トランジット10

 流川がこたつでごろごろしている。
 それだけのことでも嬉しくて、じっとしられない。用もないのにあれこれ動いて、帰りにラーメン屋に寄ったのに、家に帰ってもまだ雑煮を作ってみたりした。初めて流川に料理を作った。出してみると、流川はむくりと起きてすぐに食べだした。ラーメンをたらふく食べていたにもかかわらず、美味しそうに食べていた。それを見て俺もようやく少し落ち着いて、一緒に食べた。
 食べている間もつい流川を見ていた。流川もたまに俺を見てきて、目が合った。何度目かにあった時、「見てんじゃねえ」と言われた。
「お前だって俺のこと見てるじゃねえか」
「見てねえ」
「じゃあ何で目が合うんだよ」
「お前も見てるからだろ」と言うと、むすっとした顔になって餅を食べ出した。俺も真似して餅を食べた。食べながら、俺はここんとこの色々を思い出していた。

「お前はやっぱ、高校ヤローに会いたいんか?」
「ああ」
「あいつに会いたいからうちに来てたんか?」
「ああ」
 悲しくはなかった。流川がうちにいる喜びが痛みを鈍くさせているのかもしれない。
「お前が言ってた嘘ってそれか?高校ヤローに会いたいのに、そう言わなかったことか」
 流川は頷いた。
「なんで嘘ついたんだ」
「はじめからそう思ってたわけじゃねーから」
「はじめはどう思ってたんだよ」
「記憶とか、あってもなくても同じだろって」
「でも同じじゃなかったんか」
「同じだけど、なんか、違ってきた」
「俺と高校ヤローが違うってことか」
「そうだ」
「どこが違うんだよ」
「なんか」
 あいまいだな。
「もっとなんかねえのか」
「なんか、ちがう」
「・・・・・・わかんねえけど」とつぶやいて、箸を置いた。

「おまえは高校ヤローが好きだったんか?」
 返事がない。こたつの中で軽く蹴って、もう一回「好きなンだろ」と言ったら、流川は睨みを寄越しながら「好きじゃねえ」と言った。
 それこそ嘘だろ。変なところで素直じゃないんだな。
「もしも記憶が戻らなくて、ずっと俺のままだったらどうすんだよ」
「・・・・・・」
 何も言わないから、代わりに俺が言った。
「もしそうだったら俺のこと好きになれよ。見た目は同じだし、性格だって。俺にしろよ」
「テメーはそれでいいんか」
「ああ、いいぞ。俺にしろよ。俺、お前のことすげえ好きだし」
 流川が眉を寄せて、俯いた。
「前の俺とお前って一緒に帰ってたりしてたんか?」
「ああ」
「毎日か?」
「ああ」
「手もつないだりしてたんか?」
「たまに」
「キ、キスとかもしてたんか?」
「・・・・・・たまに」
 え、えろいな高校ヤロー。・・・・・・キス・・・・・・流川もそういうのするんか・・・・・・想像してみたらムズムズして来た。
「俺もしたい!」
 流川が驚いた顔をした。
「しねぇ」
「したい! それに、したら、俺、その衝撃でお前のこと思い出すかもしれねえぞ。そういう話もあるってリョーチンたちから聞いた」
 そう言った途端、ちんどん屋が現れた。ガンガンとかつてないほどの騒々しさで頭が割れそうだ。しかし、俺はもう気がついていた。ちんどん屋はお前だろう、高校ヤロー。おまえがずっと騒いで、出たがってるんだろう。お前も流川のそばにいたいんだろう。俺がキスしようとしてるから、それに焦って出てきたんだ。でも俺は譲らねえぞ。俺だって流川と一緒にいたい。
「したい」
「俺はしたくねえ」
 ムカーッと来て、流川に飛びついて押し倒した。やり方は分からないけど、くっつけたらいいんだろ。ガンガン鳴る頭を振って顔を寄せてみたら、流川の手が俺を押しやった。その手を掴むと、流川が困った顔をした。でもそんな顔は火に油だ。そんな顔されたらもっとわがままを言って流川を困らせてやりたくなる。
「やめろ」
 さっきから口ばっかりで、本気じゃないのはすぐ分かる。流川も迷ってるんだと俺は思った。
「お前だってしたがってる」
「したくねえ」
「うそだ。全然そんな顔してねえぞ」
「・・・・・・」
 口をぎゅっと結んで拒絶しているよう見せるのに、ちっとも意志が感じられない。流川も絶対にしたいんだ。そう思って、もっと顔を寄せたら、あとちょっとのところで横を向かれて避けられた。俺は傷ついた。
「なんでだめなんだよ」
「いやがる」
「いやがるって・・・・・・アイツか?」
 流川が頷いた。この期に及んで高校ヤローか。忌々しい。
「同じ俺だ」
「違う」
「違わねえよ。もとを正したら、」
「でもテメーは嫌ってるじゃねえか」
 なにか核心をつかれた気がして俺の動きが止まった。
「嫌ってなんか、」
「じゃあ好きか」
 動かなくなった俺を押しのけて流川が起き上った。俺は茫然とした。何だよそれ、意味分かんねえ。俺が俺を好きじゃなかったら、違うっていうのか。

「・・・・・・じゃあこのまま俺の記憶がずーっと戻らなかったらどうすんだ。それで俺が別の奴と登下校したり手をつないだりして恋人になってもいいんか」
 今度は流川が傷ついた顔をした。流川の目が涙目になっていた。そこには悲しいだけじゃない、そこにはなんか、いろんな感情がある気がした。もう一回「しろよ」と言ったけど、流川はやっぱり「しねえ」と首を振った。今度のは本当の拒否だった。
 ふられた、と分かった。
 俺はカンペキにふられたのだ。
 流川は俺じゃダメなのだ。

 視界が広がって、散らかった箸やどんぶりが目に付いた。俺が騒いだ時に転がってしまったんだろう。今まで気付かなかった。重い気持ちで、のろのろとそれらを拾い上げる。

「でも、俺はお前に感謝してる」
 ふられても相手をうらまないのが振られ続けた俺の美学。泣きそうだけど。
「お前のおかげで俺は、記憶喪失という大混乱の中、やってこれた」
「これっきりみたいな言い方するな」
「・・・・・・お前にそんなに好かれてる高校ヤローが俺は心底妬ましい」
「べつに好きじゃない」
 吹き出した。なんでそこは頑ななんだろな。悲しい時でもおかしいと感じる心はあるんだな。
 いつの間にか、頭の中が静かになっていた。

「もしも高校ヤローが良いって言ったら、俺とキスしたんか?」
 そう言うと、なにかを思い出したようにしかめ面をした。
「アイツはいいなんてぜってー言わねえ」
 いかにもめんどくさそうなその言い方で、過去に色々あったんだろうなと分かる。
「絶対か?」
「そうだ」
「怒るんか?」
「ああ」としかめ面のまま言ったけど、ためらうような顔を見せた。
「・・・・・・もう、怒んねえかもしんねーけど」
「なんでだ?」
 目を逸らされた。なんだか寂しそうに見えた。

「俺だったら、お前が俺以外の奴と登下校とかしたら、絶対許さねえけどな」と言うと「そんなのしねえ」と口を尖らせた。
 こいつって自分が言ってること分かってんのかな。
 こんなに好かれてて高校ヤローが羨ましい。
 でもそれは俺でもあるのか。やっぱりしっくりこねえけど、いつか納得する日がくるんかな。そしてそれはもしかしたらオレ次第なんだろうか。
 もうなんかよく分かんねえけど、でも、流川がこんなに好きなら俺も好きになってみるのも悪くない気がした。

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