをあげて、こたつ布団を干しに部屋の外に出た。外に出るとすっとした空気を感じた。深呼吸して、手すりに布団をかけていく。日の光を感じて手を止める。町を見渡すとキラキラして見えた。気持ちの良い朝だな。そんな風に思う自分が新鮮だった。
部屋に戻ると、雑巾と格闘していたオースケが不服そうな顔をして俺を見てきた。
「できない」と雑巾を渡してくる。水がぽたぽたと滴っている。
「じゃあ練習しろよ」
特に他にやることもないんだし。
「もうやらない」と雑巾を流しに置いた。
「おまえのとーちゃんだったら諦めないぞ」
自分の口から勝手にそんなセリフが出た。
「……」
オースケが続きを待つ。
「おまえのとーちゃんは負けず嫌いだからな、上手くなるまで練習するぞ」
いくら流川が負けず嫌いと言っても、雑巾絞りにまでその精神を発揮するかは怪しいが、この際そういうことにしておいた。
俺のセリフに動かされたのか、オースケは再び雑巾を手にして絞り始めた。
「できた」と見せてきた雑巾は、最初よりはよじれていて成長を感じた。
「よし。貸してみろ」と仕上げるつもりで言うと、プライドに障ったのか不満そうな顔をした。渡せと言うのに首を振る。
「おまえのとーちゃんだったら渡すんじゃねえかな」
試しにもう一度言ってみると、素直にきいて俺に渡して来た。ずいぶん流川のことを尊敬しているんだろう、アイツの名を出すと一発だ。でもだからこそ、流川の名前を出して何かをやらせるのはやめておこうと思った。なんとなくそう思った。オースケの後ろに回り込んで雑巾を持たせる。雑巾を持つ小さな手に俺の手を重ねて「いくぞ」と声をけ、ぎゅうっと絞っていくと水がぼたぼたと落ちて行った。オースケが「うわあ」と声をあげる。一事が万事可愛いやつだ。
***
流川は、昼飯のチャーハンが出来た頃に現れた。
今までは昼飯を食べるとすぐに帰っていったが今日は帰らなかった。俺もそれに異議を唱えなかった。いつもより長く俺の家にいられることを喜んだオースケは、しばらく興奮気味に動きまわっていたが、突然電池が切れたように部屋の真ん中で動かなくなった。流川がそれを抱え上げてこたつに横たわらせる。くうくうと寝息を立てて眠るオースケの頬はピンク色で、流川が子どもの頃もこんなのだったんかなと考えた。
「ほら。お前のパンツ」
この前置いて帰ったパンツを渡して、俺もこたつに入る。いつもは正面に座っていたけど、今日は斜め向かいに座った。俺の中で確実に色々なことが変わってきている。
探りあうような沈黙があって、俺が口を開いた。
「お前らって、今だけ、こっちに来てるのか? オースケがいつもはこっちにいないって言ってたぞ」
「……ああ」
「じゃあ、そのうち別の家に帰るのか?」と尋ねると、「……分かんねえ」と流川は言った。
「なんだよそれ、自分のことだろ?」
流川は返事をしなかった。しないというより出来ないようにみえた。迷いや悩みがあるのかもしれない。もしかしたら再会した時からずっとそうだったのかもしれない。俺が見ないようにしていただけで。
「まあ俺は、お前の住まいが、あっちでもこっちでも、どっちでもいいけどな」
そう言うと流川が傷ついたような顔をした。その顔を見て間違って伝わったと気付いた。顔を背けられて「そうじゃなくて」と慌てて言葉をつなげる。
「その……うまく言えねえけど、お前がどこにいても、俺は、お前と、あと、オースケを」
続きの言葉は頭にあったけれどブレーキがかかった。全部言うのは早過ぎる気がした。
上手に言い訳が出来なかった俺はそっぽを向かれたままで、頭を掻く。こたつ布団の下に手を潜り込ませて流川の手を探す。探し当てた手に触れるとピクっと反応して、やっとこっちを見てきた。こたつでぬくもった体は潤んだ目になっていて、それに誘われるように顔を近づけると流川も応じた。唇をくっつけたり離したりを繰り返す。付き合い始めの頃を思い出すようなキスだった。近くでオースケが眠っているから、変なスイッチが入らないように俺たちは加減をしていた。
「今晩また来いよ」
途中で囁くと流川も熱っぽい目をして頷いた。
「さっきのパンツ持って帰らないでいいな」
俺のセリフに「どあほう」と返してくる。
それからオースケが起きるまで、俺たちはキスをしていた。
2020/10/31
天才の日の更新でした