流川によるバスケ解説は二時間くらい続いた。全部が終わった後に流川は電池が切れたように急にぱたりと横になった。流川にしてはかなり喋ったので疲れたのかもしれない。その甲斐あって俺はずいぶん吸収した。早速バスケがしたくなったけど、流川がこんなだからちょっと休憩だな。茶を淹れなおそうと立ち上がった。
「俺、結構いろいろ分かった。三井のヤローの驚く顔が目に浮かぶぞ」
台所から声をかけると、「ああ」と小さく相槌が聞こえた。あのまま寝そうだ。こたつに戻って空になった湯呑みに茶をいれる。
「でもやっぱあいつはまだまだ文句を言うかもしれん。三井め!一体全体高校ヤローは三井と何があったんだ。すっげえ仲悪かったんか」
「・・・別に悪くなかった」
ぽつりと返事があったので、顔を覗き込むと流川が目をちょっと開けていた。
「でもすンげえケンカ売ってくるじゃねえか。いっつも怒鳴ってガミガミガミガミ。ガミガミツイだ」
「・・・」
「ぜったい俺のこと目の敵にしてる」
目が合うだけで舌打ちをされる勢いだ。あれはすっげえむかつくし、ちょっと傷つく。
「・・・呼び方が違う」
「あ?」
「テメーはあの人を違う名前で呼んでた」
「なんて言ってたんだよ」
「・・・なんだと思う?」
クイズか!流川が初めてクイズを出してきた。ワクワクするじゃねえか。
「名前変化系か?」
「・・・・・・たぶん」
「なるほどな。三井だろ?ミツイ、ミ、ミ、ミー・・・・・・ミッチー!」
「同じだな」と流川が小さく笑った。当たりだったようだ。当たって嬉しい。流川が笑って嬉しい。笑い顔なんて初めて見た。気持ちが華やぐ。
「ミッチーって俺が呼ばないから三井は怒ってんのかな」
「かもな」
怒る理由でそんなへんてこな理由、聞いたことないけど。でも確かに呼び方が変わると色々と違うものだ。洋平も昔は俺のことをハナって呼んでいたのに、いつの間にか花道になった。ちょっと寂しかった記憶がある。そういうのと一緒なのかもしれない。ミッチーか。呼んでみてやるかな。せっかく流川が教えてくれたんだしな。
「なあ、おまえのことは何て呼んでたんだ?変わったか?」
もう一回覗き込んだら、流川はちらっと俺を見て、すぐ目を閉じた。
「変わったんか?」
もう一回聞いたら、「さあな」と言って、背中を向けられた。なんだそれ。さっきみたいにクイズ方式でいけばいいのに。「教えろよ」とこたつの中で足を蹴ったけど、流川は何も言わなかった。「クイズ出せよ」と言っても無反応で、そのまま寝てしまった。眠そうだったもんな。肩が寒そうに見えてこたつ布団を掴んで引っ張り上げてやる。日曜の穏やかな午後の陽射しの中、俺は茶をすすりながら眠る流川を眺めていた。
流川はすぐ寝るな。こたつで丸まって猫みたいだ。ホントはもっと起きていたらいいのにと思う。そんでもっと今みたいに話をしたい。笑う顔も見たいし。高校ヤローはもっと見てたのかな・・・。想像するとムカッときた。でもきっと俺の方が仲はいいはずだ。流川のことはすごく気に入ってる。流川だってそのはずだ。だっていつも来てるし。ずっといてほしい。洋平たちと同じくらい一緒にいて居心地がいいし、ドキドキする。洋平たちといてドキドキすることは別にないけど、流川はドキドキするし、こっち見てくれねえかなってしょっちゅう思ってる。見ていたいのと同じくらい流川には自分のことも見てほしい。そういうのは初めての気持ちだった。こんなの誰にも思った事がない。
流川が寝ている間に俺はもう一回流川のバスケコレクションを見ていた。たまに眠る流川も見た。流川を見ていたら、アメリカ行きのことを思い出した。流川はアメリカに行ってもやっぱりこんな風に寝るんだろうか。でもそれだとアメリカ行く意味ない気がするな。やっぱりアメリカ行ったらさすがに流川も起きてるんだろうな。アメリカの流川はてきぱきするんだろうか。なんかそんなの流川じゃない気がするけど、それでもアメリカに行ったらそうなるかもしれない。アメリカに行ったら流川は変わるかもしれない。それがたった一週間でも。俺の知らないところで色んなもの見てたくさん吸収して変わるのだろう。それが当たり前だ。だってそうじゃなきゃ行く意味が無い。
ジャパンに帰ってきたらもう俺んちにも来ないかもしれないな。もしかしたらジャパンにすら帰ってこないかもしれない。想像しただけで暗くなってしまった。
まあでも先のことなんてどうなるか分かんないしな。そもそも俺自身が一番あいまいでよく分からない状況なわけだし。だって記憶が戻るのか戻らないのかが謎なんだから。流川はよくそんな奴のそばにいられるなあ。俺でもたまに自分をもてあましてるってのに。夜は次に目が覚めたらもう今の自分じゃないんじゃないかって思うことがあるし、朝は朝で俺は誰だと考えを巡らせる。それは面倒で不安なことだった。まあもう、しょうがないことなんだけど。
その後もバスケを見たけど、いつの間にか自然と流川に吸い寄せられていた。バスケと流川を交互に見ていたら今度は体がむずむずしてきて、そのままだとなんかやばい気がして、それで流川を起こした。
突然おこされた流川はぼんやりしていたけど、俺に焦点が合うとちょっと口元を緩めて何か言った。なんて言ったかは分からないけど呼ばれた気がした。とても柔らかい顔をしていた。こたつで寝ていたからぬくぬくになったのかほっぺたがうっすらピンク色で、流川がすごく可愛いものに思えてどきどきした。俺が喋れないでいると、流川は何か、間違いに気づいたみたいになって、いつもの顔に戻った。それがちょっと残念だった。変な沈黙が流れた。振り払うように、「バスケしに行かねえか」と明るい声を出した。我ながら変な声だった。それでも流川は「行く」と言って起き上った。
その後はもういつも通りの流川であんな顔はしなかったけど、俺は流川を見るたびにあの顔を思い出してドキドキしていた。