花咲く旅路13

 朝の掃除を終えた後、オースケと俺は昼飯の買い出しにスーパーに来ていた。
「これかう?」とオースケがうどんを指した。
「今日はそれは買わねえな。こっちだ、このちゃんぽん麺だ、5個な」
 オースケが「ちゃんぽん」と言いながらカゴに入れていく。カートを押した年配の女性がオースケを見て微笑んだ後で、俺に向かって笑いかけてきた。俺も小さく頭を下げる。もしかしたら俺たちは親子に見えているのかもしれない。本当の関係を知ったら驚くだろうな。
 近頃は流川が昼食代を出すようになっていた。始めは受け取るのを躊躇したが、そのうち俺ももらうのは当然だと思うようになった。流川が金を出して俺が美味い昼飯を作る。協力して何かを成し遂げているような気分だ。何と言うか、おそらく、流川の金の出し方がうまかったのだ。
 買い物の後は、オースケが持ってきていたすごろくをやった。全国を旅するストーリーのすごろくは旅行気分が味わえた。温泉のマスに止まると一回休みで、頭にタオルを乗せ歌って待つように書かれてある。タオルを乗せるのが面白いのか、オースケは俺が一回休みをするたびに大喜びしていた。3回目の温泉休みの時、家の電話が鳴った。旧式の電話は呼び出し音が大きくて、オースケは持っていたサイコロを落とすほど驚いていた。目をまんまるにして黒い電話を見つめる。
「きゅうきゅうしゃ」
 初めて聞く音だったんだろう、とんでもない間違いをしている。
「電話だ」正解を教えてもピンときていないようだった。
 電話は清掃仕事の時の同僚からだった。
「桜木くん、元気?」
「ああ」
「相変わらず大きい?」
 一緒に働いている時にいつも、「大きいね」と言われていた。
「俺はずっと大きい」
「いいねえ、最近はどうしてるの?」
 真っ先に思いついた言葉は「子守り」だった。でも、子守りとは違うかもなと思った。子守りという言葉ではなにか足りない。オースケに目をやると、すごろくの盤をなぞりながら、たどたどしく読める字を読み上げている。その姿を見て心にじんわりあたたかいものが流れる。「子育て」という言葉が浮かんだ。いやいやいやいや。思いついた言葉に自分で照れてしまった。それは言い過ぎだろう。
「桜木くん?」
 何にしろ、皆まで言う必要はないだろう。
「最近の俺は朝起きて、遊んで、飯食って、寝るって感じだな」
「仕事は?」
「今はしてないな」
「え、大丈夫」
「なんとかなるもんだ」
 気持ちさえしっかり持っていれば。
「そっかあ。いいなあ、いい暮らししてるなあ」
 たしかになあと思った。オースケは可愛いし、夜になったら流川が来るし。俺って実は今結構いい暮らししてるんじゃないのか?
「桜木くんの送別会を開こうって話になってて、言ってたでしょ」
 確かに言われていたが、ずいぶん昔のことのように感じる。
「みんな桜木くんに会いたがってるよ」
「ほお」
 そう言われると悪い気はしない。
「空いてる日ある?」
「まあいつでも大丈夫といえば大丈夫だな」
 オースケがやって来て、足に巻き付いてきた。退屈になっているのかもしれない。頭を撫でてやる。
「決めたらまた連絡するからさ、桜木くん、IDとか教えてよ」
 何か横文字を言われたが何のことかわからなかった。
「ない」と言ったら「ないかあ」と笑っていた。またねと言われて、電話は終わった。

 受話器を置くとすぐに「だれから?」とオースケが聞いてきた。
「知り合いだ」
「いまからどこかいく?」
「行かねえよ、今はお前とすごろくしてるだろ?」
「うん」
 俺の手を引っ張りながらすごろくに戻る途中で、「ぼくもしりあいにあったことあるよ」とオースケが言った。
「へえ、お前も知り合いがいるのか」
 小さいのにまたずいぶんと渋いモンがいるんだなあ。オースケが「はい」と俺にサイコロを渡してくる。
「しりあいといっしょにパフェたべた。おおきかったよ」
 バスケ関係の奴だろうか。
「のこったから、おとーさんがたべた」と付け加えた。大きかったのはパフェのことらしい。
「知り合いとパフェたべたのか?」
「うん」
「いつだ?」
「このまえ。おいしかったよ。はなみちもしりあいとパフェたべる?」
「俺らはパフェは食べねえな」
 サイコロを振ると、また一回休みだった。ちょっと一回休みが多すぎねえかこのすごろく。オースケが背伸びをして俺の頭にタオルを乗せてくる。
「うたって」と言われたので「いい湯だな」と歌ってやった。頭のすみで「知り合い」って誰だろうと考えながら。

***

 昼には流川が帰ってきて、いつものように三人で昼食を食べた。海老が入った野菜たっぷりのちゃんぽんだ。
「なかなかこんな麺、売ってる店はないんだぞ」
「へえ」
「美味いか?」
「うまい」
「おいしい」
 二人揃ってとても良い返事をした。
 昼食の後は、流川の足の上に座ったオースケが色々と報告をする。何があっただとか何をして遊んだとか、そういうことを流川に伝えるのがオースケの楽しみなのだ。俺は茶を飲みながらそれに耳を傾ける。
「あとね、あのくろいのがなった」
「電話な」と俺が補足をする。
「しりあいからでんわだった」
 流川が俺を見てきたので、「前の職場のやつだ」と俺は教えた。
「俺の送別会を開くって話だ。仕事やめて結構経つけどな、2ヶ月位か」
「前の仕事って何」
「清掃だ。俺って掃除がうまいから」
「ぼくもじょうずになった!」とオースケが話に入ってきた。
「ゾーキンもしぼれて、みずがおちるし」
 それは掃除とは違うが、「お前は筋がいい」とオースケに合わせておいた。それから俺は「知り合い」のことを思い出し、少し緊張しながら聞いた。
「お前らにも知り合いがいるんだろ? パフェたべたってオースケが言ってたぞ」
 流川の表情が強張った。小さな変化だったが俺は見逃さなかった。
「パフェたべたよね」
「・・・・・・一回だけだ」
 流川はそれを、オースケにではなく俺に言ってきた。
「一回会っただけで知り合いとは言わねえだろ」
「一回じゃねーけど、そんなに会ったことない」
「どういう知り合いなんだ」
「・・・・・・」
 流川が答えに詰まった。流川の沈黙に、モヤモヤと重いものが俺の心に生まれていった。馬鹿なことをした。聞くんじゃなかった。
「言いたくねえなら、別に答えなくていい」
「そうじゃねえ」
 流川は否定したがその後は続かなかった。オースケが俺を凝視していることに気がついた。ここまでだ。オースケの頭を撫でてやる。
「パフェうまかったんだろ? 良かったな」
 オースケは俺を見たまま、小さい声で「ちゃんぽんのほうがすき」と言った。絶句した。今のは、俺が言わせてしまったのか?
「何いってんだ。パフェも好きでいいんだ。両方好きでいいんだぞ」
「・・・・・・うん」
 そうだ。どっちも好きでいいし、誰と何を食べていたっていいんだ。それなのに、このモヤモヤは何だ。後悔かもしれない。踏み込みすぎてしまった後悔と、壁を作られたショックと。俺たちは長い間会っていなかった。それぞれお互いに知らないところで生きていたのだ。会っていない間、色々あった。俺は特に何もなかったけど・・・・・・でもまあそれなりになんかあったはずだ。そして流川にも何かは確実にあった。その何かを一足とびに聞いたりしたら駄目だ。線引きを間違えるな、と俺は懸命に自分に言い聞かせた。
「なんとなく聞いただけだ。べつに全部言う必要ない」
 なんでもないように、俺は明るく言った。
「知り合いなんているに決まってるし、俺もいるし・・・・・・ちょっと、みかん取ってくる、買ってきたんだ」
 立ち上がろうとこたつにかけた手に、流川の手が伸びてきた。真剣な眼差しとぶつかった。
「言いたくないとかじゃない」 
「え」
「全部言える」
 流川が必死だ。その様子に俺も反応した。一度なかったことにしようとした感情が溢れ出す。
「でも聞いてもお前、言わなかったじゃねえか。俺に言いたくないんじゃねえのか」
「ちがう。言うこと考えてた。説明とか」
「説明ってなんだよ。知り合いって、付き合ってる奴とかじゃねえのかよ」
「ちがう」
「でもオースケ連れてパフェ食べたって。デートみたいな感じだろ?」
「そんなんじゃねえ」
「特別な奴なんじゃねえのかよ」
「ちがう」
「全部言える」と言った割には、言うのは「ちがう」ばっかりで、あまりのひどさに俺は笑ってしまった。俺が笑って流川の表情も和らいだ。
「お前の返事じゃ何も分からねえよ。全然答える気無いだろ」
「ある」と憮然と返してくる。それを見て俺はもう一度笑った。俺達の手の上に小さな手が乗ってきた。
「オースケ、とーちゃんにすごろくしてもらえよ。そんで一回休みさせてやれ」
 オースケが流川を見上げると、流川が頷いた。
「はなみちもする?」
「おう」
 オースケは笑顔になってこたつから抜け出し、すごろくの準備を始めた。
「お前は、根掘り葉掘り聞かれるのとか、そういうのはイヤかと思ったんだ」
 オースケに視線を残したまま俺は言った。
「俺は、聞きすぎたのかと思った」
「そんなことない」
「気になったこととか、聞いてもいいんかよ」
「いい」
「じゃあ、これからも聞いてくぞ」
「ああ」
 腕を引かれて顔を向けると、「夜」と言ってきた。
「今日だろ? いるから。来いよ」
「わかった」
 もしかしたら、もっと踏み込んでもいいのかもしれない。余計なことを考えずに。出会った頃のように、真っ直ぐにぶつかって良いのかもしれない。少なくとも俺は良い。俺は流川にぶつかってきて欲しい。さっき、流川が必死になったのは嬉しかった。流川もそれは同じなのかもしれない。
 それから三人ですごろくをした。流川は強運の持ち主らしく一度も一回休みにはならなかった。

2022/2/13
実に1年以上ぶりの更新でした。
読んでくださってありがとうございます。


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