かえるのうた

「ターンッ」という高音が屋上に響き渡る。
昼食をとり終えまったりしていた俺はそれを聞いて、そういえば今日はよく聞く音だなと思いあたる。

「なーなー、あいつらなにやってんの?」

高宮があごでさす先を一緒になって見てみると俺たちからちょっと離れたところに、顔を上に向けて口の中を指差す花道と、花道の口の中を覗き込む流川がいた。

「ほんとだ、なにやってんだ。」
「あれはなあ、あれだあのー・・舌鳴らすやつ。あの芸を花道が流川に教えてやってんだよ。昨日からずっとあの調子だわ。」

牛乳を飲みながら、少しだるそうな感じで洋平が教えてくれる。そう言われて俺達はあの二人を改めて眺める。
二人がそろってんのにケンカをしていないなんて珍しいじゃないの。
口をあける花道とその中を覗き込む流川。こういっちゃあなんだが実に間抜けな光景だ。しかし二人は至って真剣であり、笑うことははばかられる。

「なんで流川はそんなのが習いてえんだ」
「花道、舌芸の達人だからなあ。達人が変幻自在に音を操るのを見てて、っていうか聞いててか、うらやましくなったんじゃねえのかね」
たしかに。あれは少しやってみたくなるような代物ではある。花道の舌芸。花道はたまにどうしようもなくくだらねえことがうまかったりするんだが舌を鳴らすのもそのひとつだ。花道は舌を鳴らして音階がつくれる。本当にそれができてどうなるんだということなのだが、流川にはそれがすばらしくすごいことに見えたんだろうか。ずいぶんと熱心に学んでいるようにみえる。

「実に滑稽だなあ」と感想を口にしていると、「あ、おい、それ俺ンだろ。人のまで食うなよ」大楠の少し尖った声が聞こえた。なんだ?と見ると、例によって高宮が大楠の食いもんに手を出したらしい。あんぱんが何個か入ったやつを俺達は食後のデザートとして食べていたのだ。ふつうこういうとき一人一個の計算だが、高宮は大らかにできているのでそういうことを気にしない。「こまけーなー」と大楠に返している。
「人の食っといてなんだよその言い草」
「大楠、おれのやるよ」
すぐに洋平がおとなっぷりを見せて自分の分の菓子をすすめる。洋平はこういう時恐ろしいほど大人である。
「そうまでしてくいたいわけじゃねーよ。」
大楠も乗らないくらいには大人である。いや、逆か。
さっさともらって片をつけるほうがよほど大人だ。
高宮を睨みつけながら「人の食いやがって」とぶつぶつ言っている。

「いや、マジで食っていいよ。おれ、いらないんだよな。なんか今日食欲ねえんだわ」
「お前、今日具合悪そうだな。飲みすぎか? 」
「そーゆーんじゃなくて・・なんか・・眠いし・・だるいし・・頭も痛いような・・」
「それって風邪じゃね?」
「カゼかー・・でも熱はねーもんなあ」
「はかったのか?」
「いやなんとなく、ないかなってさ。」
「なんとなくって・・。それは立派な風邪の症状だろ。保健室行って来いって」
「んー・・めんどー・・?」ちょっと小首をかしげながら返してくる。
「おまえなあ・・」
俺と洋平がそんな会話をしているそばで、大楠は引き続き高宮にぶちぶち小言をこぼしていた。
俺たちの輪から少し離れたところでは、花道が流川にレッスンをしている。
流川がひとさし指を立てた。するとタンタンタンタンという軽快な音で花道が「かえるのうた」を鳴らしだした。流川の人差し指はリクエストを意味しているらしい。なんともほほえましい二人だ。

***

やはり洋平は風邪を引いていたらしく翌日は学校を休んだ。
洋平がいないということは、たとえば俺がいないときとは違っていて、ちょっとバランスが崩れる。いろんなところで小さくほころびがでるのだ。洋平のちっさい気遣いがないとやっていけないというわけではないが、あった方が気持ちよく過ごせるんだよな。仲間ってそんなもんだ。いないとやっていけないわけじゃないんだけど、いないとなんか調子が出ないってのかな。ちょっとずつ互いに何かしらの影響を与えあっている。花道がいないと明るさが足りねえし、高宮がいないと大らかさが減るし、大楠がいなくなるといい意味での好戦的な感じがなくなる。オレもいなけりゃいないで何かしらの影響はあるだろうとおもう。で、洋平がいないということは潤滑剤がないということになる。ちょっとおれらの関係の滑りが悪くなる。俺もそれなりに細かいことに気がつくタイプだが、おれは気がつくだけで何もしない。洋平は気がついて少しばかりのアクションを起こす。そこが俺と洋平の違うところなのだ。
昨日自分の食いもんを高宮に食われた大楠は単細胞なくせに珍しく尾を引いていた。「よお」と朝の挨拶をしても、頷きだけを返された。洋平がいないし誰も修復しようとしないため、大楠の機嫌は悪化の一途をたどっている気がする。

「オレのあんぱんだったのによお、高宮のやつが食いやがったんだ」
「ほお・・?」
花道がほんとに聞いてんのか怪しいような返事をしている。朝っぱらからブーブー文句をたれている大楠をおかしくは思わないみたいだ。花道の隣りでは流川が何か口をもごもごとしている。飴玉をしゃぶってるってわけではなさそうだからたぶん舌芸の練習だと思う。こちらも大楠の小言なんて一切耳に入っていない。
「俺の食ったくせに、わびの一つも言いやしねえ。これでもう何度目だ!数え切れねえよ!あれは俺のあんぱんだっツーの!」
「たしかに。人の食いもんは人の食いもんだ。俺のものは俺のもの。おまえのものはおまえのものだよな」
「だろ!?さすが!花道わかってるぜ! 」
「おうよ!オレはさすがの桜木! 」
勢いよく返しているが、本当にわかってんのかねえと俺は思う。
そこで高宮が「よお」と合流した。「おーっす。いい腹してるねー!」と花道がタプタプで返す陰で、大楠はぷいっとそっぽを向いた。それを見て俺は、怒ってるなあ、と思った。思うだけだった。な?何もしないんだ。

それからも大楠は不機嫌なままだった。イライラしてて物に当たっていたりした。
次の日には被害は人間にまで及ぶようになっていた。教室移動の時、廊下でちょっと肩がぶつかった奴に「ガウッ!」っと吠えたので、あわてて止めた俺である。
さらに次の日になるともう話しかけることもはばかられるような荒れっぷりだった。
さすがに花道も気づいたのか「大楠どうしたんだ?」と聞いてきた。「お前もおとといの朝聞いてたろ?」と言いたかったが、ふつうあんなことでこんな風にはなりはしないので飲み込んだ。
そんなに怒ることか?と思うのだが、これはもうノリだなと思った。悪い方へノってんだ。さすがにおれもちょっとした行動に出た。
事の発端となった例のあんパンが何個か袋に入ってんのを買った。大楠に、などといって特別に渡そうでもしようものならいよいよへそを曲げてしまいそうなので、昼飯食った後にみんなぜ食おうぜ的な感じで出そうと思ったのだ。食べ物の恨みは食べ物で流す、これにこしたことはないだろうと思ったのだ。
でも悪いときってのは何でも悪くなるもんなんだよな。洋平が休みだし数は間違いないだろ、余るくらいだろ思って持ってったら、今日に限って花道と流川が合流してきた。いつもはふたりきりで食べてるのに今日に限って仲間に加わったということは・・・もしかしたら、大楠の様子がおかしいのに気づいた花道なりの気遣いかもしれない。
なんとなく不吉な予感がしつつもあんぱん袋を差し出したら、なんと流川が二個食べた。まさかの伏兵。あんぱんは何個入りだ?焦って袋を見たら6個入りと書いてある。6個。ふつうはそれで間に合うんだが、そうはいかない。なぜなら高宮がいるから。当然といった顔で高宮は二つ手にとり何の迷いもなくぱくぱくっと食べた。
そして残りはふたつになる。俺と花道と大楠3人の前に、2つのアンパンだ。
「・・・なんで6個のアンパンを5人で食ってんのに数が足りなくなるんだよ。おかしいじゃねえか」
青筋がみえるような恐ろしい形相で大楠が言った。
俺もそう思う。俺もそう思うけど、俺らってそういう普通の枠におさまりきれねえじゃん?うけるよな、とも思う。が、とても言えない。大楠がぎろっと高宮を睨みつける。
慌てて「俺はいらねえから」と言うと、「忠が買ってきたもんを忠が食わないなんてことがあるかよ」と大楠が返された。
ありがたい言葉だけど、俺、アンパンよりお前の機嫌が直ってほしい。
「高宮のやつがまた二個食いやがるから」
流川のことはいいらしい。流川も二個食ったのに。流川は責めないあたり大楠の流川に対する遠慮を感じる。当然といえば当然だけど、少し寂しい。
流川も流川でどこ吹く風だ。あさっての方向を見ながら口をもごもご動かして、たまに「ピャッ」と舌を鳴らしている。

「高宮、アンパン返せ」
地を這うような低い声で大楠がそんなことを言った。
言っても仕方のないことを・・・と俺は呆れる。
「あ?」
とぼけた声で高宮が返す。色の入ったレンズで目が隠れてイマイチ表情がつかめないが、おそらく本当に気にしていない。
「あ?じゃねえよ。あんぱんだよ!なんで二個食ってんだよ!返せ!」
「なんでって、腹減ってたから」
「なんでいっつもそんなに腹が減ってんだよ、吐き出せ!」
「こらこら庶民たちよ。けんかはよしたまえ。よしわかった。けんかりょーせーばい!桜木裁きだ!おれが二個くう! 」
花道が笑いながら割ってはいる。
「何でお前が食うんだよ!」
大楠の棘のある怒鳴り声に花道が固まる。それを見咎め高宮が眉を寄せる。
「花道にあたるな。あんぱんごときで目くじら立てやがって。」
火に油だ。お前が言っちゃあならねえだろ。
「おまえがいうな!どういう神経してんだ!自分のはさっさと食っといて、人のもんを初めてたべるような顔してまた食べやがる! おまえはいっつもそうだ。昔っからそうだった。思い出したぞ小5のときの、給食の時間」
「おい大楠、よせよ、そんな昔の話。」
あまりにみっともない。
「うるっせえ!給食の時間・・あの日は揚げパンだった。俺はあれが大好きだった。その日ちょうど休みのやつがいて、一個あまって、みなでじゃんけんして、勝ったやつが食っていいってことになって、俺が勝ったんだ。手間隙かけてトーナメント戦にして、俺は見事勝ち抜いて優勝した。そしていざ揚げパンをと見たら、お前が、高宮っ、お前が!食ってたんだ!」
「おれ、見かけによらず素早いからな。ギャップ?」
「てめーにギャップなんていらねえんだよ!見かけどおりにしてりゃあいんだよ。なんだってあんときくいやがったんだ!」
大楠が高宮につかみかかる。本気で怒っているらしい。
冗談だろ? こんなことで!?
花道を見ると花道も唖然としていたが、取っ組み合いが始まって、慌ててとめに入る。流川もさすがに驚いたか口を止めて目を丸くして見つめている。

「いてえなあ、あんぱんごときで・・・買って返せばいいんだろうが。のしつけて返してやるよ!」
「それだけじゃたりねえよ。これまでの分、箱で返せ!」
「やめろって」と花道がとめるがふたりの耳には入っていない。
必死になって「やめろ」「やめろ」と制する花道に心が痛む。
花道は身内同士のけんかに弱い。方々で好き勝手にけんかを売ったり買ったりする花道だが、俺たち軍団相手にけんかを売ってきたことはないし、俺らも花道にけんかを仕掛けることはない。花道にとって俺たちのけんかは俺たちが思うよりもずっと重いものなんだ。だから花道の前でけんかはしない。それは不文律のように俺たちの間にある。かといって、けんかを我慢してきたわけじゃないし、けんかになりそうなときもあった。それを花道のためといって我慢してきたこともない。それでもこんな風なけんかになることはなかった。なぜなら洋平がいたからだ。洋平がやんわり入ってってけんかになる前におさめてきたからだ。ああ、洋平、何だってお前こんなときに休んでるんだ。

「ああわかった!何箱でも返してやる。そんで雄二!お前とはこれっきりだ!」
「上等だ!」
売り言葉に買い言葉のどうでもいいやりとりだが、それを真に受けた花道がはっとして動きが止まり俯いた。
頭に血が上ったふたりは花道の変化に気づかずしょーもない言い争いをやめようとはしない。
花道の両手が聞きたくないというように両耳にあてられる。
まずい。
そのとき流川が動いた。

花道の肩を掴んでぐいっと自分の後ろに下げて、そして大楠の黄色い頭に両手をそえて顔を挟んだ。何をするのかと思った瞬間、そのおでこに強烈な頭突きを食らわした。花道流だ。その威力はさすが流川といった感じで、圧巻だった。ゴッというすごい音がし、大楠は両手でおでこを押さえ「くうぅぅっ」っとその場にしゃがみこむ。流川の方は一切顔色をかえず続けて高宮のほうを向き、高宮の頭にも同じのを食らわした。さすがに続けざまは流川もきつかったか、一歩ふらっと後ずさったが踏ん張って、俺に向き合った。いやいや、おれは・・・!俺の気持ちが通じたように、「お前はいい」とつぶやき、そして大楠と高宮に向きなおし、花道を指差しながら「泣かせんな」と言い渡した。
流川はこんな声も出せるのか。
怒鳴りつけるわけでもないのに妙に説得力のある、とてもよい声だった。
それを聞いてようやく目が覚めた大楠がおでこを押さえしゃがみこんだまま花道に向きを変え、「わるかった、花道、巻き添えをくらわしてよ」と謝罪を口にした。
大楠は短気でやんちゃでシンプルだ。すぐに感情を表すから反省したら謝罪もすぐに口にできる。
しかし花道の返事はない。流川のまさかの行動にいちばん驚いているのは花道らしく、キツネにつままれたような顔で口をあけて流川の背中を見つめている。
「花道、すまなかったな」
高宮も謝った。
しかし相変わらず花道はぼーっとしている。
「泣いてんのか?」
心配そうに大楠が下から覗き込むと、花道は我に返り「な、泣いてない!ばか者っ!」慌てて返したが、顔が真っ赤である。

「ちゃんと謝れ」と再び流川が口を開いた。
「もう謝っただろうが」
噛み付くように大楠が反論する。「涼しい顔しやがって。とんでもねえ石頭だ」おでこを押さえながらぶつぶつ言っている。相当効いたらしい。
「こいつにじゃねえ」
と言って、「あいつにだ」と言うように流川は高宮をあごで指した。
たぶん大楠と高宮に仲直りをしろと言っているんだと思う。大楠もそれはわかったらしく「そこまで指図されたかねえや」と言った。
それを聞いて流川が再び勢いつけて一歩踏み出したので、慌てて「おまえなあ」と花道が流川をとめる。
「けんかの仲裁に入った奴がケンカしてどうすんだ。ゾンビか!」
たぶんそれ”ミイラ”な。
「お前らもちゃんと仲直りしろよ。あんぱんで、何べんキツネから頭突きをもらう気だ」
よほど頭突きがこたえたのだろうか、チッっと舌打ちして大楠があっさり折れた。
しかし自分が高宮に謝るのは納得がいかなかったのだろう。
「聞いてやる」と言って高宮に向き直った。俺たちも高宮のほうにいっせいに向きを変える。「え、俺?」と高宮が自分を指しながらも、しぶしぶといった感じで「悪かった」と大楠に謝った。大楠はそれを受けて「ああ」と返した。
謝られたくせに気まずそうだ。
「・・・俺も、いらいらしすぎてたかも・・・・・・悪かった」
それでこそ大楠だ。
「お見事」と流川を見ると、流川はもう涼しい顔していた。そして口をモゴモゴと動かし「ぴゃっ」と鳴らした。

***

翌日の昼休み、久々に現れた洋平を迎え入れいつものように屋上で4人そろってまったりしていた。洋平が例のあんぱん袋を持ってきて、高宮がいつものように何個かわからないだけそれを食べたが大楠は昨日ぶちギレてすっきりしたのか、もう何も言わなかった。それから4人でどうでもいい話をしていると、花道が流川をつれて現れた。相変わらず口元をもごもごしている流川を見てなんか和む。

「流川、鳴るようになったか?」
尋ねると、流川は首を振る。無表情であるが、おそらくこれは悲しんでいる顔だと思う。だいぶ読めるようになった。
「そうがっかりすんな。そのうち鳴るとおもうぜ」と声をかけると、 「サンキュ」と返ってきた。
流川からのまさかの礼にどぎまぎしてしまった。

「だからよー、べろの吸引力の使い方がなってねえんだよ。上あごを吸う感じをもっとださねえと」
流川に向き合い真剣に花道が説いている。
それを聞きながら「なんかエロい話になってんあ」大楠がつぶやき、洋平がぷっと吹き出す。当の本人達の耳には届いていない。

「もっと吸え!」
「やってる」
「いや、やってねえんだよ。吸って、力強く離すんだ。そうすると、(ターンッ)、な?こういう音がでるんだよ。わかるか?力強く吸って、力強く離す! ほれッ」
促されるままに、流川が花道をじいっと見つめながら口を動かし、音を鳴らした。「タッ」というそれっぽい音が鳴り、俺たちが「おおおっ」とざわめいた。これまでは「ピャッ」とか「チャッ」とか水っぽい音しか鳴らなかったのに、今のはとてもはりのある音だった。花道に鳴らす音に近づいてる。
「今のそれっぽかったぞ」と高宮が手を打って喜び、「あとちょっとじゃねえ?」と大楠がいい、洋平もニコニコ顔で頷きながら応援している。
「今のだ!もう一回やってみろ!今の要領で、もっと強く吸ってみろ!そんでサッと離せ!」
花道の教えに応えるようにしっかりと頷き、流川は俺らを見渡した後、すこし背筋を伸ばしてググっと口元に力を入れた。吸ったのだ。おれらも固唾を呑んで見守る。
「よし!」
と花道が頷いた後、流川が舌を離した。
「ターン」と鳴った後、おれ達の拍手喝采が屋上に鳴り響いた。

おしまい

花道と流川君がけんかせずに仲良くしてるお話が書きたくて書いたら・・
こういうことになったのでした。
花流の日用に書こうとして書き上げられなかったのでした。
ずいぶんと遅くなっちった。

これ書きながら何べん舌鳴らしたかわかりません。
舌鳴らし芸がなんなのかよくわからなかった人は私に会った時にリクエストしてください。
「かえるのうた」は難しいから無理だけどコーラをコップに注ぐ音の真似はできます。

2011/11/02