病院に行って受けたことのないような検査を受けて、頭の中を色々覗かれた結果、俺は十四歳の二月からの記憶がすっぽり抜け落ちているということが分かった。本当の俺は一五歳で今はどうやら十二月らしい。あの見知らぬ保健室は俺の通う高校の保健室だった。って言うか本当は高校一年生だと言われてもなあ。俺、本当に高校行ったんだな。確かに受験勉強的なことはしてるけど、どこかで高校なんて行かないんじゃねえかなって思ってた。せっかく学校行くの終わりにできたのに、また学校行ってるなんて俺も物好きだ。
病院の先生が言うには、失われた記憶は数日したら自然に思い出すことが多いらしい。でもずっと思い出さないこともあると言ってた。何年も忘れたままでいたのに、ある日、突然思い出すってこともあるんだそうだ。要は運だなあと思った。記憶喪失にもいろいろあるみたいだけど、俺のは頭を打ったパターンだから、治る方法も特にないみたいだった。家族や友人とゆっくり話をしながら穏やかに毎日生きろとみたいなことを言われた。俺には家族はいないから、洋平たちだ。でも洋平たちだってそうずっとは一緒にいられないだろうし・・・俺どうなるんだろうな。でもまあ幸い思い出せないのは高校のことくらいだ。字とか言葉とか動作みたいなのも問題ないので、生活に支障はなさそうだ。俺はなんとか穏やかに暮らしていけるんじゃねえかなあ、と考えていた。
病院からの帰り道、「あれ、分かる?」と海を指をさしながら洋平に聞かれた。ふざけてるようだったけど半分は本気で聞かれている気がした。
「海だ。わかるぞ」
「あれは?あの飛んでるやつ」と空をさすので「ペンギン」と言うと洋平は笑った。
「・・・まあとにかく次から次へと色々ある奴だよお前は」
笑ってたけどちょっと疲れて見えた。心配させたんだろうな。
「無事でよかった。頭打って目が覚めないって聞いた時は、マジでどうなる事かと思った」
「心配掛けたな」
「俺らは良いんだけど。お前、流川に礼を言っとけよ。でかいお前を保健室まで運んだんだから。そんでずーっとついてたんだぞ」
へえっと意外に思った。例の流川という男は俺達よりもちょっと離れた後ろの方を歩いていた。ずっとつきそっていたにしちゃあ変な距離だ。アイツは俺が記憶喪失になったと聞いてもたいして驚いた顔はしなかった。動揺も見せないし、普通に見えた。ちょっと場違いなまでに。
「あの流川って奴はなんなんだ」
「流川は流川だよ」
「高校でできた友達か?」
「友達って言うよりも」
「やっぱり敵か?」
それならしっくりくる。そういうと洋平は笑った。
「敵じゃあない」
「じゃあなんだよ。仲間か?」
「んー・・・それもあるし、大事な奴かねえ」
「大事な奴?」
「そうだな、大事にしてたよお前は」
「えええ?アイツ男だろ?なんで俺があいつを大事にすんだよ」
「・・・そうなあ」
ちょっと洋平が探ってくるような目を見せた。
「男でも、大事にしてたんだよ」
「大事にするって、それ変だろ。なんであいつを俺が守るんだ。義兄弟か」
「んー・・・」
なんか隠しているなとピンと来た。が、洋平は隠し事の達人だ。一度言わないと決めたら墓場まで持って行く男。俺が突っついたところで本当のことを話したりはしないのだ。つまり聞くだけ無駄なのだ。
「・・・なんか気に食わねえんだけど」
「同じことをよく言ってた」と笑った。
気に食わねえのに大事にしてたのか、俺よ。
後ろを振り返ると流川と目があった。やっぱり思いだせないなあ知らないなあと見ていたら、ついっと目を逸らされた。ムッとする。俺もすぐに前を向く。
「なあ、俺なんで頭うったんかな」
「頭ぶつけたんだろ?」
「でも誰もそれ見てねえじゃねえか」
「いや流川が見てたんだろ?言ってたじゃねえか」
そう、確かに言っていた。病院の先生に問診されているときに、流川がポツリポツリと語った。どうやら俺が頭を打って倒れるまでの一部始終を流川は見ていたらしい。話はこうだ。驚くべきことに高校の俺という奴は部活動をしていたらしく、今日も朝早くから学校に部活をしに来ていたようだ。部活前、部室の入り口のところで着替えながら大声で歌っていた俺は(ここで流川は、「とにかくうるさかった」と付け加えた)、別の部員が思いっきり勢いよく開けたドアで派手に頭を打ったらしい。自分の歌声で近づいてくる足音や話し声に気付かなかったんだな。いつもならそれくらいでどうにかなったりしない石頭だが、ちょうど運悪くそのドアに、誰が持ってきたんだか鉄だか銅だかでできたクリスマスの飾りがかかっていたようで、それで頭をガーンと打って、その衝撃にその場にしゃがみ込んで、そこへさらにその飾りが落っこちてきてもう一回ゴーンと食らったらしい。打ち所が悪かったらしく、俺はそのまま気を失った。で、今に至る。聞けば聞くほど間抜けである。間抜けすぎて自分のことじゃないようだ。だから俺は疑わしいと思っている。もしかしたら・・・
「俺の頭の怪我って、あの流川って奴の仕業じゃねえのか?」
そう言ったら洋平が驚いた顔をした。
「あいつが不意打ちしたんじゃねえのか?」
「・・・お前、本当に記憶失ったんだな」
「あ?」
「流川が後ろから殴ったとか、いきなりお前を突き落としたとか、そういうことが言いたいわけ?」
まさにその通りだったので頷くと、んー・・・と洋平が考えるようなそぶりを見せた。
「確かに最近ちょっとお前らおかしかったけど」と後ろを振り向いた。それからすぐに俺を見て「それはまあ、やっぱりないわ」と言った。
「なんでだよ」
「流川ってのはそういうことをしない奴なんだよ」
「そんなのわかんねえじゃねえか」
「いいや、しねえのよ。お前がそういうことをしないのと同じくらいあいつもそういうのをしない人間なんだよ」
高校生の洋平はさらに迫力を増したようだ。なんだか言葉に重みを感じる。この洋平がそこまで言うのならそうなんだろう。改めて眺めてみて、洋平、お前高校生になったんだなあと思った。あいつらもだ、おっさんみたいだったなあ、と感慨深く思う。昨日まで一緒に中学生してたのが、高校生だもんな。俺を置いて、高校生。
「ほら着いた」
また学校に戻っていた。
「え!なんだよ、こんなとこに用なんかねえよ。家に帰ろうぜ。もう夕方だろ」
「高校のお前は色々と顔を出すところがあるんだよ」
「いやだ、めんどくせえよ」
基本的にガッコなんてところには長居したくない。
「ほら、いいからいいから」と背中を押された。入る前にもう一回流川を見たら、また目が合った。結局帰り道こいつは最後まで一言もしゃべらなかった。