「なぁなぁ、ゴーリー」
夕食後。
ソファーにどっかり座って新聞を読む赤木剛憲。の、足をよじ登りながら、花道が大好きな父親に呼びかける。
新聞を読むのをとめて、
「ちゃんと呼べ。」
ギロっとにらみながらそう言っても、赤木の腿にまたがった花道はひるまず、お構いなしに続ける。 息子は父親に似て、肝がたいそう座ってるいるのだ。
「ゴリ、さいきん、いそがしいんかよ。」
「なぜだ。」
「だってよぉ……さいきん、うちにかえってくるのおそいじゃねーかよ。」
「まぁ、仕事は忙しいな。」
「……ぬぅ……こんしゅうだろ。ちゃんと、こんしゅうの土曜日、あそべんのかよ。」
カレンダーの丸でかこまれてるあたりを指差して、ちょっとだけ怒った風に花道が言う。
「フッ……心配するな。ちゃんと考えてあるぞ。」
「ほんとうか?!」
「ああ、考えてあるとも。」
月に一度、家族揃って出かけるというのが赤木家の決まりごとである。
これは、赤木剛憲が決まりごととして決定して以来、一度も破られたことはない。
赤木剛憲はとても忙しい。
仕事もできる上、人間性においても申し分のない彼は人望厚く、会社にとってなくてはならない人物として大変重宝されている。 ゆえに、彼は休日も休日らしく過ごせることがあまりなく、平日休日を問わず、夜以外はほとんど家にいることのない暮らしを送っている。 赤木は仕事を愛していたので、それはあまり苦痛ではなかった。
けれども、赤木はまた、家族もとても愛していた。
ヒサシ、リョウタ、花道、亡き妻が残した可愛い3人の息子達。 それから、先頃、晴れて家族として加わった妻の彩子、息子のカエデのことをとても愛していた。
自分がいないことで、家族に寂しい想いをさせるのはつらかった。
特に、一番下の息子の花道は、今は、父親と一緒にいたくて仕方ない年頃らしく、一緒にいる時間があれば、常に 赤木にくっつきたがっているし、それから、楓も(たいへん分かりにくいが、母親である彩子が言うには)どうやら 赤木になついているらしく、事実、今もこうして、わざわざ自分の隣で、おとなしく大好きな地図帳を眺めている。
そんな息子達の存在もあって彼は仕事は多少犠牲にしてでも、家族と一緒にいる時間を守りたいと思っていた。
そしてなによりも、彼自身が家族と一緒にいたいと願っているのであり、 月に一度の家族団らんは赤木自身にも欠かせないものなのである。
「うへぇ……おいかーちゃん、終わったぞ。んだよー……今月もどっかいくのかよー。」
当番であった食器洗いを終えたことを彩子に告げながら、ミッチーがめんどくさそうに言ってくる。
「あんだよミッチー!いやなんかよ!」
「めんどくせーにきまってっだろ!おれはもう中学生だぜ?いつまでもチビどもと連れ立ってわいわい どっかに行くなんてやってられっかよ!」
「なんでそんなこと言うんだ……」
みるみるうちに、花道がしょぼんとなって、つぶやく。
ミッチーが一斉に皆(楓を除く)の非難の視線を浴びる。
「な……なんだよ!ほんとのことだろ!」
「アンタって……どうしてそんなにオニなの。花道!オレはすごい楽しみだぞ。」
大人ぶるわりには全然こどもっぽい兄に苦言を呈し、すっかりしょげてしまった可愛い弟に声をかけてやる。 リョウタが事実上赤木家の、長男坊である。
「だよな!リョーチン!だってよゴリ!よかったな!なぁなぁ、それで土曜はどこ行くんだ?」
ころりと機嫌のよくなった花道が、赤木の胸にだきついて、目をきらきらさせながら尋ねる。 そんな可愛い息子のしぐさに、思わず赤木も微笑んでしまう。
「ん?土曜はな、皆で植物園に行って、絵を描くんだ。」
「「ゲェ~……」」
おにーちゃんズが心底いやそうな顔をして言う。
2人で顔を見合わせて、絵なんてかきたかねーよなぁと、ぶつぶつ言っている。
「しょくぶつえん!!!ヒト食い花がいるんだろ!」
花道が悲鳴に近い喜びの声をあげる。
今までおとなしく地図帳を見ていた楓も、しっかり顔をあげて、赤木の方をじっと見ている。
隅っこでおにーちゃんズが「人食い?いたかぁ?そんなおもしろいもんが。」と言っているが花道には聴こえない。
「ステキ!でも、秋に……植物園……?」
彩子が夫の案に賛同しつつも、少しだけそのセンスに不安を見せる。
「なぁなぁ!おやつ!おやつ持って行っていいのか!」
「……あ?ああ。菓子か。よし、いいぞ。」
おにーちゃんズがこれまた「んなもんいるかよー」などとすみっこで言っているが、 興奮しまくっている花道には聴こえないし目にはいらない。
「いくら?!いくらまで??」
「う……彩子、いくらだ。」
「え……」
言わなかったらいくらでもいいのに、なんであえてそんな自分で自分を縛ることを聞くんだろうか。
正直彩子はそう思ったが、もちろん言わない。
「そうねぇ……じゃぁ、150円かな?」
「ひゃくごじゅうえんもっ!!!」
赤木の腿の上で喜びのあまり、気絶しそうになっている弟のそんな様子を目の当たりにしては、 さすがのミッチーも、「やっっす!(安っ)」とは言えなかった。
「よかったなー、花道。たくさん買えるな」と言って花道の赤い坊主の頭をなでてやっておいた。
ミッチーだって、なんだかんだで弟のことがかわいくて、家族のことが好きなのだ。
ミッチーが花道に優しさを見せている一方で、リョウタが「バナナはおやつに入るんですか」 は誰がいうのかと気にしていたら、楓が言った。
会議の結果、赤木家ではバナナはおやつに入らないことになった。
それがまた、花道をたいそう喜ばせた。
***
土曜日、朝8時30分。
赤木家の玄関にて、出かけるにあたっての心得というものが先ほどから延々と赤木によって繰り広げられている。
電車の車内で騒がない、とか、弟に優しくすることとか、勝手にどこかにいかないとか、そういうことである。
赤木は毎月、出かける前にそれをやる。
必ずやる。
対する、家族の反応は、
ミッチーは「マジでもういいって……」とうんざり気味で、
彩子は「センパイってこんな時までマジメで……ほんとステキ」と惚れ直しており、
リョウタは「彩ちゃんどうしてこんなおっさんと再婚なんかしたんだろう」と心底疑問に思っていて、
楓が何を考えているのかはちょっとよく分からなかった。
そして、
「……お菓子は、10時と3時に食べること。」
というくだりになって、
「なんでだよっ!」
突如、末っ子花道が叫んだ。
つまり、花道だけは、赤木の話をまじめに聞いていたということになる。
「いつでもどこででも、常にものを食っているというのは感心しないからだ。」
「いやだ!オレは食べる」
「だめだと言っているだろう。」
「いやだいやだ!!」
右手にしっかりおやつ袋を握って、花道が叫ぶ。
おやつ袋の中には、色とりどりのちっちゃいお菓子がたくさん入っている。紫色はうまい棒のめんたいこ味だ。
花道は、今日のこの日のために、実に5日間もの間、150円で買える自分にとって最高のお菓子の組み合わせについて真剣に考えていたのだ。
おにーちゃんに相談したり、ヨウヘーたちに聞いてみたり、木暮センセーに聞いてみたり、いろいろがんばって考えて、最高のお菓子たちを買ったのだ。「しょーひぜー」というものと戦いながら必死に考えて買ったのだ。消費税が課税されないように、何度も何度もレジに並んだ。
それくらいがんばって買ったお菓子たちだというのに、好きな時に食べては駄目だとゴリは言うのだ。そりゃあんまりだ。「黙ってこっそり食べりゃいいのに」とおにーちゃんズは思ったが、言わない。弟のばか正直さは 赤木家の宝だから。
「イヤダイヤダいうやつは連れていかんぞ。」
「そんなのもっといやだ!」
赤い頭と同じくらい顔を真っ赤にして、叫ぶ。
「そうだろう? だったら我慢するんだ。食べたらだめだと言ってるわけじゃないんだからな」
「……うう……分かった……分かった……けど!!ゴリのけちんぼ!」
花道の捨て台詞にふっと笑って、ゴリが花道の頭をなでる。
「チョーどあほー」
今までおとなしかった楓が、花道の様子をこばかにするように、そんなことを言いながらあくびをしたその時・・
ん?
花道は、楓の口に何か見えた気がした。
じっと目をこらして観察する。
そんな花道の視線なんぞまったく意に介さず、もう一度クアッと楓があくびをしたその瞬間、楓の口の中に黄色いのが見えたのを花道は、見逃さなかった。
「ルルルルルルカワーーーーテメー!!!!なにアメ食ってんだよ!」
「あーもー、うるせーよ!」
「だって見てみろよ!」
「楓、口、あけてみろ?」
「あ」と楓がぱかっと口を開いてみれば、黄色いパイン飴が、舌の上に鎮座ましましている。
「ほんとだ、こいつ食ってるよ!わははは」
「ああああああああ!ゴリゴリ!見ろよこいつ、まだ10時になってないのに菓子食ってるぞ!」
「だめでしょ、楓。お菓子の時間は10時と3時!お父さんがさっき言ったでしょう?!」
「はなしがながくて、きーてなかった。」
「「うっ」」
それについては誰も怒れない。
「ゴリ!しかってやれ!」
「ふー……ちゃんと、人の話は聞かないとだめだぞ」
「ながくても?」
「長い短いにかかわらず、だ。」
「はい」
こくんと頷く。
おとーさんには素直である。
「はき出せ!このばかキツネ!」
「そこまでする必要はない」
「なんでだよーずりーよ」
ずりーずりーという花道の鼻先で、ルカワがこれ見よがしに飴をカリカリと噛んでみせる。
「あーこいつアメかんでる!ゴリ!こいつアメをかんでるぞ!」
「ふー……カエデ……飴は噛むんじゃない、舐めるもんだぞ」
「いそいでいても?」
「……時と場合によりけりだ」
「はい」
やっぱり素直である。
「んだよずりーよ」
まだぶつぶつという花道だが、もうかまってられないとばかりに、
「行くぞ。ヒサシは花道、リョウタは楓の面倒を見るんだぞ」
赤木が皆の出発を促す。
「いやだ!オレはリョーチンがいいっ!!」
「んだとぉ!このちび!」
赤木はもはや反応せず、黙って玄関のドアを開ける。
後はもうお前らの好きにしてくれ状態だ。
ドアを開ければ、秋の空気がざわっと玄関に入ってきて、赤木家の玄関に充満していた濃い空気を流しだしてくれる。赤木は秋のにおいのする空気を胸いっぱいに吸い込んで、もう、二ヵ月に一度のお出かけにしようかなと考え出していた。
その後ろで、リョウタが花道に「10時59分と3時59分に食べれば、ギリギリまでお菓子の時間が長引くぞ」と教えてやっていて、花道は 「リョーチンはほんとにイカす」という目でうっとり見ている。
さらにその後ろで、ミッチーが 「お前の菓子見せてみろ」と楓に聞いていた。この無口な弟が何を買ったのかちょっと気になっていたのだ。
「……イヤダ」
「とったりしねーから、みせてみろって」
「……ン」
見せたのは、黄色のパイン飴の袋である。
「これだけ?」
「ん」
「他にはないのか?」
「これだけでいー」
「好きなんか」
こくんと頷く。
150円で、好きなもの一本勝負。しかも渋い。
花道とはまた違った意味で情熱的な弟に、ミッチーは何か目頭の熱くなるものを感じた。
そして、最後尾。
彩子は、愛する家族達の様子を満足げに眺め、ドアに鍵をかける。
「いってきます」
誰に言うでもなくつぶやいて。
8時56分、赤木家、ようやく出発である。