五月の訪問者


 ソファで横になっているとチャイムが鳴った。
 うっすらと目を開け、天井の一点を見つめながら考える。
 誰だろうか。
 桜木ではない。
 自分は家のチャイムを鳴らすが、桜木は鳴らさない。
「自分の家のチャイムを鳴らすな!」
 一緒に暮らし始めた頃はよく言われていた。
 でもやめなかった。
 チャイムを押すと桜木が出てくるのが良くて。
 鳴らし続けていたら、いつしか「鳴らすな」を言われなくなった。
 諦めたみたいだった。
 だから今も自分は鳴らしている。 
 その桜木はどこに行ったのか。
 何かをすると言って出て行った。何と言っていたっけ。買い物だったか。半分以上寝ている時に言われたから・・・・・・よく覚えていない・・・・・・スーパーに卵を買いに・・・・・・多分違うだろうなと思った。こういう時の予想は面白いほど当たらない。
 
 もう一度鳴った。
 やれやれ。
 仕方なく体を起こした。

 ドアを開けると、水戸が立っていた。
「水戸」
「うん、水戸」と水戸は笑った。
 水戸は要注意人物の一人だった。
「流川、一人?」
 頷く。
「花道は仕事?」
「じゃない」と首を振る。
「そっかあ」と言いながら周囲に目をやった。

「これ、花道に頼まれてたやつなんだけど」
 持っていた紙袋を渡してきた。見た目よりもズシッと重さのある袋だった。
「布が入ってるんだわ」
「・・・・・・」
「催し物で使うんだとさ。アイツに言ったらわかるから、渡しといてくれる?」
「わかった」
「じゃ」と帰りそうになったので、「待ってたら」と言ってみた。
 水戸が振り返ってきた。
「花道、すぐ帰ってくるって?」
「・・・・・・」
 それは分からなかった。なんせどこに行ったのかも自分は知らないから。
「休みの日なのに、寝てたんだろ?」
「起きてた」
 目を閉じて横になっていただけだ。
「起きてたのか」
「ああ」
 水戸が口だけの笑顔を見せた後、沈黙が落ちた。
 桜木の仲間は四人。野間、高宮、大楠、そしてこの水戸だ。他の三人に比べると、水戸は随分静かだ。高校の頃からそう思っていた。うるさく見せて静か。そして少し油断ならない。

「相変わらず元気にバスケしてんの?」
「ああ」
「すごいね」
 本当の褒め言葉に聞こえたので素直に頷いた。
「この前テレビ出てるの見たよ。有名人と並んでて、おーって思いながら見てた」
「へえ」
 どれのことだろうか。テレビの仕事はたまにやらされている。自分は見ないが、桜木が見ている。見て、しょっちゅう怒っている。怒るなら見なけりゃいいのにと思うが、そんなことを言うともっと怒るので言わない。
「流川って、どこにいてもあんまり変わンないんだなって感心したよ」
「へえ」
 桜木と正反対のことを言っている。
 桜木は「家にいるときと大違い! おすまし野郎!」と腹を立てていた。
「おすまし野郎」というのは桜木が作った悪口だ。
 桜木はムカつく悪口を作るのが上手いのだ。
「テレビに出るときって緊張する?」
「しない」
「だろうね」と笑った。
 そしてまた静かになる。 
「まだ帰ってこなさそうだし、また来るわ」 
「ああ」と今度は頷いた。引き止める理由もない。

 急に話し声が聞こえてきた。どんどん近づいてきて、もしかして赤い頭が現れるかと思ったら、黒い頭とピンク色の頭が現れた。隣の部屋の住人だった。二人は自分たちを見て一瞬足を止めたが、水戸が「こんにちは」と挨拶すると、「こんにちはー」とまた階段を上りだした。
「今日って桜木さん、いますか?」
 ピンク色の方が自分に聞いてきた。
 首を振ると、ふたり揃って「えーっ!」っと残念そうに言った。たまらずといった感じで水戸が吹き出した。
「残念」
「しょうがない」
「そうだね」
「じゃ、桜木さんがいる時にまた~」
 軽く会釈をしながら、二人は部屋に消えた。

 桜木がいる時に何だ。何をするのだ。気になる。
 あいつは女にてんで頭が上がらない。女に頼まれたりお願いされたりするとすぐに良い顔をするのだ。

「流川も大変だね」
 何か大切なことを言われる予感がした。
 じっと見つめて続きのセリフを待っていると、「花道って、実は人気があるもんね」と言ってきた。
「でもアイツ、そのことに気づいてないしさ」
 頷いた。
 そうなのだ。あいつは気づいていないのだ。
「かと言って教えると、それはそれで面倒になりそうだし」
 また頷いた。
 そうなのだ。教えると意識するから言いたくないのだ。
「だからさ、流川も大変だなーって」
 じーんとした。
 自分の気持ちを代弁してくれた。

***

「あ、洋平! 来てたのか」
 帰ってきた桜木は、水戸を見るなり嬉しそうな声を上げた。
 ソファの方にいた自分には、「あ、起きてる」と言った。
「お邪魔してるよ」
「おーおーしろしろ! 何飲んでるんだ」
「流川がホットミルク作ってくれた。美味いよ」
 桜木が自分を見てきた。変な顔をしている。
「お前なんでいつも客に牛乳出すんだよ」
「あっためた」
「ンなこと聞いてねえよ。なんで牛乳なんだよっていう、え、あっためたのか?」
 桜木が目を丸くしている。
 次々に変わる表情が面白い。面白くてずっと見ていられる。
 自分が出したものが不思議なのか首をかしげる桜木に、「花道、どこ行ってたんだ?」と水戸が尋ねた。
 自分も知りたいことだったので、耳をそばだてる。
「俺? 俺は郵便局」
「え、開いてんの?」
「いや。閉まってた」
「だよね」
「荷物抱えて閉まった郵便局の前で途方に暮れてたら、通りかかった人がコンビニでも出せるって教えてくれてよお、そんでコンビニ行って荷物出してきた」
 やはり自分が思ったことは違っていたな、とマグカップに口をつけた。予想が通用しないのが桜木だ。飽きない。とにかく飽きない。
「おい」と肩をつつかれた。何だ、と見上げると桜木があまり見たことのない顔をして自分を見ていた。唇がへの字にして、拗ねているような顔だった。見慣れない表情を可愛いなと思ってみていると「俺にも作れよ」と言ってきた。
「なに」
「それ。ホットミルク」
 言われて、瞬時に立ち上がった。

 冷蔵庫に向かう途中に水戸と目があった。
 水戸は笑いをこらえるような顔をしていた。

おしまい  


5月ギリギリ。
洋平さんに出てもらいました。

2020/05/31