花咲く旅路6

「はなみち、はなみちっ!」

 一緒に食べれるのが嬉しいのか、隣に座るオースケが俺の名前を連呼している。
 おかしな状況になった。
 とっくに関係がなくなったと思っていた人間とそいつの息子と俺の三人で一緒に昼飯を食う。変だろどう考えても。

「おいしいね!」

 そう言われて、目の前に並んだ食べ物を見る。魚の煮つけ、煮物にほうれん草のおひたし、コロッケなどなど。流川はどこかのデパートで惣菜を山ほど買ってきていた。

「もったいねえなあ。全部自分で作れるものばっかじゃねえか」

 なんつー無駄遣いをしやがるのだ。

「作れねえ」

 お前はそうだろうよ。

「俺には作れるもんばっかりだ」
「ぼく、れんこんすき」

 オースケが箸でつかんだレンコンを見せてきた。長い割り箸を使うちっこい手が、なんともいえない気持ちにさせる。

「さといももすき!」

サトイモにレンコンて。

「おまえ、渋いなあ」
「しぶいってなに」

 オースケが隣に座る父親を見上げると、流川は首をかしげた。呆れたヤツだ。ちゃんと教育しろよな。

「渋いってのはなあ、ぐっと、こう、なんてーのかなあ……渋い、ってことだな」
「どあほー」
「しぶいってなに」

 そうだったそうだった。渋いがわかんないんだったな。

「そうだなー…………大人っぽいって感じかな」
「ふーん」

 分かったような分からないような顔をしている。

「レンコンやらサトイモやらが好きって言うお前は大人っぽいってことだ。お前のとーちゃんはレンコン食べれないのにな。大人なのにな」

 そう教えてやると、向かいから流川が「食べれる」と言ってきた。

「よく言うぜ。残ってるじゃねえか」

 顎をしゃくって皿をさすと、流川がすぐに残っているのを口に入れた。たいして噛みもしないで飲み込む。子どもみたいなことをしている。挙句、食べたといわんばかりの目で見てきた。呆れたやつだ。

「涙目になってるじゃねえか……ほら」

 水を渡してやると、受け取る流川の手と少し触れあった。それだけのことにドキッとする自分がいやだった。だけど流川も悪い。来た時からずっと俺を見ているのだ。意味のありそうな視線を寄越してくる。それに俺の一言一言に反応してみせて、まるでまだあいつにとって俺が影響を与える存在であるかのように思わせる。それをどこかで嬉しく思っている自分がまたいやだった。
俺の中でとっくにいなくなった存在だと思っていたのに。
俺はまだこいつに未練があるんだろうか。

 オースケがコタツから出て部屋を探索し始めた。全く広くない家だけど、それでも楽しいようで嬉しそうに駆け回っている。それを見ながら俺は口を開く。

「まだバスケやってんのかよ」
「ああ」
「どっかのチームとかにはいってんのか」
「ああ」
「プロとかか?」
「ああ」

 そこまで聞かれたら、フツーはどこどこでプレーしてるとかプロの世界はどうだとかそういうこと言うんじゃねえのかよ。相変わらず話の弾まない奴だ。昔からそうだった。いつだって俺ばっかり話してた。俺ばっかり話してこいつは何にも言わないで。何も言わないからそれでいいのだと思っていたら、いつの間にか別の人間とくっついていた。

「お前、ずい分早く結婚したんだな」

 ついに言った。
 言った後、流川に気付かれないように俺は小さく息をついた。

「してねえ」
「は?」
「結婚。してねえ」

 え?

「おまえ結婚してねえの?」

 思わずオースケを振り返る。なんか、カーテンにくるまって遊んでいる。

「え、じゃああいつの母親は?」
「……いねえ」
「いねえって……あいつ母親いねえの?」
「ああ」
「なっ……」

 なんだよこいつ。いつの間にそんな複雑な人生歩むことになったんだ。
 ドラマみてえなことになってるじゃねえか。結婚はせずに子どもがいてバスケ選手とか、なんだそれ。なんだそれ、なんだそれなんだそれ。
 混乱していると、今度は流川が「てめーは」と言ってきた。

「俺? 俺がなんだよ」
「子ども」
「いるように見えるかよ」

どう見てもひとりもんの住まいだろうが。

「わかんねえから聞いてる」
「いねえよ、いるわけねえだろうが」

なぜか悔しくて、下を向く。

「ケッコンは」
「してねえよ」
「一人なんか」
「ああ?」

 遠慮なくずかずか聞いてきやがって。思わず睨み付けると、あの視線とぶつかった。だから、そんな目をされてもどうすりゃいいのかわかんねえだって。なんだよいったい。今更なんなんだ。
 急にちっこい手を身体に感じた。振り向くとオースケが俺の身体をよじ登ろうとしていた。肩の上まで上って来たのを足首つかんで引き摺り下ろすと「わあー」と嬉しそうな声をあげる。何度かそれを繰り返しているうちにぽかぽかして来て、俺の苛立っていた気持ちはおさまった。俺の羽交い絞めから脱出したオースケが今度は流川のほうへ行く。俺にしたのと同じように、流川の身体をよじ登っていて、流川が後ろ手に相手をしてやっている。なんだろうなあ、あんまり親みたいな感じがしねえけど、父親ってのはそんなもんだって聞いたことがある。

 結婚してないにしたって、やっぱり母親はいるはずだ。生きてんのかそうでないのかそれは分からねえけど、その人と流川が子どもを作ったのだ。それはまあ間違いないんだろう。
 俺はその間一体なにをやってたんだろう。
 結婚もしてねえし、子どももいねえし、おまけに仕事もしていない。
 急に自分の人生がちっぽけなものに思えてきた。
 おかしいな、俺だってその日その日を力いっぱい生きてきたのに。まあ、たまには怠けたりもしたけど、それでもわりと正直にかつ楽しく生きてきたはずだ。自分の人生に満足していた。今もそう思う。
 でも、急に自分の人生に疑問を感じてしまった。疑問というか焦りというか、よく分からない。
 流川のせいだ。
 流川に再会したからこんなことを思うのだ。

 奇妙な昼食会は、流川が用がありそうな気配を見せてお開きになった。
 だけど帰り支度を始めた途端、帰りたくないとまたオースケが泣き出した。昨日今日とこいつちょっと泣きすぎなんじゃねえのか、大丈夫かよ。流川は慰めるのが下手で、と言うよりも慰める気なんて全くないんじゃないかというくらい何もしなかった。オースケの頭に手をやって「泣くな」と言うだけなのだ。そんなので泣かなくなるくらいなら、端からコイツも泣いたりしねえと思うんだがな。ったく、しゃあねえなあとしゃがみ込む。

「そんなに泣くんじゃねえよ」

 泣きすぎて顔が真っ赤になっている。そんなの見せられたら俺まで泣きたくなってくる。鼻水まで垂らして可哀想になあ、と袖口で拭ってやる。

「また来ればいいじゃねえか」

「あとで?」しゃくりあげられながら尋ねられて、参ったなあと頭を掻く。

「いや、後ではねえけど」
「よる?」

「いや、夜もちょっと」と言うと、また顔を歪ませたので、慌てて「あした! 明日にしろ」と俺は叫んだ。

「あさ?」

 どんだけ来てえんだ。うちのどこにそんな魅力があるというのだ。「あー……」と視線をさまよわせると流川とまた目があった。その途端、何かのスイッチが入った。

「分かった。朝来い」

オースケはほっとした顔を見せて、小さく頷いた。それを見て俺も頷いた。

「いいんか」と上から声が降ってきた。

 遠慮を見せるようなそのセリフに、こいつやっと親っぽいことを言ったなあと思った。

next