新しい家にお気に入りの場所が出来た。窓際で、この家で一番あったかい場所だ。桜木の足の上の次の次くらいに気に入っている。ここからだと庭が見えるから、鳥や葉っぱの観察もできていい。本当はそばにあるキャットタワーの上が気になっているけど、そこは赤毛猫が居座っているから登らないようにしてる。モメるのは面倒だ。俺はそのお気に入りの場所で丸まって寝るのが大好きだ。太陽を体いっぱいに浴るのは健康にも良い。あと、そこでゴロゴロしてると、桜木もやって来て一緒になってゴロゴロするのも良かった。
ある夜、そのお気に入りの場所に知らない物が現れた。丸くて、俺の足くらいの高さがあってなんかごつい。あったかそうでふかふかしてるから、好きな感じもした。「猫クッションだとさ。乗ってみろよ」って桜木が言っていた。どうやらそれはカエデが俺のために置いたようだった。だけど今まで見たこともないものだったし、匂いも知らなかった。敵かもしれない。その日の夜、俺は桜木の布団には行かないで、一晩かけてそいつの様子を見ていた。どうも敵じゃなさそうだった。朝、まだ桜木もカエデも起きていない時、俺は思い切って上に乗ってみた。ふかふかしていた。足踏みをしてみたら、具合の良い風に足が沈んだ。こたつとか桜木の布団みたいだった。足踏みを終えて俺はその場で丸まった。からだにフィットしていい感じだった。俺は気に入った。
「おい、ルカワが丸まってるぞ」
猫用クッションでご機嫌に寝ていると、上から桜木のはしゃいだ声が降ってきた。起きてきたようだ。片目を開けてしっぽを1回振ってみせると、桜木がしゃがんで「気持ちよさそうだな」と俺に話しかけてきた。首の後ろを掻いてきた。気持ちが良くて首を伸ばすと、今度は前側もカリカリしてくれた。桜木の力加減は最高だ。心地よさに浸っていると、カエデも背中を撫でてきた。こっちもいい。
「ゴロゴロ言ってるな」
「ああ」
二人の人間に夢見心地にされていると、急に押される感じがあった。目を開けるといつの間にか赤毛猫が来ていた。いつもいるキャットタワーから下りて、俺の猫クッションの上に乗っていた。乗るどころかグイグイと押してきて、俺を猫クッションから追い出そうとしてくる。俺のなわばりなのに、ルール違反だ。
「ルカワとオイがじゃれてるぞ」
桜木が鈍い。どうやったらそう見えるんだ。どう見ても赤毛猫は俺を邪魔っけにしている。
「おい、やめろ」とカエデが言うと、赤毛猫が動きを止めた。そして俺を睨んできた。
〔……良い気になるなよ、チビスケ〕
赤毛猫がえらそうに言ってきた。
〔チビじゃねえ〕
〔チビだろ〕
〔チビじゃねえ〕
〔じゃあキログラムはどれくらいだ。俺は5.3だぞ〕と赤毛猫が威張った。重さの話をしているようだった。この前量られた時は、俺は5.1だった。でも5.1だって大きい。野間も俺を見るたびに言ってる。「でかい猫だよなあ」って。それに赤毛猫は毛が長い。重さの違いは毛の重さだって思ってる。俺だって毛が長かったら5.3に違いない。もしかしたら5.4かもしれない。俺だって重い。全然負けてない。でも今は重さは関係ない。
〔ここはオレのなわばりだぞ〕
赤毛猫に宣言すると、赤毛猫は〔ふんっ〕と言った。
〔あっちいけ〕
〔お前があっちいけ〕
「なんか不穏な空気じゃねえか? フーフー言ってるぞ」
「……モメてる」
赤毛猫がシャッと手を出してきたので、飛び退いて俺も構えた。やられたらやり返す。俺も威嚇しようと手を伸ばした瞬間、急に、桜木の手が止めに入ってきた。
「アデッ!」
あ!
「あーあ、やられちまった」
手の甲を桜木が舐めている。きっと赤いのが出たんだ……。俺は桜木の手を引っ掻いてしまった。
「大丈夫か」
カエデが桜木の手をとって傷の具合を見ている。
「ピリッとしたけど、そんなに深くはいってない」
「血が出てる」
「これくらい何ともねえよ」
桜木を引っ掻くつもりはなかったんだ。赤毛猫のことだって引っ掻くつもりはなかった。驚かせようとしたらちょっと爪が出て、そこに突然桜木の手が来て、引っ掻いてしまっただけなんだ。〔ごめん〕って伝えるために桜木の足にいっぱい頭突きした。
〔ごめん〕
「謝ってる」
カエデが俺の言葉を伝えると、桜木が俺を見下ろしてきた。
「なんだよ、気にすんな。大したことねえよこんなの」
そう言って桜木が俺を抱き上げた。桜木の顔にもいっぱい顔を擦り付けた。
「爪が出たんだよな」
〔そうだ〕
「俺がいきなりお前らの間に入ったしな」
「っていうか、伸び過ぎだ」
「あ?」
「爪が伸び過ぎ」
カエデが眉間にシワを寄せている。
「ルカワの爪か?」
「そうだ」
「猫の爪って伸びてたらダメなのか?」
桜木が尋ねると、カエデがトントンと指で桜木の手の甲を叩いた。俺がつけた傷の辺りだった。
「なるほどな」と桜木が笑う。
「俺、猫の爪は長ければ長いほどかっこいいんだと思ってた」
「……」
「角みたいな感じに思ってた!」
ワッハッハと大きな声で笑う桜木を見ながら、なぜだかとてつもなく、桜木はかっこいーって思った。「どあほー」とカエデが呆れたように言ってたけど、カエデも絶対カッコイーって思ってたと思う。そういう顔をしていた。
「オイは切ってんのかよ」
桜木は赤毛猫を変な呼び方で呼ぶ。カエデが赤毛猫に名前をつけていないから桜木が勝手な呼び方をしている。
「切ってる」
「どうやるんだ?」
カエデがテレビが置いてある台の引き出しを開けて見たことのない変な物を取り出した。
「それなんだよ」
「猫の爪切り」
そう言って、カエデが俺の前足をそっと掴んだ。と思ったら、今まで触られたことのない場所をフニフニって押してきた。初めての感覚に俺は驚いて桜木の腕から飛び降りてソファーの下に逃げ込んだ。ソファの下で体を固く丸めて警戒していると、赤毛猫の姿が目に入った。赤毛猫は悠々と俺のクッションの上に丸まっている。……あそこは俺のなわばりなのに!
「ルカワ、出てこいよ」
桜木がソファの下に手を入れて俺の名前を呼んできた。その手を避ける。
「爪、切らせろって」
〔いやだ〕
「出てこいって!」
〔いや!〕
「あーあ、だめだ。隠れちまった」
諦めた桜木の声が聞こえる。
「オイは爪切りは嫌がらないのか」
「慣れてるから」
カエデは猫の爪切りを桜木に渡して、自分は赤毛猫を抱き上げた。赤毛猫は大人しくしている。それからカエデは赤毛猫の前足の先の方、さっき俺が押されて驚いた場所と同じところを押さえた。押されても赤毛猫はやっぱり大人しくしている。カエデに全部任せるって感じだった。
「おお。肉球を押さえて爪を出すのか」
「やってみろ」とカエデが赤毛猫を桜木に預けた。桜木が赤毛猫を抱きかかえて、赤毛猫の肉球を押しているのを見て、俺はなんだかムッとした。
「なんか面白い感触だ。硬いような柔らかいような……オイの肉球はピンク色なんだな……桜みたいな色してるな」
「ああ」
「ルカワの肉球は黒いぞ……お!」
パチンッと音がした。
「そうやって切るのか! すげえな!」
赤毛猫がちらりと俺を見てきた。そしてまたパチンッと音がした。
「すげえ! おまえ、うまいな!」
「……慣れてるだけ」
カエデはなんともないように言っているけど、桜木に褒められて嬉しそうだ。
「落ち着いた猫だなあ」
桜木に褒められた赤毛猫が俺を見てきた。今度は勝ち誇ったような顔をしていた。俺は悔しくなってソファの下から出た。それから桜木の足にいっぱい体を擦り付けて、匂いをつけてやった。桜木は俺のだ。
「出てきた出てきた。お前も爪、切ってみるか?」
本当はちょっとだけ怖いなって思ったけど、赤毛猫にできるなら俺だってできる。赤毛猫にばっかり良い格好はさせない。
赤毛猫を(俺の)猫クッションに置いた後で、桜木は俺を抱き上げて、さっきカエデが押してきた辺りをフニフニと押さえてきた。二回目だったからもう平気だった。
「今度は大人しくしてるぞ」
「えらい」
カエデが俺を頭を撫でてから、俺の肉球を押さえて爪を出して、パチンッと爪の先っぽを切った。ちょっとからだに響いて、ビクってなったけど、痛くはなかった。それに桜木にガッチリと抱えられていたから怖くもなかった。カエデがパチン、パチン、って俺の爪を切っていった。前足と後ろ足、全部の爪を切られた。平気だった。終わったら、「えらかったな」と桜木が俺を褒めた。その後、変な方向を見ながら「楓もすごい」と小さな声で付け加えた。褒められたカエデは照れたみたいに「たいしたことない」って言ってた。でも絶対に喜んでた。カエデも俺と同じで桜木に褒められるのは特別なことみたいだ。
「爪切りって毎回二人でやるもんなのか?」
「一人できる」
「じゃあ俺も出来るようにならないとな」
「でも二人でやったほうが早い」とカエデが言った。カエデのセリフに桜木は目を大きくして、にっこり笑った。
「じゃあまた一緒にやろうぜ」
「ああ」
桜木とカエデが見つめ合ったと思ったらすぐに目をそらした。この二人は最近いつもこういう感じになる。二人の体から「好き」がいっぱい出ていた。ふたりともお互いに気づいていないみたいだけど。桜木の肩越しに赤毛猫と目があった。いつの間にかキャットタワーの一番上に戻っていた。
〔俺も爪を切った〕って言うと、赤毛猫はどうでも良さそうな顔をした。それから大きなあくびをして窓の外に目をやった。
おしまい
あろがとうございました!
「ヘンリーのポケット」のおまけ話です。
爪切りの話を書いてみました。
名無しの赤毛猫は長毛種なのです。
カエデが赤毛猫を「おい」と呼ぶので、
それを見た花道が「オイ」と名付けました。
花流はかなり両思いなのですが、
まだはっきりとは伝え合っていない
もどかしい、甘ったるい感じです。
部屋は隣同士なので時間の問題です。
2024.5.1