今夜の俺は、市内にある有名ホテルの宴会場にいた。流川の所属するチームのファンミーティングが開かれていて、俺は「賑やかし」要員に呼ばれていた。春まで絶賛無職の俺は誘いやすいのか、最近流川からこういうイベントごとによく呼ばれる。うまい飯が食えそうな時は、俺も誘いに乗るようにしていた。流川もそのあたりのことは分かっているようで、誘ってくる時にメシ情報を添えてくる。今回も「美味いものがあるらしい」から「来い」ということで、詳しいことはわからないが、美味いものが食えるなら行くことにした。
来てみたら思っていたよりずっとちゃんとした会合だった。ホテルの前に立った時に思った。「ああしまったなあ、またこれか」と。そして自分の格好を見る。ラフだ。昨夜の流川との会話を思い出す。
「今回は何着てきゃ良いんだよ」
「なんでもいー」
「お前にかかったら、毎度それじゃねえか。なんでも良いとかそんなわけあるか」と言うと、「だって、そう言ってた」と反抗してきた。
流川に聞くことが間違っているのは分かっているが、流川しか聞ける奴がいない。もう少しヒントを引き出そうと、「ちょっとそこまで、みたいな格好でも良いのかよ」と聞いたら、「それでいい」と頷いていた。
でも俺だって成長しているので、いつまでも真に受けたりはしない。本当に俺がちょっとそこまで出かける時は大体ジーンズにTシャツだ。でもそれは直前で止めた。紺色のチノパンと、流川が前にくれた、肌なじみの良い開襟のグレーのニットに変えた。透かし模様の入ったやつ。いつもの俺より3割増しでめかしこんだが、5割増しにしないといけなかった。
会場は、華やかな色合いのスーツやキラキラ飾りのついた服を着ている人間で溢れかえっていた。俺だけ「中身で勝負」みたいな格好だった。幸い、勝負になるような中身だから救われたけれども。スラックスにしたら良かった。俺はあとこれから何度こういう目に遭うんだろう。流川の言うことは本当にあてにならない。
会は事前にそれぞれ席が決まっていた。一つのテーブルに大体8人くらいの人間が座っていて、全部で20くらいのテーブルがあった。俺のテーブルは会場の後ろの方で、ちょっと追いやられたような場所だった。テーブルのメンバーも、ファンと言うよりは、関係者のような落ち着いた雰囲気の人ばかりだった。
「誰のお連れさん?」と聞かれることが多くて、そのたびに「流川です」と答えていたけど、大体目を丸くされた。それはちょっといい気分だった。やはりあいつはチームの花形というか、日本でもトップクラスの有名選手だから。そういう奴の連れというだけで、特別視されるようだった。
「さあ! それでは、お待たせしました! 選手の皆さんの登場です! 拍手でお迎えください!」
司会の明るい声に促されて、ほいきた、とばかりに俺は手を叩いた。俺の手から繰り出される破裂音に、ひとり悦に入る。俺は拍手が上手いのだ。昔、生徒たちに言われたことがある。「なんか先生の拍手すごくない?」と。今思うとあれがターニングポイントだった。あの一言以来、研究に研究を重ね、俺は拍手の達人になった。その場に響き渡るような拍手を出せるようになったのだ。入学式、卒業式、何かの表彰式。俺は何度も拍手で活躍してきた。拍手で俺の右に出る者はいないだろう。別に誰にも褒められないが、周りの反応で分かる。現に今夜も、さっきから何人かが俺を振り返ってくる。テーブルの向かいに座っていた茶色の長い髪の女性が、俺を見てクスッと笑った。……ちょっと音が大きかったかな。指の角度を加減して、ボリュームを下げる。こういう調整まで出来るから、俺は拍手の達人なのだ。
司会者の呼びかけから、少しして、デカい男たちがぞろぞろと入室してきた。全員、練習着ではなくかしこまった装いをしていた。上下ピシッと揃ったスーツを着ていて、俺はなんとなく嫌な予感を覚えながら、パンパンパンと拍手を続けていた。顔見知りも何人かいて、俺と視線が合うと目を丸くして、すぐに笑顔になった。
ひときわ大きなどよめきが起こって、俺の拍手も止まった。流川の登場だ。あいつの姿がちょっと見えた途端、会場の温度が一気に上がった。流川が騒がれるなんて毎度のことだが、でも今夜の流川は仕上がっていた。「どこから出てきた?」と思うくらい完璧だった。会場がずっとどよめいていた。司会が進行しようと声を発しても、誰も聞きやしない。「カッコいい」だの、「国宝」だの、「神に感謝」だの次々と流川を称える言葉が聞こえてきた。それはもう仕方のないことだった。それくらい今夜の流川は輝いていたのだ。
流川に慣れきった俺でも、驚いたし、悔しかったし、見ていたいし、で気持ちが大騒ぎだ。落ち着こう。とりあえず、落ち着こう。
気持ちを整えた上で、とにかく何がカッコいいのか観察した。その結果、三つのことが分かった。まず第一に服だ。映画に出てくるような服装だった。ただのスーツじゃなかった。黒いスーツに黒いワイシャツに、ネクタイまで黒で統一されていた。あいつはいつもはあんなものは着ない。多分チームに用意されたんだろう。観察結果その二、目、だ。とにかく目が良かった。眉と目の辺りがとんでもなく魅惑的だった。目を取り替えることなんて出来ないのに、なんで今夜の目がそんなに違って見えるのか。それは、髪が違っていたから。これが三番目にして最大だった。今夜の流川は髪を上げていたのだ! 前髪を! セットしていやがった! いつも目にかかるかからないかのところに落ちている前髪が、今日はスッキリあげられていたのだ。ちょっと横に流す感じにしていやがった。おかげで流川の顔が全部見えた。額も、目も、鼻筋も。顔が見えれば見えるほど魅力が上がるタイプなのだ、流川は! 俺はよく知っている。だって俺は家でアレやコレやの時にしょっちゅう見ているから。流川の額を見るのは俺の特権だったのに、惜しげもなく晒しやがって……!
悔しいのと誇らしいのと独占したいのとで、俺の心中は再び大騒ぎになったのだった。
司会の努力で何とか会は進み、壇上に上がった選手たちが、一言ずつ挨拶をしていく。基本的に喋り慣れていないやつが多いので、流川の口下手も目立たなかった。流川の挨拶は、「ドーモ、こんばんは。今日は楽しんでいってください」だった。流川はしっかり俺の方を見ながら言っていて、照れてしまった。俺に言ってどうすんだ。
その後は「しばしご歓談を」ということになった。俺はテーブルの両隣の人と喋りながら運ばれてくる食事を味わった。量は少なかったが、味はしっかりついていて美味かった。料理が出終わると、席を立つ人も出てきた。目当ての選手のところに向かい始めた。俺のテーブル席の人達はそんな時でも落ち着いていて、座ったまま周りとのおしゃべりを楽しんでいた。俺も酒を飲んだりして、その場を見ていた。流川の周りは例によって人だかりができていた。写真も撮っていいみたいで、入れ代わり立ち代わり流川の隣に人が並んでいる。一向に噛み切れない牛肉を奥歯でモソモソやりながら、その様子を眺めていた。ああいう写真って、撮ってどうするんだろうな。家に帰って眺めるんだろうか。それともプリントアウトするんかな。そういやあうちのインク、黒インクがなくなりかけていたよな……そんな事を考えていると、流川の“センパイ”が、グラスとビール瓶を持って、ニコニコしながら俺に近づいてきた。
「桜木くん、ヤッホ」と瓶を向けてくる。グラスを出すとトポポポと注いできた。
「ねえ、流川、見た?」と見つめてきた。この“センパイ”はけっこうな要注意人物で、言葉の裏を読まないといけないタイプなのだ。
「見たっつうか、嫌でも目に入るだろ」
「すごくイケてるでしょ。俺がプロデュースしたんだよね」
どうりでな、と思った。
「カタギじゃない感じがしたはずだ」と言ってやると、笑った。
「桜木くんもさあ、今日は注目されてるよね」
「……なんでだよ」
確かに他の連中より地味な服装だが、浮くほどではないはずだ。
「なんでって……流川が連れてきたってことはそういうことでしょ」
「あ?」
お互いに噛み合わず見つめ合っていると、「何話してんの」と声がした。流川だ。いつの間にか来ていた。
「うお」と思わず声が出た。
近くで見る流川は、黒いシャツの両襟に何かキラッと光るものがついていた。一人だけ、雑誌から抜け出したような出で立ちだ。ハンサムぶりが際立っていて、圧倒される。
「今日の流川について話してたんだよ、ね、桜木くん」と話を振られて、「まあな」と返す。流川が見つめてきた。何か言ってほしそうだったから、「なんかキザだよな」と言ってやると、「そんなことない」と流川が言い返してきた。それにつられて、ついいつもの調子で、「俺はこれくらいのほうが良いと思う」と“センパイ”を指さすと、流川が口を尖らせた。……俺って素直じゃない。“センパイ”が慌てながら「絶対流川のほうが良いよ」と言っているが流川には響いていなさそうだ。俺もなんかちょっと弁解しようとしたが、スタッフのような人が流川を呼びに来て、連れて行ってしまった。その場に“センパイ”と二人残された。
「桜木くんさあ……」と“センパイ”が恨めしげに見てきた。
「……分かってる」
皆まで言うな、と俺は手を振った。
***
「あ、また、リーチ」
たくさんの穴が空いた自分のビンゴの紙を見る。10か11が来たらビンゴだ。会の後半は、ビンゴゲーム大会が開かれていた。“センパイ”が番号を読む係で、流川は番号を出す係だ。何も言わず抽選機をグルグル回して、出てきたたまを隣の“センパイ”に渡す。誰でも出来る係だからこそ、誰がやるかが重要だ。立っているだけで有難がられるという、生まれながらにして甘やかされた存在の流川が、任命されていた。現に流川がグルグル回すたびに、客がクスクス笑う。回すだけで愛嬌があるように見えるんだよな。あと、これは俺の勘だが、多分流川は回すのが気に入っている。“センパイ”の「じゃあ次」というセリフに被るようにグルグル回しているから。
ビンゴの景品は1等は10万円分の旅行券、2等が高級な牛肉のセット。どっちも出てしまったが、当たるのは嬉しい。「流川、出せ、10か11だ!」と念じながら、流川のグルグルを固唾をのんで見守る。新しい玉が出た。目が良い俺だが、ここからの距離では流石に何を出したかはわからない。ドキドキしながら読み上げるのを待っていると、“センパイ”が「じゅういちばーん!」と番号を読み上げた。
「ビンゴー!」
「でかした流川!」という思いで、前に歩み出る。パチパチパチと拍手に包まれる。ちょっと拍手が物足りない。ああ、俺の拍手があったらなあ。さすがに自分で叩くわけにはいかないよな。
俺は3等で、景品は「美顔器」だった。「美顔器」の箱を受け取りながら、微妙な気持ちになる。3等は嬉しいが、この景品は別に嬉しくはない。「美顔器」なんて俺は使わない。流川は使うかな……使わないだろうな……どうすんだ俺、こんなもの貰って……。流川を見ると、次のグルグルを回していた。またどこからか「ビンゴ」の声が上がる。4等のやつは、米だった。俺も米が良い……。
テーブルに戻る途中で、“センパイ”と目が合った。“センパイ”が俺を指さして笑っていた。俺と「美顔器」の組み合わせが面白かったんだろう。テーブルに着くと、左隣の初老の男性から「良いのもらいましたねえ」と言われた。この人は選手の誰かの父親らしかった。「いりますか?」と聞こうとしたが、この人も俺と同じようなもんだろうと思って言わないでおいた。とりあえず、「はあまあ」と愛想笑いを浮かべる俺だった。
会は盛況のうちに終わった。当たった「美顔器」の箱を小脇に抱えて、会場を見回す。選手たちは会場のあちこちに点在していた。流川は会場の端のほうで、重役っぽい奴らと一緒にいた。あいつ、この後どうするんだろう。一緒に帰れるんだろうか。そういうことをお知らせしておかないやつだから困る。メッセージを送ろうかな、と考えていると、“センパイ”がやって来た。俺のテーブルにいた、茶色の長い髪の女性と一緒だった。
「桜木くん、帰る前に紹介させてよ。俺の妻」
「え!」
驚いた。
「妻です」と頭を下げられて、俺も慌てて「桜木です」と頭を下げた。
「同じテーブルでしたよね」と笑いかけられて、「ですよね」と相槌を打ちながら、あのテーブルのことを思い出す。
「今夜って、私達のテーブルっていろいろ見づらかったですよね」
「そうですね。後ろの方でした」
「家族席こそ、前にしてほしいですよね! 私達のお陰で選手は頑張れてるわけだし!」
「ホントだねー」と“センパイ”が軽い調子で頷いたが、ちょっと待ってくれと俺は遮った。
「家族席?」
俺の問いかけに、“センパイ”が目を丸くした。
「あの辺一帯のテーブルはそうだよ。選手が招待する家族席だったんだけど……え、流川から聞いてなかった?」
全然聞いていなかった。家族席。俺はそんなところに座っていたのか。思い返すとすべてが繋がった。どうりで落ち着いていたはずだ。誰も選手に握手や写真を求めていなかった。そうか。家族だったからなのか……。
「桜木くん、流川になんて言われてきたの?」
「ウマい飯が食えるって、賑やかし要員で」
「たしかに。桜木さん、拍手が上手かったですよね」と妻の方が褒めてくださって「ありがとうございます」とお礼を言った。
「拍手が上手いって何?」
「すごい大きい音なんだよ。華やかな音で、でも小さくも出来てて、緩急が素晴らしい」
せっかく拍手を褒められているというのに、俺はふわふわした気持ちだった。それくらい家族席の衝撃が大きかったのだ。とりあえず、拍手を褒めてくれたお礼に、「美顔器」を妻の方に進呈した。「えっ! 嬉しい」と大喜びしてくださった。“センパイ”も「俺も使う!」と喜んでいた。男も使うんだなあ、とぼんやり思いながら、挨拶をして俺はその場を離れた。
「ヨォ、お疲れさん」
入口から出てきた流川に声をかける。流川は驚いた顔で俺を見てきた。
「……帰ったかと思った」
「いや、一緒に帰れるって聞いたし……え、もう、帰れるんだろ?」
尋ねると、流川が小さく頷いた。ほっとして、一緒に並んで歩き出す。歩きながらも、ちょっとドキドキしていた。相変わらず流川はカッコいいし、俺は家族席だったし。どれから言えば良いのか考えてしまう……。
「今日の料理、美味かったけど、牛肉が噛み切れなかったな」
結局、一番どうでもいいことを話し出す始末。
「……」
「お前どうだった?」
「あんまり覚えてねえ……」
「っていうかお前食べれたんか? ずっと接待してただろ」
話したり写真撮ったり握手したり。
「テメーは先輩とばっかり話してた」
「俺の知り合いは、それくらいだしな」
そう言うと、ムッとした顔で「俺もいた」と言ってきた。
「いたけど、お前の周りずっと人だかりが出来てるし、行けないだろ」
「……先輩の服の方が良いんだろ」
あ、やっぱりだ。根に持っていた。
「あれは失言だった」
「あっちがカッコいいって言った」
「そうは言ってないだろ」
「キザって言った」
「……そんなの言ったっけ」
「言った」
「悪かったって」
謝りながら、手を握ると流川の手がピクッと反応したが、振り払われなかった。
「お前がデコなんて出してるから、動揺したんだよ」
「なんで」
「だって、お前、いつも額なんて見せてないだろ。いつもは前髪下りてるし」
「……そーかも」
自分のことには無頓着な流川らしく気のない返しだった。
「だから、そういうのが見えて、ドギマギしたんだよ」
怪訝な顔を寄越してきた。全然伝わっていない。鈍感なやつだ!
「カッコよすぎたってことだよ!」
やけになって大きな声で言うと、流川は眉を上げて、目をパチクリとさせた。それからすぐに口元が緩んだ。握っていた手に指を絡めてきた。機嫌が直ったようだった。
「……今日の俺のあの席、家族席だったみたいだぞ」と言うと、流川が「そう」と頷いた。やっぱりちゃんと分かってたのか。体がじわっと熱くなる。なんだよ、チクショウ、嬉しいことをしやがって。
その後、俺達は歩いて家まで帰った。帰り道、宴のことを振り返って話していた。
「当たった景品は美顔器だった」と教えると、案の定「ナニソレ」と返ってきて笑った。時折、街路灯に照らされて、流川の顔が見えるたびに俺の胸は高鳴った。早く家に着かないかな。
大騒ぎだったが、楽しい夜だった。
でもちょっと心残りなこともある。
「俺もお前くらいめかしこんで行きたかったな」と言うと、流川が「今のままでジューブン」と言って俺を喜ばせたのだった。
おしまい
2026年WEBオンリーイベント、「花マル人生(ライフ)!2」の開催おめでとうございます!
今回はイベントに向けて書かせて頂きました。
花流の日をしっかりお祝いできて本当に嬉しいです。
イベント主催の方、いつも読んでくださる皆様のおかげです。
ありがとうございます!
今回は「二人でお茶を」というシリーズの二人を書きました。
このシリーズは、花道が学校の先生(引っ越しに伴い、現在休職中)、
流川がプロのバスケット選手という設定です。
第1話はこちらから読んでいただけます。
“センパイ”は、流川の先輩でして、しょっちゅう二人の前に現れて騒いでいるのです。
今回はこの人が勝手に出てきてしまいました。
“センパイ”は、「二人でお茶を 再録集②」に初めて出てきます。
気になったらそちらも読んでもらえると嬉しいです。
ここまで読んでくださってどうもありがとうございました。
楽しんでいただけますように。
感想も聞かせていただけると嬉しいです。
それでは!良い花流の日をお過ごしください!
2026年10月10日 ラモーナ