なんでもない日

 四月の土曜の夜、俺と流川はテレビを見ていた。厳密に言えば見ているのは俺だけで、流川は俺にもたれかかってうたた寝中だ。始めは肩にあった頭が脱力と共にずるずる落ちてきて、今は俺の腰骨付近におさまっている。
 テレビには洋菓子屋を営んでいる女の人が出ていた。もともと看護師だったその人は患者たちとの出会いから、病人でも食べれるようなものをと洋菓子を作り始めたらしい。その人が作った菓子を見舞いに持って行く人やそれを貰う人それぞれの笑顔が次々と映し出されて、俺の入院時代の記憶も重なってじんわりきてしまった。
「良い話じゃねえか」
 VTRを見ながらシュンっと鼻をすすると、流川が動いた。こいつは俺の出す音に敏感だ。視線を落とすとぱちっと目があった。じっと見つめてくるので「泣いてねえぞ」と伝えると、もぞもぞ動いて俺の腰に両手を回してべったりとくっついてきた。流川の頬があたって脇腹がじんわりとぬくもる。
「このテレビ、次から次へと偉大なる人物が現れて自らの人生について語っていくんだ。おもしれえぞ」
「ふーん」と気のない相槌も流川がするとなぜか悪くない。手慰みに黒い髪を撫でているとまたもやごそごそ動き出して、今度は腿の上に頭を乗せてきた。下から視線を感じるが放っておく。こいつは色んな角度から俺を見るのが趣味みたいなところがある。
 コマーシャルが明けると今度は男が現れた。金色の縁の丸メガネに蝶ネクタイ、坊ちゃんみたいな変わった髪型をしたおじさんだ。
「ズバリ六十八」
 俺が言うと、直後に名前と一緒に括弧付きで74と出た。
「クハッ! 全然違う!」
 視聴と同時に年齢当てゲームもしている俺だった。
「私は六十年洋服を仕立てて参りました」と話は始まった。
「ほぉ、仕立て屋」
 その職人が作ってきた洋服が思い出と共に紹介されていく。若い頃から群を抜いたセンスを持っていたというその仕立て屋はすぐに売れっ子になったらしい。モダン(それが何かは本当はよくわからねえけど)な服が次から次に現れて、それを愛用してきた人物たちも紹介される。文化人、芸能人、政治家と見たことのある顔が並んだ後、最近ではこんな人の服も作りましたと現れたのが流川だった。
「えっ」
 空港でファンに揉まれている流川の映像が流れだす。着ている流川のスーツはこの職人が作ったとかで、俺もよく見るスーツだ。あの服はこんな人物が作っていたのか……驚きながら流川を見ると流川は相変わらず俺を見ていた。いやお前が今見るべきはテレビだ。
「お前が出てきたぞ」
 声をかけるとさすがに流川も首をひねってテレビに目をやった。
「俺だ」
 ああお前だよ。
「おまえ、この人覚えてるか?」
 出てきた洋服屋を指差すと目を細めながら「スーツを作った」と呟いた。
 本当に作ってやがる……。
「お前はなんっつーもんを着てるんだよ」
 いろんなことにびっくりだ。
「仕事で行って」と記憶を辿りはじめた。スポンサーを介してこの服職人を紹介されたらしい。
「なんっつーもんを」同じことばかり言う俺に「テメーも持ってるぞ」と流川は言った。
「俺!? 持ってねえよ」と言うと、俺の腿の上で首を振る。
「持ってる。渡した」
「!」
 思い当たる節があった。あれは忘れもしない2月半ばのこと、流川がスーツを持って帰ってきたことがあった。あの日は本当になんでもない日だった。いきなり「テメーの」と渡されたそれは、スーツカバーからして明らかに俺がいつも買うようなものとは違っていた。どういう土産だと驚きながらチャックを開けると濃紺に薄い水色の線の入った生地で作られたスーツが現れた。光沢、手触り、柔らかさ、何もかもが上等だった。これはすげえやつだって俺でも分かった。流川が「渡した」というのはそのことを言っているのだ。こいつはびっくりするような高級品を饅頭を渡すような手つきでよこしてくることがある。後からそれがすごい代物だったと判明するのだが、今回もどうやらそのパターンだったようだ。こんな有名人が仕立てたんなら値段もすごいんじゃねえのかと今更ながらに俺は焦る。
「お前、もうちょっとありがたみがあるように渡して来いよ。すっげえ高かったんだろーが」
「そんなのカンケーねー」
 そう言ってぎゅうっと抱きついてくる。かっこ良さと可愛さを同時に見た気がした。
「何でスーツを俺にやろうなんて思ったんだよ」
 ずっと聞いてみたかったのだ。
「着たら良かったから」
 自分が気にいったからついでに俺のも作ってくれたって事か……なんかすげえ嬉しい。すっげえうまいもの食った時に流川にも食わせたいって思うことがあるが、ああいうのと同じ気持ちってことだろ? なんだよそれ、嬉しいじゃねえか。
「サイズ測られてねえのに、俺にピッタリだったよな」
「俺が言った」と流川がいばった。
「言ったって俺のサイズをか?」
「ぴったりだった」と満足げに頷いている。
「色も俺が決めた」と加えて来たので、「ありがとよ」ともう一度礼を言う。
 とにかく着心地のいいスーツだった。体をあるべき形に包み込んでくれて、正しい姿勢に導かれるような……よくわかんねえけど。あと腕が良かった。ぶんぶんぐるぐるいくらでも腕が回せる。あんなスーツ着たことない。
「でもテメー、着ねえ」
「え、着てるぞ」
 流川が目を逸らして横向きになる。
「……うそだ。全然着てねえ」
「いや、着てるって、すっげえ気に入ってるぞ」
「うそだ」
「着てるって」
「着てねえ、見てねえ」
「いいやちがう、着てる。お前が見てねえのは、お前の前で着たらお前がすぐに脱がすからだ」
 流川が買って帰った日にさっそく着てみせたらえらく興奮してその場で押し倒されて脱がされた。二度目はそれから数日後。着心地最高のスーツが嬉しくて再度チャレンジと袖を通すと、通りかかった流川が言葉もないほどに興奮してまたもや脱がされた。
「着ても着てもお前が脱がすんだ」
 そう告げると思案気な顔になった。自分の行いを振り返っているようだ。「この前の卒業式にだって着ていったし」
「しらねえ」
「あの時お前はこっちにいなかったからな……まあでも着てったのはいいけど」
 一張羅は着ている人間の雰囲気まで変えてしまうようで、そして自覚もあるが、俺はあの日やたらとキラキラしていた。実際同僚の先生達から賞賛の言葉を浴び続けていたし、保護者、特に生徒の母親たちから一緒に写真に写ってくれとずっと声をかけられていた。あえて流川には言わないでおくがそういうことがあった。例年の比ではない桜木人気に少々居心地が悪かった。肝心の生徒達からは「なんかいつもの先生と違う」とよそよそしくされたし、なんだかなあだった。
「あれは着る場所を選ぶよな」
 さっきのテレビの流川の様子を思い出す。あんな風にもてはやされても平然としていられるのが、もてる奴とそうでない奴との違いかもしれないなあ。俺にはああいうのを着ていく機会がほとんどないだろうし、俺は一生もてはやされることには慣れないのかもしれない。
でもあのスーツは着たいな。
 せっかく流川が買ってくれたし、やっぱりかっこいいしな。
 下から腕が伸びて来て鼻をつままれる。いたずらを仕掛けてくる手を掴んで、「今度二人であれ着てどっか行ってみるか」と聞いてみた。思いつきの提案に「どこ」とすぐに食いついた。
「なんか食事とか。スーツ着ていくような店に」
「行く」
「決まりだな」
「今度は脱がさねえ」と言いながらまたくっついてきた。
「どういう宣言だ」と笑いながら背中を丸めてキスをした。

おしまい

2018/04/19
リクエスト「流川が花道にオーダースーツをプレゼントするお話」を書かせてもらいました。
流川は記念日を覚えなそうだけど、その代わり何の記念日でもなくても贈り物をしてくれそうだなと思いまして。
リクエスト本当にありがとうございました!!